第36話 美沙
文字数 2,045文字
真由美の結婚式と披露宴を、美沙は楽しんだ。友人の幸せそうな表情を観たのと、美沙自身も幸せな気分だったから尚更だ。「幸せになってね」、美沙は心よりそう思った。
翌日。
午前の列車で帰る。いつもは昼過ぎに立って夕方仙台に着くようにしているのだが、早く歩夢に会いたくなったからだ。
「なんでまた早いの? 急に」母親は荷物にいろいろ詰め込みながら言う。
「あんまり重くならない程度にして」美沙は有り難く思いながらも、言う。
父親もぶつぶつ言いながら、駅まで送ってくれた。
ただいまー、と勢いよくドアを開けてとびっきりの笑顔を歩夢に見せる。つもりだった。
あれ? ドアに鍵がかかっている。なんだ、出かけているのか。
がっかりして部屋に入る。買い物かな? すぐ帰ってくるだろう。母親が持たせてくれた食料や食材と、夕食に食べようと買ってきた駅弁を冷蔵庫にしまい、着替えをする。しかし、三十分、一時間、と経っても来ない。
小さな不安にかられる。携帯電話を手に取る。待てよ、もしかして出て行ったとか? もしそうなら、それを告げられるのが怖い。あの「好きだよ」は別れの、置き土産だったのでは? 考えると不安はどんどん膨らんでくる。そんなことないわ。考えた末、電話をした。テレビの横で携帯が鳴った。歩夢のだ。もうー、忘れていったの。
捜しに行こう。でも当ては?
一時間待ってみよう。テレビを点け、見るともなく見る。
二時間経った。やっぱり捜しに行こう、とりあえず本屋あたりと立ち上がったとき、
ガチャ。ドアが開く音。「あー、いた居た」と声。歩夢だ。
美沙は大股でドアへ向かい、
「何よ。何が、あー、いた居たよ。何処に行ってたのよ」と怒った。顔は泣いている。
歩夢は美沙を迎えに仙台駅に行っていたのだ。サプライズ――喜ばそうと思ったのだ。夕方着くはずだが、少し早い時間から待っていた。それで、すれ違いになったらしい。
何本もの仙山線の到着を見ても現れないので、歩夢は歩夢で心配していた。
「美沙、ごめん」
不安な思いをさせてしまったんだねと言い、歩夢は泣いている美沙をやさしく両腕で包んでくれた。
ああ、
――もうこうしてくれるだけで充分。謝らなくていいわ。
美沙はさっきの怒りの何倍もの幸せをもらった。
夕食に摂った駅弁は、冷えていた。が、心が暖かくなっていたので、とても美味しかった。
食後、歩夢は書きあがった小説を美沙に読ませた。昨日プリンタを買ったそうで、印刷をしたものだ。
「プリンタはあたしが買うつもりだったのに、もう一日待てなかったの」と美沙は言って、それでも用紙を手に読み始めた。
先にパソコンで読んだもの――『ある逃避』という題――も印刷していた。それも読んだ。
二編読み終えたら、日付けが変わっていた。
「どちらが良かった?」歩夢が訊く。
このうち一点を光談社の文芸誌「文芸光談 新人コンテスト」に応募するという。一人一点までなので美沙の意見を訊いたのだ。
『ある逃避』と『不器用な青春』。
ある逃避は前に読んだとき、父親をモデルにして、話を膨らませていったと聴いていた。
不器用な青春は、高校から大学を卒業するまでの青年の、二つの失恋を描いている。
ある逃避の方がいいわ、と美沙は応えた。本当は不器用な青春の方が面白かったのだが、歩夢の過去の恋が描かれているのかなと思い、登場する女性に嫉妬感を覚えたのだ。他の人に読ませたくないな。――登場人物に嫉妬するなんて、あたしどうかしている。
「そうか、じゃ、ある逃避を出そう」歩夢はにっこり笑って言った。「どちらにするか迷っていたんだ」
「え、あたしの一言で?」
「ま、初めての応募だし、入選するわけないよ。まず、美沙がいいと言った作品を出そうと思っていたんだ」
美沙は、少し心が痛んだ。
そして、歩夢は美沙にもう一ついい話をした。ホテルの中森次長から書店店員の面接を勧められたのだ。中森次長の友人が専務をしている、文盛堂という仙台市内に六店舗を構える老舗の書店だ。もちろん歩夢は承諾した。面接日は五日後だ。
さらに、休暇中の出来事はそれだけでなかった。出社すると、驚くことが起きていた。
咲江が辞めていた。
急だった。
理由を訊き、引き留めたが何も言わず、辞めさせてくださいの一点張りだったそうだ。
また、こちらも急だが、社長交代の人事が発表されていた。今の社長は本部総務部付け。新社長には監理部の池田が内定していた。この人事でショックを受けたのは辻村課長だ。辞めるのではないか、という噂がたった。――噂どおり、一ヶ月後に彼女は辞めた。
咲江が辞めたことのショックは大きかった。ぎくしゃくしたまま、ろくに話もしないうちにこうなるとは。電話をしてみたが、繋がらない。どうやら着信拒否されているようだ。美沙は気持ちが沈んだ。
――しばらく経ってからだが、咲江の部屋を訪ねてみた。引っ越しをしていた。きっと地元に帰った木立さんの元へ行ったのだ。そう思い自分を納得させた。
翌日。
午前の列車で帰る。いつもは昼過ぎに立って夕方仙台に着くようにしているのだが、早く歩夢に会いたくなったからだ。
「なんでまた早いの? 急に」母親は荷物にいろいろ詰め込みながら言う。
「あんまり重くならない程度にして」美沙は有り難く思いながらも、言う。
父親もぶつぶつ言いながら、駅まで送ってくれた。
ただいまー、と勢いよくドアを開けてとびっきりの笑顔を歩夢に見せる。つもりだった。
あれ? ドアに鍵がかかっている。なんだ、出かけているのか。
がっかりして部屋に入る。買い物かな? すぐ帰ってくるだろう。母親が持たせてくれた食料や食材と、夕食に食べようと買ってきた駅弁を冷蔵庫にしまい、着替えをする。しかし、三十分、一時間、と経っても来ない。
小さな不安にかられる。携帯電話を手に取る。待てよ、もしかして出て行ったとか? もしそうなら、それを告げられるのが怖い。あの「好きだよ」は別れの、置き土産だったのでは? 考えると不安はどんどん膨らんでくる。そんなことないわ。考えた末、電話をした。テレビの横で携帯が鳴った。歩夢のだ。もうー、忘れていったの。
捜しに行こう。でも当ては?
