第47話 歩夢
文字数 1,997文字
夜、食事をしながら、美沙に専務に褒められたことを話した。
「自分の提案したことが上手くいくって、面白いな」
「歩夢、良かったねー。実は、あたしもいいことがあったの」ふふふと笑う。
主任への昇格が決まったという。四月からだ。
「お~、おめでとう」
「ありがとう。仕事の内容は変わらないけど、給料は少しあがるみたい」
「そりゃいい。認められたんだよ」
「ねね、お祝いしようよ」
え? 歩夢は一瞬、石原さんにお祝いしよう、と言って誘ったことを知ったのかと思った。そんなはずはない。考えるまでもない。
「またイタリア料理がいいな。何時 にする? 来週はどうかしら」
石原さんとの日がまだ決まっていない。
「来週は店の皆と飲み会があるんだ。日にちはこれから決まるんだ」
するりとこの言葉が出た。
「あら? そうなんだ。それじゃ、決まったらその日を避けよう。今度はあたしが持つわ」
「いや、主任昇格のお祝いなんだからぼくが」
「歩夢の提案が成功したお祝いもあるの。それに、飲み会があるんでしょ。そっちに使って」
歩夢は押し問答を避けた。
「ダンツァにしよう、美味しかったよね。雰囲気もいいし」
二人で改まった外食するのは文盛堂に就職したとき以来だ。
歩夢は楽しめるかな、と思った。美沙から気持ちが離れたとは思わないが、なんか乗らない。
翌週――。
美沙との外食の方が先になった。
美沙はよくしゃべった。まず、メニューブックを手に取るなり言った。
「きれいなメニューね。うわー、どの料理も美味しそう」
メニューブックを拡げた歩夢もそう思う。
「そうだね、料理ムックのようだ。グラフィックがいい」
書店の店員らしい言い方をしてみた。
「何食べる? 迷っちゃう。魚介類もいいし、ピザパイが美味しかったなー。パスタの方がいいかな。ね、イカ墨パスタ食べてみる? 歯が黒くなっちゃうの。可笑しいのよ……」
メニューブックで大騒ぎしてから、テーブルマットに感激する。「柔らかくて手触りがいいー。うちでもこんなの使いたいわ」
楽しめないのでは、という心配は無用だった。歩夢も美沙のおしゃべりに頬がゆるむ。おしゃべりのネタはいっぱいあった。料理、家具、インテリア、外の景色それとホテルのこと――。今日はまた一段としゃべるな。こんなにおしゃべりだったっけ。歩夢は相槌をうちながら少し驚いた。アパートの部屋で一緒に食事するときはこれほど話はしない。日常と違う雰囲気と美味しい料理が楽しくさせるのだろう。
二日後。石原さんと二人、居酒屋に行った。その店は、たまに文盛堂の人たちと利用する、サラリーマンで賑わっている店だ。
歩夢は石原さんとの「二人だけ」を意識して、店へ歩いているうちから緊張した。店へ入るとほっとした。話のきっかけがあるだろう。メニューを取る。料理を選ぶことで話をしよう。
「何にしようかな」聞こえるように呟く。
「わたし決まった」石原さんは言う。ろくにメニューを見ていない。
「早い、何にしたの」
「揚げ出し豆腐と唐揚げ。それとアボカドサラダ」
何度か利用しているので、メニューはある程度知っているのだ。
あとは、あとでまた頼むわ。飲み物はレモンサワー。そう言ってにっこり笑う。「ゆっくり選んでいいよ」
「いえ、決まりました。ぼくも揚げ出し豆腐と唐揚げに、えっと大根サラダか。飲み物は生ビール」
店員を呼んでオーダーする。
「わたし今回の仕事、本当に楽しかった」石原さんはレモンサワーを一口飲んでから言った。「今まで作ったPOPは新刊本、つまり出版社も宣伝している本が主体でしょ。なのでPOPのせいで売れたのか、お客さんが初めから買うつもりで来店したのか判らないじゃない」
「うん。――あ、なるほど。近代文学は宣伝してないし、あまり売れていないので……」
「そう、POPの効果で売れた、と判断できるでしょ。なんていうか、手ごたえのある仕事だったな。お客様がレジに近代文学の本を持ってくると、ヤッタ、と心の中で叫んでいたんだよ」
「えーっ、ぼくもです。棚から本を取るお客さんを見ると――」
話はPOPから作家と小説のことに移る。石原さん好みはミステリーだ。歩夢も最近はそれを読んでいる。
会話は弾む。石原さんは話も面白いし、歩夢の話に表情豊かに反応してくれる。楽しい、というより気分がいい。波長が合うとは、こういうことだ。
「高橋くん」
「うん?」
「まだ書いているんでしょう」
石原さんは突然話題を変えた。それには慣れた。
「うん、書いているよ。最近あまり時間が取れないけど」
「今まで何作くらい書いたの?」
「えーと、気に入らないものも入れると結構あるけど、自分で気に入ったものは、……七作、かな。『ある逃避』を別にして」
もしかして読んでくれるのかな。と、期待した。そうだったらすごく嬉しい。批評でもいいし、二人の間の話題も増える。
