6-11:なんでも思いどおりになるということは、あらゆる娯楽を失うに等しい。
文字数 4,980文字
しかし田崎氏が合い言葉を言い放ったあともとくに変化が起こることはなく、アルファベットと数字の羅列が延々とスクロールを続けていった。
「おかしいな、AIがミサイルを発射しませんぞ。音声入力に反応しなかったのでしょうか。えーえーえー! ゴホン! 俺たちの戦いはこれからだ!! 俺たちの戦いはこれからだ!! あっれえ?? まさかこのタイミングでフリーズとは。ちょいとお待ちを」
しどろもどろになりながら、田崎氏は懐からデバイスらしきものを取りだす。
音声入力から手動に切り替えたようだけど、それでも発射装置のハッキングを行っているという画面は沈黙を保ったままだ。
……最初にハッキングしたときは暴走で起こった事故だったというし、今回は逆になんらかの不具合によってAIが合い言葉を認識しなくなったのだろうか。
だとすれば、この世界は幸運にも打ち切りをまぬがれたのかもしれない。
ほっと安堵の息を吐いていると、隣のまことさんが囁きかけてくる。
(今のうちにあのおっさんを取り押さえちゃえば?)
(そうしたいのはやまやまなんだけど……周囲のメカの対処はどうしよう。ハッキング用のAIはともかくドローンとかパンデモニウムもどきは田崎氏の指示で動くみたいだし)
するとこちらの狙いを察したのか、無機質な番人たちは主を守ろうと彼のところに近づいていく。
ミサイルの発射を今度こそ阻止したいところだけど、ヘタに手を出すとまことさんともどもミンチにされかねない。
残念ながら今のところ、ぼくらにできることはなにもなさそうだ。
ところが――。
「ぬおっ!? 急にどうしたというのだ!! やめ……やめろ!」
手動でAIを操作しようとしていた田崎氏が、警備メカやクリプタリオン三号にいきなり小突かれて悲鳴をあげる。
まるでライオンに押し倒された飼育員のような有様で、彼が制止させようとするたびに、物言わぬ機械たちがゴツ、ゴツ、とじゃれつくようにアタックを続けていった。
(いったいなにがどうなっているのかしら、これ)
(AIが命令を聞かなくなっているのかな……?)
ぼくとまことさんは目の前で起こっている惨劇に怯えながら、小声で話しあう。
やがてSFメカは動きを止めたものの、田崎氏は地べたに転がったまま動かない。うめき声が聞こえてくるので、死んでいるわけではなさそうだけど……。
(そういえば世界の終わりとリアルモンスターワールドのあらすじだと、AIの暴走が引き金になって世界が滅びることになっていたわよね。だとしたら周囲のメカがあのおっさんの制御を離れたのも、当然って言えば当然の結果なのかも)
(あくまで絶対小説の力で現実が改変されているのなら、ってことかい。それが事実なら完全に自爆じゃないか。お願いだからこっちまで巻き込まないでくれよ……)
ぼくが恐怖のあまり冷や汗を垂らしていると、さらにゾッとするようなことが起こった。
突如として頭上に、巨大な男の顔が浮かびあがったのだ。
『ハハハッ!! フハハハハッ!! これは傑作じゃないか、なあ兎谷くん!!』
しかし大音量で響き渡ったその笑い声は、ひどく馴染みのあるものだった。
渋谷の居酒屋で、あるいは出版社の休憩室で、はたまた謝恩会の席で――彼が笑うところを何度も見てきたのだから。
面白い冗談を聞いたような表情を浮かべている立体映像に、ぼくは言った。
「こ、金輪際先生……?」
『君が元気そうでなによりだよ。こうして話をするのは、温泉のとき以来かい』
そこでズームされていた映像がスッと引いて、金輪際先生の全身が映しだされた。
いつのまにやらサイバーな椅子と額に貼りつけられたケーブルを取り払われていて、特別な行事のとき以外では披露することのないスーツ姿で、暗闇の中に佇んでいる。
