6-3:よく見ろ、ミドリムシみたいなツラじゃねえか。
文字数 4,896文字
ぼくは欧山概念の魂に操られて、偽勇者の再生譚という作品を書きあげた。
そして同じように操られていた金輪際先生も、まったく同じ内容の小説を書いていた――これが真実なのだとしたら、とてもじゃないが穏やかではいられない。
ぼくはライトノベル作家であり、ゆえに自分の作品に誇りと愛着をもっている。
だというのに百年前に成仏するべき文豪の魂にワープロ代わりとして使われて、あまつさえ怨霊の手によって生みだされた作品を、自身の最高傑作だと信じきっていたのである。
許せなかった。
心血を注いで書いたはずなのに、それが自分のものではないということが。
なにか大切なものを、横から奪われたような気分だった。
「ちくしょう……。こんなの、パクられていたほうがまだマシだったよ!」
ぼくは自暴自棄になって自分の手を、絶対小説の文字が浮かぶ指先を、路地に立てかけられた看板に叩きつけた。
鈍い音が響くとともに、じわりと血がにじんでくる。
しかし肌に刻まれた文字は以前のように消え失せることはなく、まるで欧山概念が我の力を認めよとでもいうように、今なお呪詛のように忌まわしい模様を描いていた。
ぼくは内側に潜む怨霊を力づくで追いだそうと、さらに強く看板を殴りつけようとする。
だけどまことさんが慌てて止めに入って、今にも泣きそうな声で訴えてきた。
「兎谷くん、冷静になってよ。作家にとって指先は大事な商売道具じゃないの。そんなふうにしたってなにも解決しないんだから、ね?」
「わかってるよ! でも、ぼくは小説が書きたいんだ! 自分の物語を作りたいんだ! 最高のものが書けたと思っていたのに!! だから、これからも最高のものが書けるって、そう思っていたんだよ!!」
そこで心のダムが決壊し、へなへなと地べたにしゃがみこむ。
道ゆく人々がけげんな視線をそそぐものの、まことさんと痴話ゲンカしているものだと誤解していることだろう。
「いずれにせよこのままじゃ、欧山概念の奴隷だ。あいつの代筆者として原稿を書いて、血反吐にまみれて傑作を生みだしたとしても、それはぜんぶ欧山作品になっちまう。結局のところ望むとも望まぬとも、絶対小説の力を得た時点で、自分の小説なんてものは書けやしないじゃないか……」
そう言ったあとでふと、金輪際先生のことを考える。
当初はパクられたと勘違いして怒りに駆られてしまったけど――あるいは自分と同じ状況に陥った彼も、ぼくと同じような苦しみを、身体の内側から焦げついていくような怒りを、今も味わっているのだろうか。
あるいはネオノベルの拷問だけでなく、欧山の奴隷となったことが原因で、あのひとは心を病んでしまったのかもしれない。
もしそうなのだとしたら、本当にやりきれない気分になってくる。
それにぼくだって、いつまで正気を保てるかわからないくらいなのだ。
「最初からこんなものは望んじゃいなかったよ。なにかの力に頼って小説を書きたいなんて考えちゃいなかったさ。なのに文豪の力だって? そんなもの、クソくらえだ」
「うん、あなたはずっと……そう言っていたね。だからわたしも応援したくなったの」
ぐちゃぐちゃになっているぼくの姿を見ても、まことさんはいつものように優しく声をかけてくれる。
おかげで自分の芯が根っこから砕かれても、どうにか立ちあがることができた。
「……この呪いを、どうにかしなくちゃ」
そう、文豪の力は呪いでしかない。
今まではずっと逃げていた。
正体すらわからない欧山概念の影を恐れ続けていた。
でも、それじゃダメなんだ。
目を背けずに、立ち向かわなくちゃいけなかったのだ。
最後まで勇気づけてくれたまことさんの手を握り、ぼくは力強く歩きだそうとする。
しかし彼女は困ったような声で、
