第27話 ホテル・セントラルフォレスト

文字数 1,754文字

 美沙は悩む。不正がある、らしい、ことを見つけてしまった。
 課長に言おう。いや、三浦課長は頼りにならない。先々月からの指標を見ているにもかかわらず、何も言ってこないし……。管理課長は? いや、彼はもう止そう。社用ランチのことで変に噂が拡がっているし……。総務部長でもある支配人に直接言うか。噂は支配人の耳にも入っているかな、言いづらいな。でも、言えば調査はするだろう。支配人のやり方だと公開で調査するんじゃないかな。大騒ぎになるな~。
 ちょっと待って。もしかしたらこの推測が間違いかもしれない。何人もから話を訊いて、何も無かったら、穿(ほじく)り出したあたしが悪者になってしまう。それに不正があったとしても、不正を暴いたあたしはどう見られるだろう? きっと冷めた目でみられる。
 知らんふりしていよう。この指標は沢山ある会議資料の一つだから気が付く人がいないかも。いや、さすがに誰かは気付くだろう。
 もぉ~、何故あたしが、悩まなきゃいけないんだ? こんなことなら見つけなきゃよかった。
 回ってきた伝票を正確に処理して作った指標だ。それでいいじゃない。あとは上がどう見て、どうするかだ。あたしの仕事でない。
 ――それでいいの? N簿記1級を持っている会計のエキスパートでしょう。帳簿を作成するだけでいいの? 経営管理が出来るからこそ見つけ出したのでしょう。その能力は何のために使うものなの。
 辻村課長の言葉も蘇ってきた。『アナタは回ってきた伝票を処理していればいいのっ。こんなことに口出しするなんて十年早いわよ。何様のつもり』

 咲江は美沙との仲直りのきっかけを伺っていた。美沙が声をかけてくれれば、と思っていたが、なかなか口をきいてくれない。忙しそうに伝票をめくったり、または考え事をしていることもある。会議の資料作りをしているのは判るが、いつもと様子が違う。咲江から声をかけようかと思うが、かけづらい。何してるの? とか、お昼食べに行こう、と言うだけでいいのに。それが出てこない。
 咲江もお喋り相手がいなくて寂しい思いをしているのだ。
 ま、いいか。そのうち自然に仲直りできるわ。

 美沙は三浦課長にも話そうと思った。やはり担当課長を(ないがし)ろにするのは良くない。たぶん『ル・シエル』の食材率が高いことには気がついている。その原因を追わないだけだ。あたしが出来ることは調べてみよう。それから課長と支配人に話そう。
 そう決めると吹っ切れた。
 まず、棚卸表を持って、『ル・シエル』の厨房に行く。食材の管理がどうなっているか見ようと思ったのだ。従業員用のエレベータが昇るにつれドキドキしてくる。当事者(・・・)がいたら怖いな。
 厨房では何人かの調理師が働いていた。仕込み作業だろう。仕事の邪魔だ、と言われるのでないかと緊張する。
「こんにちは。すみません、経理課の小関ですが、ちょっと教えてもらいたいことがあって」と、若い調理師に声をかけた。
 棚卸表を見せて「見えづらいので訊きたいんですけど、この数字5ですか? 6ですか。集計するとゼロコンマの違いにしかならないんですが、一応きちんとしておきたくて」
「えーと、どっちだろう? これ山谷さんの字だけど、今日は休みなんすよ。オレには5に見えるかな。そうそう、山谷さんのクセだ。書くとき跳ね上げるんだ」
 よかった、親切な人だ。
「あー、やっぱり5ですよね。あたしもそう思っていたんです」数字の上になぞり書きをする。
「ありがとう」と言って見回す。「おーすごい、業務用は大きいですね」
 ステンレス製の冷蔵庫やら冷凍庫が四五台ならんでいる。
「業務用だとやはり鍵も付いているんですか?」
 と、ここで肝要なことを訊く。
「いや、付いてないすよ。必要ないすから。閉店するとき、レストラン側の出入り口に鍵をかけるから外部の人間は入ってこれないし」
 すると、奥から「おい、一服だぞ」と呼ばれた。声の方を向くと、一角に立てかけてあったパイプ椅子を出して五六人座っている。調理は立ち仕事が続くので、たまにこうして小休憩をとっているらしい。若い調理師は、もういいすか? と言って奥へ歩いて行った。「ニヤついているぞ」「可愛い子と何を話したんだ?」とからかわれている。
 うん、食材を持ち出すのはやろうと思えばできるな。難しくない。
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