4-4:イェ~エェエェェ…(こんき~ん、こぉん…)
文字数 5,265文字
「……言われてみればそうですね。撮る角度とか光の当たり具合で、顔の印象ってだいぶ変わってしまいますし」
宿に戻ってきたあと。
豪勢な夕食の席で再び美代子の話題を振ったところ、僕様ちゃん先生はあからさまに興味がなさそうな態度を見せた。
そのうえ新鮮な山の幸や上州和牛、地元群馬で醸造された日本酒を堪能していると……記念館で見た写真の記憶は徐々に薄れ、やはり気のせいだったような気もしてくる。
だからぼくは気を取り直して、まったく別の話題を振ることにした。
「そういえば、宿泊とか食事代はどうなっているんでしょう。あんま長期で滞在してると金銭的に苦しいのですが」
「安心せい。僕様ちゃんは売れっ子占い師。クソラノベ作家の滞在費くらい払ってやったところで痛くもかゆくもないわ。……おい
「ハイッ!」
というわけでこの瞬間、明確な主従関係ができてしまった。
占いの料金もなんだかんだで短編一本の原稿料で大目に見てくれたわけだし、元々気前のいい人なのだろう。
そして夕食のあと。
早くも舎弟の立場に慣れてしまったぼくが僕様ちゃん先生の肩を揉んでいると、彼女はふいにスッと立ち上がり、こう言った。
「さて、そろそろはじめようぞ」
「へ? なにを?」
「バカタレ。イタコ術に決まってるであろう」
そうだ。
しかしあらためて言葉にすると、半端なくうさんくさいな……。
ぼくが冷めたまなざしをそそぐ中、僕様ちゃん先生は奥の部屋に消えていき、再び戻ってくると、いかにも霊媒師っぽい白装束に着替えていた。
「欧山の代理人である美代子が、兄に宛てた手紙によると――彼は温泉地に滞在する折、しばしばこの宿に泊まっておったという。さすがにどの部屋かまでは特定できぬが……僕様ちゃんたちがいる部屋は宿の中で唯一、当時からほとんど変わってないという。ひとまずシンクロ率が高そうなこの部屋で、彼の残留思念を呼びだしてみるとしよう」
「なにげに色々と下調べしてあるんですね。てっきり行き当たりばったりなのかと」
しかし、今いる宿は百年以上も前から営んでいるのか。
言われてみれば外観はどことなく古めかしかったし、この部屋の内装もあらためて見回してみるとかなり年季が入っている。
ぼくが正座して見守る中、僕様ちゃん先生はボストンバッグを漁り、あれよあれよとスピリチュアルな品々を取りだした。
アフリカの少数民族がかぶっていそうな木の仮面、なんともいえない香りの漂うハーブ、釘の刺さった人形、セガサターン、白磁の壺などなど……それらを部屋のいたるところに並べると、彼女は怪しげな身振りで儀式をはじめる。
「イェ~エェエェェ…(こんき~ん、こぉん…)ヲィ~ヲィィ~イィィィ~(ィィィ…)だんだっ、だんっだ、だらららららっ! どぅっだだらだ、だんだっ、だららららっ!」
「……」
「どぅっだだらだ、どらだった、どぅっだだらだ、どらだった(しゃらーら!) ゴォォ(ハッ!) ズズ(ハッ! ハッ!) ズズ(ハッ!)ゴォォ(ハッ!) ズズ(ハッ!)ずぅしゅるりるりるっ!」
「…………」
「だーった、たた、しゅぅ。ガー、だーった、たた、しゅぅ、きん、ガー、だーった、たた、しゅぅ、きん、ガー、がばっ!」
……どうしよう。
いつまで経っても終わらない。
金髪のおねーちゃんが面妖な音頭を取りながら一心不乱に踊っている姿を、正座でずっと眺めていなければならないわけで、これはいったいなんの罰ゲームなのかと思うほど。
しかし本人は真剣そのものだから、途中でツッコミを入れるわけにもいかない。
そのうえたまにチラッと目があうときがあって、気まずい空気が漂うのがこのうえなくしんどい。
「がぼ! しゅぅ、きん(がぼっ!)しゅぅ、きん!(がぼっ!)……ハアハア、だだんっ! ブイィィィィィィィン! ……ハアハア」
ようやく儀式が終わったころには、大体一時間ほど経過していた。
我ながらよく耐えられたものだと思いつつ、ぼくは彼女にたずねる。
「で、どうなんです。降りてきました? 欧山概念の霊」
「ちゃ、ちゃうねん……」
「やはりダメでしたか」
最初からわかっていただけに、とくに残念とは思わなかった。
ぼくはふうと息を吐いてから、
「さて、温泉にでも行こうかな」
「待ていっ! さっきのは調子がよくなかっただけで!」
「はいはい、そういう日もありますって。だからまた今度にしましょう、ね?」
さすがにもう一度アレを見せられるのは勘弁してほしい。
追いすがってくる僕様ちゃん先生の手を払いのけると、ぼくは浴場に向かった。
