第15話 美沙

文字数 1,197文字

 スチールの外階段を登って部屋の方に向きを変えた。と、踊り場の端の手すりに腰をあずけている影が見えた。
 美沙が立ち止まると、その影が言った。
「美沙さん、今日はちゃんとした(・・・・・・)料理をご馳走してくれませんか」
 胸の奥から喉元に喜びの塊が上がってきた。あ、声を出せるだろうか。なぜ涙が出るのだろう。
「もちろんオーケーよ」泣き声を気取られないように言った。
 鍵を開ける。先に入って、朝干しておいたストッキングをさっと隠す。
 どうぞ上がってとスリッパをそろえる。どうぞ座ってとテーブルの椅子を勧める。えーっと、お肉と卵を買ってきたから、と独り言を言い冷蔵庫を開ける。小海老があったな……。
「突然すみません。思い立って来ちゃいました」背中で歩夢の声が聞こえる。
 迷惑でなかったですか? 都合を聞いてからにすれば良かったですか、と言う。
「そんなことありませんよ。そこでゆっくり待ってて」と食材を取り出す。
 それにあたしの番号知らないでしょうと思う。
 歩夢が、手伝うと言うので人参の皮むき、セロリの筋とりを頼んだ。ジャガイモの皮むきは難しいかな、でも聞いてみたら出来るというので、やってもらった。そうだった、一人暮らしをしていたんだ。だが、それは皮が厚くむかれて多面体になっていた。美沙は声を出さずフフと一人笑った。ジャガイモを受け取って、
「あとはテレビを観ていて」と言った。寛げなかったようだが。

 肉じゃが。エビチリ。ゆで卵とベーコンのライスグラタン。セロリと胡瓜のステック。
 一時間後にテーブルに並んだ料理だ。
「わ、豪勢だ」
 歩夢は目を見張った。こんなご馳走を食べるなんて何年ぶりだろう、と感激している。
 夕食は肉じゃがとサラダに、レンジご飯で済まそうと思っていた美沙も、久々に腕を振るえて楽しい。さらに歩夢の食べっぷりがいい。「美味しい、美味しい」を連発しながら食べる。料理をするのは好きだが、こうして喜んで食べてくれる人がいるのは幸せな気分になる。
 歩夢も、
「美味しい料理は気持ちを和ませてくれるますね。心がほっこりします。解雇されたことを忘れさせてくれます」
 それと……、一人でないのが、なによりの調味料だ、と言った。
 この言葉に、美沙は泣きたいほど嬉しくなった。――あたしって泣き虫だったんだ――
「楽しい表現ね。文学好きなだけあるわ」
 そうだ、しばらく本を読んでいないな、明日は一日中読んでいようかなと歩夢は思った。だが、「明日から仕事探し?」と美沙に言われはっと考えなおした。
「そうですね、ハローワークに行ってきます」
 歩夢は残さずすっかり食べてくれた。美沙も久々に食事を楽しんだ。終えてから、
「明日の晩ご飯も造るから、明日も来てちょうだい」
 必ずよ、と念を押して歩夢を送り出した。

 美沙はベッドに入っても寝付けなかった。充足感に満たされていたから。人に尽くすことがこれほど心を豊かにしてくれるのか。
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