一時間待ってみよう。テレビを点け、見るともなく見る。
二時間経った。やっぱり捜しに行こう、とりあえず本屋あたりと立ち上がったとき、
ガチャ。ドアが開く音。「あー、いた居た」と声。歩夢だ。
美沙は大股でドアへ向かい、
「何よ。何が、あー、いた居たよ。何処に行ってたのよ」と怒った。顔は泣いている。
歩夢は美沙を迎えに仙台駅に行っていたのだ。サプライズ――喜ばそうと思ったのだ。夕方着くはずだが、少し早い時間から待っていた。それで、すれ違いになったらしい。
何本もの仙山線の到着を見ても現れないので、歩夢は歩夢で心配していた。
「美沙、ごめん」
不安な思いをさせてしまったんだねと言い、歩夢は泣いている美沙をやさしく両腕で包んでくれた。
ああ、
――もうこうしてくれるだけで充分。謝らなくていいわ。
美沙はさっきの怒りの何倍もの幸せをもらった。
夕食に摂った駅弁は、冷えていた。が、心が暖かくなっていたので、とても美味しかった。
食後、歩夢は書きあがった小説を美沙に読ませた。昨日プリンタを買ったそうで、印刷をしたものだ。
「プリンタはあたしが買うつもりだったのに、もう一日待てなかったの」と美沙は言って、それでも用紙を手に読み始めた。
先にパソコンで読んだもの――『ある逃避』という題――も印刷していた。それも読んだ。
二編読み終えたら、日付けが変わっていた。
「どちらが良かった?」歩夢が訊く。
このうち一点を光談社の文芸誌「文芸光談 新人コンテスト」に応募するという。一人一点までなので美沙の意見を訊いたのだ。
『ある逃避』と『不器用な青春』。
ある逃避は前に読んだとき、父親をモデルにして、話を膨らませていったと聴いていた。
不器用な青春は、高校から大学を卒業するまでの青年の、二つの失恋を描いている。
ある逃避の方がいいわ、と美沙は応えた。本当は不器用な青春の方が面白かったのだが、歩夢の過去の恋が描かれているのかなと思い、登場する女性に嫉妬感を覚えたのだ。他の人に読ませたくないな。――登場人物に嫉妬するなんて、あたしどうかしている。
「そうか、じゃ、ある逃避を出そう」歩夢はにっこり笑って言った。「どちらにするか迷っていたんだ」
「え、あたしの一言で?」
「ま、初めての応募だし、入選するわけないよ。まず、美沙がいいと言った作品を出そうと思っていたんだ」
美沙は、少し心が痛んだ。
そして、歩夢は美沙にもう一ついい話をした。ホテルの中森次長から書店店員の面接を勧められたのだ。中森次長の友人が専務をしている、文盛堂という仙台市内に六店舗を構える老舗の書店だ。もちろん歩夢は承諾した。面接日は五日後だ。
さらに、休暇中の出来事はそれだけでなかった。出社すると、驚くことが起きていた。
咲江が辞めていた。
急だった。
理由を訊き、引き留めたが何も言わず、辞めさせてくださいの一点張りだったそうだ。
また、こちらも急だが、社長交代の人事が発表されていた。今の社長は本部総務部付け。新社長には監理部の池田が内定していた。この人事でショックを受けたのは辻村課長だ。辞めるのではないか、という噂がたった。――噂どおり、一ヶ月後に彼女は辞めた。
咲江が辞めたことのショックは大きかった。ぎくしゃくしたまま、ろくに話もしないうちにこうなるとは。電話をしてみたが、繋がらない。どうやら着信拒否されているようだ。美沙は気持ちが沈んだ。
――しばらく経ってからだが、咲江の部屋を訪ねてみた。引っ越しをしていた。きっと地元に帰った木立さんの元へ行ったのだ。そう思い自分を納得させた。