第6話 美沙

文字数 1,907文字

 帰省はいつも列車を利用する。冬は、出発地と到着地で景色ががらりと変わる。仙台が晴れでも、実家のある山形県S市は曇り。今回S市滞在中はずーっと雪と曇りだった。それに加えて親が煩わしかった。こっちさ帰ってこねが、としきりに言う。おそらく、地元の人と結婚させたいたいのだ。姉が東京で結婚したことが理由だろう。二人とも離れるのが寂しいのか。
 美沙は二人姉妹の美紀と差別も区別もなく育てられた。三歳上の美紀は学業成績が良く、レベルの高い進学校から東京の、これもまた名の知れた大学へ進んだ。そのまま東京で就職し、昨年結婚もしてしまった。物静かだった姉にしては素早い行動だ。
 一方、美沙はあまり勉強が好きではなかった。大学進学は考えていなかったので商業高校へ入り、卒業後は勉強しなくてよさそうな簿記専門学校に進むことにした。山形市にもあったが、あと電車で一時間しか違わない、仙台の学校を選んだ。父親は反対したが、姉妹分け隔てなく育てるんでないの、と言うと折れた。
 その専門学校は就職率が良かった。会計事務所など、専門を活かす就職先もあったが、たいてい職員は四五人くらいしかいない。美沙は社員の多い会社で働きたかった。それで受けたのが、ホテル・セントラルフォレストだった。地元に就職しなかったことで両親はおおいに落胆した。

 今月はまた社用伝票がいつにもまして多いな。美沙は思った。接待や商談などのためホテル内の施設を使用する際の伝票だ。ほとんどがレストランでの利用だ。伝票に『社用』のスタンプが押されている。各レストランから売上げと分けて計上されてくる。美沙は勘定科目の仕分けと、材料費率のために算出する。多いのはコーヒー類。だが、ランチも結構ある。数ではコーヒー類より少ないが、金額にすればかなりになる。
 そのことは以前、経理課の先輩の山田さんから聞いた。社員食堂で食事をしていたときだった。
「コーヒーなど以外のランチは本来、顧客への営業のためなのよ。よく利用する顧客がホテルに来た場合、食事をご馳走して販促につなげるため」。山田さんはシュウマイをつまんだ。
 何がきっかけか判らないが、そのうち知り合いを見つけてはレストランに連れて行くようになった。魂胆は自分もレストランのランチを食べるため。社長も何も言わないらしい。昼頃終わる会議などあると、ロビーで網を張って知り合いを探す。
「支配人くらいならまだわかるけど、販促と関係ない部長たちも真似し始めたの。酷いのは企画広報課長の辻村女史。こちらが接待してもらうべき相手にまで社用にしているのよ。広告会社の社員、打ち合わせに来ただけなのにランチをご馳走するなんて、可笑しいでしょう」
 ま、社員食堂の食事あまり良くないからな。実際造るものは味噌汁と付け合わせの野菜くらい。あとは大抵冷凍食品だ。でも美味しいものもある。カレーライスや豚汁。これら大鍋料理は手造りだ。社員食堂の料理は何種類かの中から各人が選ぶものでない。その日作られた献立、同一のものを皆が食べることになっている。
 わきを歩いていて聞きつけたのか『ラ・メール』の三橋さんが、ホントね、と料理トレイをテーブルに置くと隣に座った。
「この前なんか、つきあわないなら出入り禁止よ、って言いながら無理やり連れてきたのよ。課長の分際で。口だけ女、べんちゃら女史の辻村」と(はば)ることなく悪口を言う。
 辻村課長は、一般社員からの評判は良くない。人が言ったことを自分が考えたように会議の席で言うこともあるらしい。社長と仲がいいとの噂もある。
 あれ以来、社用伝票を仕分けするときはサインの主も気にするようになっていた。
 うん、やはり辻村課長のサインの伝票かなりあるな。コーヒーくらいは円滑に打合せをするのにあってもいいだろうけど。何?『ステーキランチ二つ、3,800円―接待先ヤマト工芸様』。ヤマト工芸って、うちが商品を仕入れて売ってあげているところじゃない。あら?『社用』のスタンプの下に『斜陽』と書かれている。担当者名は三橋さんだ。面白い。美沙はこの皮肉に笑ってしまった。
 さすがに社長は自分のサインだけだ、接待先は書かれていない。和食が好きなようだ。日本料理レストラン『欅』が多い。社長なら当然とは思うが、毎日ランチの伝票が出てくる。あ、毎日ではない。週に一二度ほどはゴルフに行っている。そういえばゴルフ代は経費になっているな。接待ゴルフ? なのかな。
 事務室奥の支配人室のドアが開いて、支配人が出てきた。そしてゆっくり事務室から出て行った。昼食を得にいくのか、美沙は時計を見た。
 入社から三年。美沙は徐々にホテルの内情も知ってきた。
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