「どうにかしなくちゃって、具体的になにをするつもり? ていうか今から、どこに向かおうとしているの」
「そ、そうだね……。ごめん、さっぱりわからないや」
しどろもどろになってそう答えると、まことさんは呆れたような顔をする。
悲しいかな、引きこもりのラノベ作家が女の子の前でかっこよく決めようとしたところで、うまくいくわけがないのだった。
◇
呪い。オカルト。
となれば、専門家のアドバイスを求めるべきだ。
かつての占いの館は全焼してしまったため、今は高田馬場にある別のテナントで、僕様ちゃん先生は店を構えていた。
ぼくらがそこに足を運び、彼女にひととおりの事情を説明すると、
「ふむふむふむ。あのあとも大変だったようじゃのう、兎谷。まあそうなるとわかっておったから、僕様ちゃんは巻きこまれる前に退散することにしたわけだが」
「言ってしまえばカルトの教祖さまと駆け落ちして、私設部隊とか持っている集団に追われているわけですからね……。しかもその状況でぼくは、身体に憑依している怨霊を成仏させようと考えているのだから、自分でもいやになるくらい大変っちゃ大変ですよ」
「とはいえおかげで非モテのクソ童貞がこんなに可愛い女の子をゲットできたのだから、対価としちゃ十分であろ。しかしまこちゃんは趣味が悪いなあ。よく見ろ、ミドリムシみたいなツラじゃねえか」
「でも慣れると可愛いもんですよ、このミドリムシ」
「あのさ、僕様ちゃん先生はともかくまことさんはもうちょいフォローしてくれないの?」
ぼくががっくりと肩を落としてそう言うと、ふたりはクスクスケラケラと笑う。
しかし僕様ちゃん先生はやがて真剣な表情を浮かべて、こう言った。
「新シリーズの件は残念だったな。僕様ちゃんもバタバタしていたのでラノベの情報までは拾っておらなんだが、まさか金輪際くんが偽勇者の再生譚を出版しておるとは……しかもあれが正真正銘の欧山作品だっていうのだから、驚くどころか理解が追いつかぬ」
「ぼくだってこうして説明している今も、気持ちの整理なんてついちゃいませんよ」
「お前の気持ちは推し量ることしかできないとはいえ、最高傑作だと思っていたはずのものが、己の実力ではないと認めるのは辛かろう。しかし――あくまで立ち向かうというのだな?」
無言でうなずくと、僕様ちゃん先生は難しい顔をする。
彼女はぼくの覚悟を試すように、こう言った。
「あの小説がプロット段階から欧山のものだとしたら、お前はいったいいつから絶対小説の力の影響を受けていた? 仮に原稿を読んだその日の時点ですでに文豪の魂に操られていたのなら、僕様ちゃんが読んだ河童の楽園の短編ですら、お前の作品ではないということになってしまうぞ」
「そうですね。もしかするとぼくの作品と呼べるものは、僕様ちゃん先生にも酷評されたデビュー作だけ、かもしれません。だから今後なにもかもうまくいって絶対小説の呪いを解くことができたとして――自分の力だけで新作を書いたとしても、それは偽勇者の再生譚より数段劣る内容になる可能性は高いです」
「なるほど、きちんと理解しておるようだな。ヘタすりゃ僕様ちゃんだけでなくまこちゃんにもボロクソに叩かれて『こんな才能のないミドリムシ野郎とはやっていけないわ』なんて別れ話を切りだされるやもしれぬ。まさしくどん底よな」
「だとしても自分の力だけで書いた小説を、これが今の最高傑作だって誇りたいですよ」
ぼくがそう断言すると、僕様ちゃん先生は「その意気やよし」と満足げにうなずく。
隣でまことさんが「……わたし、そんなにひどい女だと思われているわけ?」とぷりぷり怒っているので、そこら辺のフォローもできれば入れておいてほしいところだ。
とはいえ、ここからが本題である。
「で、どうやったら欧山概念を成仏させることができると思います?」
「知るわけねえだろ、そんなもん」
