第48話 歩夢

文字数 1,453文字

「もちろん、喜んで――」と応えようとしたら、
「あ、それでね」石原さんは遮った。
「麻沙美のような子が登場する小説ってあるかしら? ある逃避の主人公の娘の」
「え? 麻沙美が登場する?」
「いや麻沙美でなくても、あのようにパワーのある少女が出てくる小説ってこと。もしあればそれをまず読みたい」
 石原さんが言うには、麻沙美のような、困窮の中にあっても明るく活発なキャラに感心した。――彼女の思考や行動が面白かったのだそうだ。
 残念だが、それはない。
 そう答えて思い出した。麻沙美は妹の理沙をモデルにした。そして理沙の子供の頃を描いた短編ならある。上手く書けなかったので、気に入らない部類の方に。
「あまり面白くないと思うけど、いいかな?」
「うん、いいよ。じゃそれと、あと高橋くんのお薦めを二点くらい。あ、ごめん言い直し。面白いかどうかは読者が決めるんでした~」
 舌を出して、にこりと笑う。
 ああ、いいなー、この笑い顔。歩夢は自分に呟いた。

「高橋くん、そろそろ帰ろうか」
 しばらく話してから、石原さんは言った。次には行かない。いつものことだ。新年会で三次会までつき合ったのはどうしたのだろう? いつか訊こうと思う。
 そして、自分でも驚くことを言った。
「あの、石原さん。高橋くん、って呼ぶのもうそろそろ、止めてもいいのでないでしょうか」
 石原さんは不思議そうな顔をしている。
「その……、歩夢と呼んで」、欲しい、とまでは言えないでいる。
「え?」
「つまり、……ぼくも朋美と」、呼びたい、とまで言えない。
「わー、どうしたの」口を満月のようにして驚いている。
 個人的に親しくなりたい。これが喉の奥にある。出せないけれど。
「えーと、職場の先輩後輩でなく、友だちになりたい、かなと……」
 うん、ソフトな言い回し。これで分かるだろう。
「えー、あぁ、そういうこと」
 石原さんの表情は言葉の度に変わる。いいなー。歩夢はまた思う。
「お互いを歩夢、朋美、と呼ぶの? どこかの国の首相みたいな提案ね」
 フフと笑う。
「でも、それで友だちになったと思うかな? あと、店では、歩夢、って呼べないよ。高橋くんも」、一呼吸おいた。「朋美、と呼べる? わたしは、高橋くんのことを……いやだ、呼びにくくなっちゃうじゃない」困った様子を見せているが笑っている。「くん付けで呼ぶけれど友だちだと思っているよ」
「あ、そうなんですね。でもぼくは、石原さんを仕事を教えてくれる先輩、と思っちゃうので、もう一段近しくなりたいと」
「あらら、充分近しいでしょ~。だから二人ここにいるわけだし。それとも……え?」
 最後の一言は口の中で言った。
 ――え? の後、石原さんはちょっとの間考えて、そして続けた。
「高橋くん、は、わたしのもっとも親しい友だちの一人。わたしのこともそう思って。ね、それでいきましょ」
 きっぱりしと、しかしにこにこ笑って言った。
 親しい友だちか。歩夢は、「うん」と応えた。
「今日は楽しかった。小説も楽しみにしてる」
 じゃ、会計しようか。割り勘ね。そう言って石原さんは立ち上がった。
「品ごとで分けるの面倒だから合計を半分ずつにしていいでしょ」
 支払いを済ませて通路を歩きながら歩夢は、「あの、またこういう風につき合ってもらえますか?」と言った。
「いいわよ」
 斜め前を歩く石原さんの顔は見えなかった。笑顔さ、としか歩夢は考えなかった。
 部屋に帰ると、美沙が起きて待っていたが、歩夢はすぐ寝た。石原さんの笑顔を胸に抱いて眠った。
 次の日、歩夢に一大事が待っていた。
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