彼のまなざしには確固たる理性の色が宿っていて、よだれを垂らしうわごとを呟いていたころの面影はどこにもない。
「まさか、正気に戻ったんですか? でもなぜ、このタイミングで……」
『時が満ちたから。あるいは定められたシナリオが佳境に入ったから、と説明しておくべきだろうね。つまり私の心は致命的に壊れていたわけではなかったということさ』
「てことは最初から演技だったの? 相変わらず、はた迷惑なおっさんね」
『そちらのお嬢さんもおひさしぶり。すると君も無事に檻から抜けだせたのか』
金輪際先生はあくまで穏やかな態度で、語りかけてくる。
しかし尊敬する先輩作家が廃人ではなくなったことを、素直に喜んでいいのかどうかはわからない。その言動はむしろ壊れていたとき以上に不気味なものとして、ぼくの瞳に映っている。
『だいぶ戸惑っているようだね。私に聞きたいことだって山ほどあるはずだ。しかしまずは目の前にある問題から片づけていこうか。田崎さん、今の気分はどうだい』
「……貴様あ!! この私をずっと、騙していたのか!!」
自らが生みだしたロマンの産物に何度も小突かれ、ボロ雑巾のように転がっていた田崎氏が、そこでようやく立ちあがった。
ぼくらと違って彼はなにが起きているのか把握しているらしく、ピュアな目つきをしていたおっさんは今や、別人のように憤怒の形相を浮かべている。
『騙していたとは人聞きが悪いなあ。私たちはWIN-WINの関係だったはずだ。私はあなたの、というよりBANCY社の技術を借りたかった。そしてあなたはあなたで、絶対小説の中に秘められた超常の力を利用しようとした。退屈な世界を変えたいという、児戯た目的のために』
「ではなぜ、私の計画を邪魔するのだ!! AIの制御を奪ったのは貴様だろう!」
『それはもちろん、今ここでミサイルをぶっ放されたら困るからさ。あなたは例のAI執筆ソフトを使って私の小説を、そして欧山概念の魂をコントロールしていると誤解していたようだが……そもそもすべては当初の筋書きどおりに進んでいたのだから、ね』
立体映像の中で、金輪際先生が指揮者のように指を振る。
直後、待機していたドローンやパンデモニウムもどき、クリプタリオン三号がブーンガシャガシャと音を立てて動きだし、軍事演習中の兵士のようにずらっと整列する。
しかも、それだけでは終わらなかった。
立体映像に紛れこむようにして、陳列されていた植物系のクリーチャーたち――木霊もといマンドラゴラやその親戚めいたバケモノまでもが活動停止状態から復帰し、BANCY社のSFメカと同じように整列をはじめたのだ。
「馬鹿な!! あの凶暴なモンスターどもが……!? AI搭載のドローンとはわけが違うのだぞ!?」
『別段、驚くほどのことでもないだろうに。一応はクライアントの要望にお応えして作りあげたものではあるとはいえ、彼らはわたしの手足のような存在なのだよ』
「貴様ああ!! さてはBANCY社を乗っ取るつもりか!! 私を亡きものにして後釜に――あぎゃあっ!」
言葉の途中で一匹のマンドラゴラが葉を鞭のようにしならせ、田崎氏の無防備なお尻を思いっきり引っぱたく。
金輪際先生はその見世物を眺めて笑い声をあげたあと、悪びれもせずにこう言った。
『そもそもあなたは、スリリングな冒険を求めていた。ならばクリーチャーやAIが飼い犬のように従順では興ざめもいいところ。牙をむかれたところでそれは不具合ではなく仕様なのだから、いちいちクレームを入れないでもらいたいね』
「ち、違う!! 私は……」
『高見の見物をしたいのなら、あえて現実を変える必要はない。そういうアトラクションか、VRゲームでも作ればいいだけの話さ。運が悪ければ、あるいは一瞬の油断で、誰であろうと例外なく死ぬ。それこそがリアルな冒険だと、私は考えていたのだが』
金輪際先生が喋っている間、田崎氏はマンドラゴラに何度も尻を叩かれ、ぎゃんぎゃんと犬のように悲鳴を上げ続ける。
