第28話 ホテル・セントラルフォレスト

文字数 2,015文字

 社員が出退勤するときは、通用口を利用する。通用口の脇の部屋には警備員が詰めている。美沙は今まで持ち物の検査をされたことがなかったので、たぶん皆同じだろうと思いつつ出向いた。警備員は怪訝な顔もせず教えてくれた。
 案の定、他の社員にもしないとのこと。規定上は出来るが、したことはないそうだ。
 社員を信用しているといえば聞こえがいいが、こんなんでいいのかな? と美沙は思った。
「ただし……」とその警備員は付け加えた。
「超VIPが滞在するときは違う」と言う。つまり皇族や政府要人が来館するときは、出勤する者に行うことがある。脇に警察官もいてのことだが。
 超VIPか。そういえば昨年民自党のパーティーがあったときは空港と同じ様な金属探知機も設置していたな、大物政治家が何人も来たんだ。ホテル側もピリピリしていたことを思い出した。
「ま、何か変なことがあれば警備日誌に書いておくので、あとは上が処理しているはずだよ」
「ありがとうございます」そこまで聞いて美沙は警備員室を後にした。

 結局、外へ持ち出そうと思えば出来るということは判った。不正は出来るということだ。
 これ以上調べることはないな、お昼にしよう、と考えていると電話が鳴った。料飲部の中森次長からだった。
「ちょっと聞きたいことがあるので、僕のデスクへ来てくれないか。お昼ご飯食べてからでいいよ」と言う。
 なんだろう? 今まで数えるくらいしか中森次長とは話したことがない。仕事の接点もない。まさか、食材のことで何か言われるのかな。あたしが動いていることはまだ知らないとは思うけど……。昨日『ル・シエル』の厨房へ行ったことを聞いたのかも。もしかして、次長の部下が不正をしていたとか? あれだと調理の関係者でなくても可能だ。美沙はまたドキドキしてきた。こんな不安感、嫌だな。
 どこに入ったか分からない昼食を終えて向かった。三階の事務室にデスクはある。近づくと中から話し声が聞こえてきた。ドアは開いている。話し声というより論争のようだ。
「市民が、いえ国民が皆自粛しているのよ。増えないわよ。縮小したままでいいでしょう」
 辻村課長の声だ。
「おいおい、きみは企画広報課長なんだよ。増やすことを考えるくれよ」と中森次長の声。
「確かにそうだけど、私は費用対効果も見るべきと言っているの」
「オープンするのは賛成してくれただろう。集客する方法を考えようよ」
「そう簡単に出ないわ。こういうのは市場の動向も考えるものなの。広告会社も難しいって……」
「広告会社頼りなのか?」と、言って中森次長はドアの外にいる美沙に気づいた。「ああ、約束してた人がきた。この話は後でだ」
 辻村課長は出て行くとき美沙を横目で見た。何しに来たんだ? という顔をしていた。
「ごめんごめん、ビアガーデンのことで話し合っていたんだ。そこの空いている椅子に座って」
 きつかった次長の顔が和らいだ。中にはスタッフも誰もいない。
 ホテル・セントラルフォレストには広い庭園があり、夏季にはそこでビアガーデンを営業している。毎年多くの人が利用してくれる。今年はオープンして間もないが、例年よりかなり利用者が少ない。大災害があったことで多くの人が外食を楽しむことを自粛しているからだ。市民感情としては解る。ただ、このことは被災者の助けにはなっていない、むしろ逆だという意見がある。お金を使って経済を回すことこそ復興に与するというのだ。
「自粛自粛でお客様が来てくれない。何かアイディアはないか意見を求めたんだ。彼女の意見は、今年はお客様を増やすのは難しい、縮小して営業するしかないというんだ」
 僕は何とかして増やしたいんだ、と次長は言う。
 美沙は話を聞いていて、先日ふと思いついたことが浮かんだ。
「あの、いいですか?」と、遠慮がちに言った。「そのことで、あたし考えていたんですけど」
「え? ビアガーデンのこと」
「はい、みんなの気持ちに沿った方法にすれば来ていただけるのではないかと……」
 美沙は自分の意見を語った。
 うん、うんと頷いていたが、聞き終えると中森次長は小躍りするように言った。
「素晴らしい案だ。是非取り入れよう。ありがとう、小関さん!」
 ニコニコ笑って言う。
 大げさに喜ぶ中森次長に、美沙は苦笑した。
「あのー、あたしに話があったのですよね? このことではないですよね」
「あー、そうだそうだ。そうだった」今度は、ワハハと声を出して笑う。美沙の案を得たことがよほど嬉しいようだ。
「そのビアガーデンだが、暑くなる来月からはお客様が増えるんだ。きみの案を採用しなくても幾らかは――。いや、もちろん採用するつもりだが」
 それで、スタッフを増員するのだと言う。学生アルバイトと、先般解雇した人をも考えている。
「宴会サービスにいた高橋くんもリストに入れたのだがね」と、急に真面目な顔になった。「小耳に挟んだのだが、その、彼はきみと一緒に暮らしているの?」
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