7-11:世界の終わりとリアルモンスターワールド(2)
文字数 1,723文字
「三百万でしたっけ? そんなはした金で文豪になれるわけもなし、たとえウン千万叩いて比類なき文才を得たとしても虚しいだけでしょう。親から借りるなりローンで払うなりしてぼくが弁償しますから、もう一度ひたむきに創作と向きあってみるべきでは?」
「そうじゃねえよバカ野郎!! お前は自分がやらかしたことの意味をわかっちゃいない!! せっかくの段取りをめちゃくちゃにしやがって!!」
ぼくは怒りのあまり、兎谷三為の胸ぐらをつかむ。
しかし彼はこちらの行動を予期していたように、冷めた顔のまま見つめ返してくる。
原稿が紛失する前に、自らの手で引き裂いてしまうとは。
選ばれるべきなのに。選ばれたはずだったのに。
兎谷三為は拒んでしまった。
このままだと物語がはじまらない。
結末にたどりつかない。
定められていたはずの筋書きが、バラバラの紙くずに変わってしまった。
「でもこれがぼくの答えなんです、先生。ほかのなにかに頼らずに、自分の力で小説を書くべきだ。でなければ作品に魂を込めることはできないと、そう信じていますから」
くそ、正論ばかり吐きやがって。
救いがたいほど甘ったれた考えだ。
理想しか見ちゃいない。現実ってものをまったく理解しちゃいない。
だけど兎谷三為の言葉は、かつてぼくが伝えようとしていたものなのだ。
金輪際先生に。
つまりは今のぼくに。
「本当は自分でも気づいているはずだ。だから孤独で、苦しんでいる。現実と向きあいましょう、先生。どれだけ道が険しくとも、苦境を乗り越えた先に真の傑作が生まれるのではないですか。あなたに必要なのは――」
「わかったような口をきくな! お前はまだ本当の挫折を味わっちゃいないだろうが!! 何度も何度も期待して、そのたびに心を折られて、それでも考えて考えて書き続けて、なのに結局なにも残らなかった、あのときの絶望を知らないくせに!!」
ぼくは兎谷三為の首をギリギリと絞めあげる。
しかし彼はいっさいの抵抗を見せず、どころか嘲るように笑った。
「知らないわけがないでしょう。だってぼくは、あなたが作りだした語り部なのだから」
「ああ、ちくしょう……。そうやってまた趣向を凝らしたつもりかよ、欧山概念……」
結局のところ、目の前にいる青年だって小説の登場人物にすぎないのだ。
しかしミユキに斬られて罵倒されたときも、ガルディオスに懇願されたときも、これほどの痛みと悲しみを覚えはしなかった。
若かりしころ胸に抱いた理想の自分に、落胆のまなざしを向けられる。
これほどの地獄がどこにある?
……だめだ。もう耐えられない。
ぼくは腕にさらなる力をこめて、兎谷三為の首を締めあげる。
「ハハハ、やめてくださいよ。そんなことをしたところで、なにも変わりはしないのに」
「うるさいうるさいうるさい! お前がはじめないのなら、終わらせるつもりもないのなら、ぼくがこの手で終わらせてやるよっ! 絶対小説という物語をなあ!!」
「そしてまた最初から、やり直すんですか? 懲りない人だなあ」
自らの手の内で、兎谷三為がケタケタと笑う中――周囲の景色が砕けたガラスのようにぱらぱらぱらと崩れ去っていく。
それはいつぞやに見た世界の終わりのようでいて、だけど決定的になにかがちがっているように感じた。
ぼくはハッとして、もうひとりのぼくを見る。
「内容が気に入らないからって、そうやって何度もリセットされるのは迷惑なんですよね。そもそもこの世界は、あなたが望んで作りあげたものだというのに」
「ちがう……。欧山概念が……あの怨霊のせいで、ぼくは」
「だからさあ、なんでもかんでも他人のせいにするのはやめましょうよ」
兎谷三為は首を絞められたまま、ぼくの言葉を鼻で笑う。
見透かされている。そう思った。
当たり前だ。
こいつはもうひとりの自分なのだから。
そして彼は、ぼくが最初から気づいていた事実を告げる。
「いませんよ、どこにも。欧山概念なんて。すくなくともこの世界には、ね」