第50話 歩夢
文字数 1,565文字
夕食時、美沙が言った。
「プリントもらった人、喜んだ?」
歩夢は、深田さんの電話番号だけでも訊けばよかったな、と悔やんでいた。
「歩夢――」美沙はもう一度呼びかける。
「え?」
「いやーね。歩夢の小説プリントしてあげた人のことよ」
「あ、あぁ。あれか。石原、んと、そいつ休みだった」
おっと、石原と言ってしまった。聞いたかな?
「え~な~に。今朝の早起きはなんだったの」
「ホントだね……。いやいや、ぼくがちゃんと聞いておかなかったんだ」
「あゆむー、今日変よ。どうしたの? 何かあった? 何か考えている?」
判るのか。そうだ、あのことをおしえなきゃ。
「あのね、光談社がまたぼくの小説を――」
深田さんのことを除いて、吉永さんからの電話のことをおしえた。
歩夢は美沙に、二人の女性の秘密を持った。
「すごいじゃない。あたし協力する」
「協力っていったって。何を?」
「家事は歩夢の分もするし、執筆中は静かにしているし」
だからがんばってね、と言ったとき歩夢の携帯が鳴った。理沙からだ。
その電話で冷静になれた。というより、理沙からはあまり嬉しい話はこないから構えてしまう。そういえば、吉永さんと理沙の電話はよく重なるな、そう思って話を聞いた。
電話は、父が女と別れて母のもとへ帰ったというものだ。母の実家へだが。
――あの時、理沙は母を連れて父を迎えに行った。案の定、父は帰ることを拒んだ。一緒にいる女とは冷めているはずなのに、帰らないと言った。
冷めているのに、女と別れない男。それは歩夢の理解を超えてはいない。小説の世界だけでなく、実生活でもあるんだ。それが自分の父親なのは腹立しいが。
母は諦めて岐阜へ戻った。だが先月、理沙は父の元へ歩夢の小説が載っている文芸光談を送った。今はとんでもない父だが、昔は小説好きな青年だったはず。息子の小説を読んで目を覚ましたに違いない、と理沙は言う。
歩夢は違うと思った。堕落していく主人公、中野惟忠に自分を見たのだ。ある部分――愚かな行為――、父を意識して書いた。本人にはそれが解ったに違いない。理沙には言わなかったが。
母と暮らすのはいいけれど、面倒がなければいいなと歩夢は思った。どだい収入が無いだろう。理沙のように単純に父を信じていない。
予想より早く、翌日、吉永さんから電話がきた。次の休みは何時 かと訊く。明後日だと応える。
「二十九日ね。その日行くから。先日のこと詳しく説明するわ。たぶんお昼頃になるけど、空いている?」
空いていた。空いていなくても空ける。
「じゃ明後日。着いたら電話するわね」と電話を切った。
昼休みが一緒になった石原さんにプリントした小説を渡した。
「休みなのを知らないで、昨日持って来ちゃった」
「あら、ごめん。手間をかけたわね」
「そうですよー、せっかく早起きしてプリントしたんだから。石原さんの家に持っていこうかと思ったんですよ」
冗談だった。
「あら、わたしの家知っているの?」
「いえいえ、知りません」
おしえて欲しい素振りを見せたのだろう。
「フフ、おしえない。あ、でも携帯の番号はおしえておくね」
番号を交換しながら「こんなおでぶなおばさんでも女の一人暮らしなのでね」
「そんなことないです。魅力的だと思います。とても。それに、おばさんでないですよ」
「まぁ、ありがとう。友だちからでもそう言われると嬉しいわ」
――友だち、か。
それでも、携帯の番号を交換できたし、良かった。
昼休みが終わり、石原さんと離れると今度は、深田さんのことが頭を占める。
ぼくのことを憶えていてくれたんだ。どうしているだろうか? あと何日かで話ができる。どきどきする。
いや、それより――、本だ。ぼくの小説の。
いや、深田さんのことも小説のことも聞けるんだ。明後日には。
歩夢は関心事を一挙に抱えている。
「プリントもらった人、喜んだ?」
歩夢は、深田さんの電話番号だけでも訊けばよかったな、と悔やんでいた。
「歩夢――」美沙はもう一度呼びかける。
「え?」
「いやーね。歩夢の小説プリントしてあげた人のことよ」
「あ、あぁ。あれか。石原、んと、そいつ休みだった」
おっと、石原と言ってしまった。聞いたかな?