やがて先生は、鞭打たれた罪人にさらなる追い打ちをかけるようにこう言った。
『やれやれ……田崎さん、あなたに足りないのは想像力だよ。主人公の都合で物事が動くメアリー・スーめいた物語を妄想しているうちは、クソワナビから抜けだせるはずもない。おぞましいバケモノどもが闊歩する大地で、マンドラゴラのクリーチャーにはらわたをむさぼり食われ、妻や子はミュータント化した暴徒によってたかって陵辱され、苦労して手に入れた所有物は暴走したAIによって粉々に破壊される。私たちプロの作家はそこまで考えたうえで、創作という名の自慰行為に耽っているのだから』
そこで息も絶え絶えの田崎氏の真横にクリプタリオン三号が寄ってきて、特撮ライダーのバイクのごとく彼の身柄をひょいと拾いあげる。
その姿はまるで、悪役の支配を振り抜いてご主人さまのところに戻ってきたロボットのように見えた。
しかし金輪際先生はなおも嗜虐的な笑みを浮かべたまま、
『というわけで私からのささやかなプレゼントだ。クリプタリオン三号に乗って、あなたの父が書いたような冒険小説を体験してくるといい。そうすればあなたの貧困な想像力でも、それなりのアイディアが浮かんでくるかもしれない』
「待て待て待て!! あの作品は最後……」
『主人公の少年は世界を救うためにその身を犠牲にする、だったかな。まあ原作の結末はどうであれ、あなたなりに希望が持てるラストを紡いでみるのも一興。それもまた正しい創作といえる。ではでは――俺たちの戦いはこれからだ!!』
「あぎゃあああああああっ!!」
金輪際先生が例の合い言葉を言い放った瞬間、ご主人さまを乗せたクリプタリオン三号がブンとうなりをあげて走りだす。
それからすこし遅れて自立型ドローンやパンデモニウムもどき、そして数多のクリーチャーが田崎氏の悲鳴を追いかけるようにしてこの場を去っていった。
ぼくらはおっさんふたりのやりとりをポカンと口を開けて眺めているほかなかったが、それでもひとつだけ、なんとなく理解できたことがあった。
それはすなわち、騒動の黒幕は田崎氏ではなく――正気を失ってAIの一部のように扱われていた金輪際先生だった、という真実だ。
「いやはや、茶番につきあわせてすまなかった。君も大方のところは察しているだろうが、私はこうして新たな欧山概念に――すなわち、この世界の神ともいうべき存在となった。しかしこの立場も存外に虚しいものでね、なんでも思いどおりになるということは、あらゆる娯楽を失うに等しい。嗚呼、だからこそ御主は人というものをお作りになったのだろうか」
「すみません、なにを言っているのかさっぱりなんですけど……」
「やっぱりまだ元に戻っていないのかしら。その、頭がどうかしちゃっているって意味で」
『ハハハ!! 失礼なことを言わないでくれたまえ。さきほども言ったが私は最初から正常だ。第四の壁を突破した人間というのは、いささか奇異に見えるかもしれないが』
そこでまことさんが「第四の壁?」と呟いて眉をひそめる。
彼女は文芸オタクだけどわりとジャンルが偏っているから、案外こういった専門用語には疎いのかもしれない。
しかしぼくは違う。
だから金輪際先生の言葉を聞いて、愕然としてしまった。
第四の壁というのは、現実と虚構の間にある不可視の境界だ。それを突破した人間というのは一般的に、己が小説の中に存在していると自覚しているキャラクターを指す。
つまり金輪際先生は――いや、彼とぼくは。
『兎谷くん、そろそろ現実に戻る頃合いじゃあないか。私たちは作家である以上、物語を結末に導く義務がある。たとえそれが、百年前の文豪がはじめたものだとしてもね。……それとも君はここでいつまでも、夢を見続けているつもりかい?』
認めたくはなかった。
だけど先生に告げられる前から、ぼくは何度も疑念を抱いてきた。
突拍子のないことばかり起こるこの世界は、はたして現実なのだろうかと。