「読んでみたいな。読ませてくれる?」
「自分の提案したことが上手くいくって、面白いな」
「歩夢、良かったねー。実は、あたしもいいことがあったの」ふふふと笑う。
主任への昇格が決まったという。四月からだ。
「お~、おめでとう」
「ありがとう。仕事の内容は変わらないけど、給料は少しあがるみたい」
「そりゃいい。認められたんだよ」
「ねね、お祝いしようよ」
え? 歩夢は一瞬、石原さんにお祝いしよう、と言って誘ったことを知ったのかと思った。そんなはずはない。考えるまでもない。
「またイタリア料理がいいな。
石原さんとの日がまだ決まっていない。
「来週は店の皆と飲み会があるんだ。日にちはこれから決まるんだ」
するりとこの言葉が出た。
「あら? そうなんだ。それじゃ、決まったらその日を避けよう。今度はあたしが持つわ」
「いや、主任昇格のお祝いなんだからぼくが」
「歩夢の提案が成功したお祝いもあるの。それに、飲み会があるんでしょ。そっちに使って」
歩夢は押し問答を避けた。
「ダンツァにしよう、美味しかったよね。雰囲気もいいし」
二人で改まった外食するのは文盛堂に就職したとき以来だ。
歩夢は楽しめるかな、と思った。美沙から気持ちが離れたとは思わないが、なんか乗らない。
翌週――。
美沙との外食の方が先になった。
美沙はよくしゃべった。まず、メニューブックを手に取るなり言った。
「きれいなメニューね。うわー、どの料理も美味しそう」
メニューブックを拡げた歩夢もそう思う。
「そうだね、料理ムックのようだ。グラフィックがいい」
書店の店員らしい言い方をしてみた。
「何食べる? 迷っちゃう。魚介類もいいし、ピザパイが美味しかったなー。パスタの方がいいかな。ね、イカ墨パスタ食べてみる? 歯が黒くなっちゃうの。可笑しいのよ……」
メニューブックで大騒ぎしてから、テーブルマットに感激する。「柔らかくて手触りがいいー。うちでもこんなの使いたいわ」
楽しめないのでは、という心配は無用だった。歩夢も美沙のおしゃべりに頬がゆるむ。おしゃべりのネタはいっぱいあった。料理、家具、インテリア、外の景色それとホテルのこと――。今日はまた一段としゃべるな。こんなにおしゃべりだったっけ。歩夢は相槌をうちながら少し驚いた。アパートの部屋で一緒に食事するときはこれほど話はしない。日常と違う雰囲気と美味しい料理が楽しくさせるのだろう。
二日後。石原さんと二人、居酒屋に行った。その店は、たまに文盛堂の人たちと利用する、サラリーマンで賑わっている店だ。
歩夢は石原さんとの「二人だけ」を意識して、店へ歩いているうちから緊張した。店へ入るとほっとした。話のきっかけがあるだろう。メニューを取る。料理を選ぶことで話をしよう。
「何にしようかな」聞こえるように呟く。
「わたし決まった」石原さんは言う。ろくにメニューを見ていない。
「早い、何にしたの」
「揚げ出し豆腐と唐揚げ。それとアボカドサラダ」
何度か利用しているので、メニューはある程度知っているのだ。
あとは、あとでまた頼むわ。飲み物はレモンサワー。そう言ってにっこり笑う。「ゆっくり選んでいいよ」
「いえ、決まりました。ぼくも揚げ出し豆腐と唐揚げに、えっと大根サラダか。飲み物は生ビール」
店員を呼んでオーダーする。
「わたし今回の仕事、本当に楽しかった」石原さんはレモンサワーを一口飲んでから言った。「今まで作ったPOPは新刊本、つまり出版社も宣伝している本が主体でしょ。なのでPOPのせいで売れたのか、お客さんが初めから買うつもりで来店したのか判らないじゃない」
「うん。――あ、なるほど。近代文学は宣伝してないし、あまり売れていないので……」
「そう、POPの効果で売れた、と判断できるでしょ。なんていうか、手ごたえのある仕事だったな。お客様がレジに近代文学の本を持ってくると、ヤッタ、と心の中で叫んでいたんだよ」
「えーっ、ぼくもです。棚から本を取るお客さんを見ると――」
話はPOPから作家と小説のことに移る。石原さん好みはミステリーだ。歩夢も最近はそれを読んでいる。
会話は弾む。石原さんは話も面白いし、歩夢の話に表情豊かに反応してくれる。楽しい、というより気分がいい。波長が合うとは、こういうことだ。
「高橋くん」
「うん?」
「まだ書いているんでしょう」
石原さんは突然話題を変えた。それには慣れた。
「うん、書いているよ。最近あまり時間が取れないけど」
「今まで何作くらい書いたの?」
「えーと、気に入らないものも入れると結構あるけど、自分で気に入ったものは、……七作、かな。『ある逃避』を別にして」
もしかして読んでくれるのかな。と、期待した。そうだったらすごく嬉しい。批評でもいいし、二人の間の話題も増える。
「読んでみたいな。読ませてくれる?」