第18話 歩夢

文字数 1,469文字

 ハローワークから出たところで歩夢の携帯が鳴った。中森次長からだ。今からホテルに来てくれ、用件は着いてからと言う。何事かな? (いぶか)しみながら向かった。ボランティア活動するつもりの作業用の服装だ。いいのかなと思ったが、急ぎの様だから仕方ない。指示された宴会打ち合わせコーナーに行く。宿泊とレストランは二日前に再開していたが、宴会部門はまだだ。準備が遅れているのと、震災で多数の死傷者、行方不明者が出ていることから全国的にパーティーなどの自粛ムードが拡がって、利用が見込めないこともある。
 打ち合わせコーナーを見て驚いた。そこでは中森次長と理沙が話をしていた。
 ――理沙。何故?

 あの後――。理沙から電話とメールが何度もあった。だが、歩夢はすべて無視していた。もう思い出したくなかった。
 正直憎かった。ただ、ひとつ助かったことは、理沙は歩夢の口座から全額は下ろしてはいなかった。歩夢が当座暮らせる分は残しておいたことだ。歩夢は残りをキャッシュカードで下ろした。それもあって仙台での生活を始めることが出来た。
 複雑な思いで、声をかけることも出来ず立っている歩夢を、中森次長がとりなして座らせた。そして、
「私は仕事に戻る。二人でゆっくり話をしていきなさい」と言って階段を降りて行った。
歩夢は、理沙の話を聞いた。
 理沙は通帳を持ち出した十数日後、やはり気になって、歩夢の部屋を訪ねてみた。だが歩夢が部屋を引き払い、大学も中退したことを知り胸がつぶれるほど悔やんだ。電話、メールにも応答がない。探す当てもないまま年を越し三月になった。居るわけがないだろうと思いつつアルバイト先のZALホテルを訪ねてみた。運よくそこの洗い場の課長(・・・・・・)に会えた。そしてここホテル・セントラルフォレストの中森次長に紹介したことをおしえられた。
 ――ああ、三田さんに会ったんだ。中森次長がZALホテルに勤めていたとき、とても信頼していた部下だと聞いた。
 許しを請う理沙に、歩夢のわだかまりは徐々に薄れていく。むしろいじらしくさえ思った。やはりたった一人の妹だ。
「出版の仕事は夢だったが、夢が叶わないことは誰にだってある。いろいろ紆余曲折を経ていくのも人生だ。若いうちはいろいろなことが出来る。今回の災害を目の当たりにしてよく分かったよ」と歩夢は言った。
 言葉にしなかったが、人の温かさにも触れたし、と思った。――美沙さんの厚意は感謝だけでは足りない。裏切るようなことは絶対しない。
 理沙の話は続く。
 工藤は他のバンドとのジョイントコンサートをする計画だった。そのための音楽雑誌への広告や、ステージディレクターの依頼などまとまった金が必要だった。相手のバンドや他のメンバーも金を工面している中、理沙は工藤の助けになりたかった。
 だが、震災でコンサートを行う予定のKホールの天井が落ち開催出来なくなった。
 計画は中止された。準備のため使った費用は戻らない。工藤も歩夢のことは気にしていて、一部手元に残っていた金は返す、と理沙に預けて寄こした。残額も少しずつ返済するとのこと。
 理沙と工藤の仲が続いていることが気がかりではあったが、歩夢の気持ちはほぐれていった。それに、工藤も理沙を利用していた訳でないようだ。詳しいことは訊かなかった。歩夢も美沙に世話になっていることは言わなかった。今後は連絡を取り合おうと言って二人は別れた。
 一部でも金が返ってきたのは良かった。美沙さんにこれでお礼をしよう。食費分として若干受け取ってもらっていたが、気持ちとしては十分ではなかった。つい甘えていた。
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