「え~な~に。今朝の早起きはなんだったの」
「ホントだね……。いやいや、ぼくがちゃんと聞いておかなかったんだ」
「あゆむー、今日変よ。どうしたの? 何かあった? 何か考えている?」
判るのか。そうだ、あのことをおしえなきゃ。
「あのね、光談社がまたぼくの小説を――」
深田さんのことを除いて、吉永さんからの電話のことをおしえた。
歩夢は美沙に、二人の女性の秘密を持った。
「すごいじゃない。あたし協力する」
「協力っていったって。何を?」
「家事は歩夢の分もするし、執筆中は静かにしているし」
だからがんばってね、と言ったとき歩夢の携帯が鳴った。理沙からだ。
その電話で冷静になれた。というより、理沙からはあまり嬉しい話はこないから構えてしまう。そういえば、吉永さんと理沙の電話はよく重なるな、そう思って話を聞いた。
電話は、父が女と別れて母のもとへ帰ったというものだ。母の実家へだが。
――あの時、理沙は母を連れて父を迎えに行った。案の定、父は帰ることを拒んだ。一緒にいる女とは冷めているはずなのに、帰らないと言った。
冷めているのに、女と別れない男。それは歩夢の理解を超えてはいない。小説の世界だけでなく、実生活でもあるんだ。それが自分の父親なのは腹立しいが。
母は諦めて岐阜へ戻った。だが先月、理沙は父の元へ歩夢の小説が載っている文芸光談を送った。今はとんでもない父だが、昔は小説好きな青年だったはず。息子の小説を読んで目を覚ましたに違いない、と理沙は言う。
歩夢は違うと思った。堕落していく主人公、中野惟忠に自分を見たのだ。ある部分――愚かな行為――、父を意識して書いた。本人にはそれが解ったに違いない。理沙には言わなかったが。
母と暮らすのはいいけれど、面倒がなければいいなと歩夢は思った。どだい収入が無いだろう。理沙のように単純に父を信じていない。
予想より早く、翌日、吉永さんから電話がきた。次の休みは
「二十九日ね。その日行くから。先日のこと詳しく説明するわ。たぶんお昼頃になるけど、空いている?」
空いていた。空いていなくても空ける。
「じゃ明後日。着いたら電話するわね」と電話を切った。
昼休みが一緒になった石原さんにプリントした小説を渡した。
「休みなのを知らないで、昨日持って来ちゃった」
「あら、ごめん。手間をかけたわね」
「そうですよー、せっかく早起きしてプリントしたんだから。石原さんの家に持っていこうかと思ったんですよ」
冗談だった。
「あら、わたしの家知っているの?」
「いえいえ、知りません」
おしえて欲しい素振りを見せたのだろう。
「フフ、おしえない。あ、でも携帯の番号はおしえておくね」
番号を交換しながら「こんなおでぶなおばさんでも女の一人暮らしなのでね」
「そんなことないです。魅力的だと思います。とても。それに、おばさんでないですよ」
「まぁ、ありがとう。友だちからでもそう言われると嬉しいわ」
――友だち、か。
それでも、携帯の番号を交換できたし、良かった。
昼休みが終わり、石原さんと離れると今度は、深田さんのことが頭を占める。
ぼくのことを憶えていてくれたんだ。どうしているだろうか? あと何日かで話ができる。どきどきする。
いや、それより――、本だ。ぼくの小説の。
いや、深田さんのことも小説のことも聞けるんだ。明後日には。
歩夢は関心事を一挙に抱えている。