「えええー……。オカルトの専門家でしょ。なにかいいアイディアはありませんか」
「そう言われてものう。こればっかりはさっぱりわからんぞ。状況が特殊すぎる」
しかしなにもアドバイスしないのも沽券にかかわると思ったのか。僕様ちゃん先生は金髪ツインテールを指でくるくる巻きながら、しばし頭をうならせる。
そして、
「兎谷と金輪際くんの両方に欧山概念が憑依しているってのは、どういう状態なのだろうな。魂が分割? いっそお前らふたりをバトらせてみるとか。そんで対消滅を狙う」
「そんなめちゃくちゃな……。パズルゲームの玉じゃないんですから」
「だが、別々の肉体に原稿の力が宿っているということに、今回の問題を解決する鍵が隠されている気がしてならないのよな。金輪際くんが今どうなっているのかわからんし、まずはそこから調べてみるか」
当てずっぽうの推測とはいえ、腐っても占い師の直感だ。
ほかになにも思いつかない以上、彼女のアドバイスに従って事を進めるとしよう。
ぼくは手持ちのスマホで、金輪際先生の手がかりを探そうとする。
とりあえず偽勇者の再生譚を刊行したレーベルについて調べると……版元は通常の出版社ではなく、最近よく耳にするIT企業だった。
そう、BANCY社。
田崎氏はどうやら自分のところで、AI作家をデビューさせるつもりらしい。金輪際先生はレーベル立ち上げの際に、数合わせとして呼ばれたのだろうか。
「でも、あの人も元々はクラスタのメンバーだったんだよな。ここでも欧山概念が絡んでくるとなると、なにか意味があるのかもしれない……うーん、きな臭い流れだ」
「ねえねえ、兎谷くん。わたしも僕様ちゃん先生にパソコンを借りてひさしぶりにネット見てたんだけど、埼玉になんかすごいUMAいるらしいよ」
「待って、なんで全然関係ないものを調べてるの。そういえば君ってチュパカブラとか河童とか大好きだったよなあ。で、ついにツチノコでも発見されたわけ?」
「ううん、マンドラゴラだって。謎の食肉植物」
金輪際先生の件に気を取られていたせいか、彼女の話を聞き流しそうになっていたところで、ひとつ思い当たることがあって、ぼくはガバッと振り返る。
「もしかしてそれって木霊!? 埼玉だよね!?」
「どうしたの急に食いついて。兎谷くんが言っているのって、欧山の二次創作で書いた妖怪でしょ? ビオトープじゃないんだから現実と小説をごっちゃにしないでよ」
「ええ……。よりにもよって君にそんなことを言われるとは、思っていなかったな」
概念クラスタでは遺伝子改良して欧山作品に登場する妖怪を作りだそうとしていたというし、ぼくはぼくで河童の楽園の夢を見た帰り道、得体の知れない植物の種を道ばたに捨てているのだ。
そのせいか木霊がついに化けて出てきたのかと思ってぎょっとしたのだが――重度のオカルトマニアに素面で返されると、さすがに考えすぎだったかもと冷静になってくる。
しかし当のまことさんが、
「あ、でもこのニュース自体はガチみたい。ちゃんとしたソースがあるし」
「マジかよ。ええと……最近になって巷を賑わせていた害獣の正体は、謎の食肉植物だった!! 埼玉の山奥に設立されていたバイオテック工場が無許可で川に薬物を垂れ流していたため、薬物汚染された作物のひとつが突然変異して家畜を襲っていた!? なにこれ、完全にB級映画の設定じゃないか。やっぱりガセじゃないのこれ」
しかしまことさんからマウスを奪ってスクロールすると、出所は真面目なニュースサイトだった。
さらに検索すると逮捕者まで出るほどの大事になっているようで――バリバリに怪しい内容なのに、ネットに転がっているソースのすべてが記事は真実なのだと示している。
発見されたマンドラゴラの画像が載っていたので確認してみると、それはずばり夢の中で出会った木霊そっくりの、クリーチャーだった。