◇
「はー……。なんだかんだで今日は疲れたなあー……」
ぼくはひとりごとを呟きながら、露天風呂の中で大きく息を吐く。
ありがたい効能がありそうな白濁した湯につかっていると、身体だけでなく頭の芯までぽかぽかと温まり、みるみるうちに生き返っていくようだ。
時刻は夜十時。
自らを取り巻く厄介ごとをしばし忘れ、湯船につかりながらぼーっと夜空の月を眺める。
そうしていると徐々にほかの入浴客が去っていき、浴場は貸し切り状態になった。
せっかくなので湯の中で両足を思いっきり伸ばし、お気に入りのアニメの主題歌を口ずさむことにする。
「ふんふふーん♪ ふんふーん♪ ふー……おっと」
げ、誰かきた。
遠慮なく大きな声を出していたので、かなり恥ずかしい。
新たにやってきた客はバシャバシャと音を立ててシャワーを浴びたあと、露天風呂のスペースは余っているというのに、わざわざぼくの隣にちゃぽんと腰をおろす。
そしてひとこと、
「やあ奇遇だね、兎谷くん。ずいぶんと調子がよさそうじゃないか」
「へ……?」
思わず目を疑う。
夜空の月が舞い降りてきたかのように、湯気の向こうでピカピカとスキンヘッドが輝いている。
見間違えるはずもない。
今、隣で湯につかっているこの男は――ぼくに絶対小説という厄介ごとを押しつけた張本人だ。
「ど、どうして
「フフフ、驚いているようだねえ。どうせ君は欧山概念の足跡を追って、ここまで来たのだろう。僕様ちゃんくんもいっしょのようだし、なかなか隅に置けないなあ」
呆然として見つめる中、金輪際先生はニヤリと妖怪めいた笑みを浮かべる。
……今までまったく会えなかった先輩作家に、露天風呂でばったり出くわす。
偶然という言葉で処理するには、あまりにも出来すぎた話である。
だからぼくは、彼にこうたずねた。
「もしかして、金輪際先生も同じ目的でこの宿に滞在していたのですか?」
「さて、どうだろう。君たちに喚ばれたのかもしれないね」
彼の煙に巻くような返事を、ぼくは肯定と受け取る。
ネオノベルの魔の手から逃れ、紛失した原稿を探す。お互いの目的が同じなのだとしたら、こうしてめぐりあうのもまた必然だったのかもしれない。
しかしまさかこれほど簡単に、相手のほうからやってくるとは……。
今までの苦労は、いったいなんだったのか。
ぼくが拍子抜けしてため息を吐いていると、金輪際先生は今までの行動を見てきたかのように、穏やかな声で語りはじめた。
「しかし君たちの場合、アプローチの仕方がよろしくないな。欧山の残留思念を呼びだそうとしたところで、うまくいくはずがなかろう」
「そりゃまあイタコですからね。ぼくは最初から信じちゃいませんでした」
「いやいや、僕様ちゃんくんの腕は確かさ。彼女は占いだけでなく、あらゆる降霊術に精通するスペシャリストだよ。聞くところによると、相性のいい人間となら一時的に肉体を受け渡すことすらやってのけるらしい」
「なんていうか、余計に信じられなくなってきたんですけど……」
ひさびさに会ったと思ったら、いきなりオカルト会話なのだから頭が痛い。
しかし金輪際先生はクソ真面目な表情で、ぼくにこう言った。
「君とて不思議に思っていたはずだ。なぜあのとき、絶対小説の原稿は我々の前から消え失せたのだろうと。誰かに奪われた、ということはありえない。だとすれば、原稿はどこにいったのか」
「そうですね。ぼくにとっては原稿の在処を探すことのほうが重要でしたから、紛失してしまった理由については深く追求しようとはしてきませんでしたけど……ずっと疑問には感じていましたよ」
「フーム。だとすれば、君は見るべきところを間違えていたのだな。なぜならあの場で紛失した理由こそが、原稿の在処を示す重要な手がかりとなっているのだから」
「……ちょっ!? 待ってください。金輪際先生は原稿が今どこにあるのか、ご存じなんですか?」
ぼくは驚いて聞き返す。
もし知っているのであれば、絶対小説をネオノベルの連中に渡すだけでいい。
危険を感じて行方をくらます理由もなければ、温泉地で手がかりを探そうとする理由もないはずだ。
しかし金輪際先生はニヤニヤと笑ったまま、ぼくの質問には答えずに、なぜかオカルト話を再開させた。
「欧山概念という男の魂は百年の月日を経た今なお、現世にとどまっている。残留思念ではなく確固たる意志を持つがゆえに、本人の許可なしに呼び寄せることは難しいのだよ」
「……なるほど。だからイタコ術では、アプローチの仕方が悪いと言ったのですね。しかし今の口ぶりからすると、欧山概念が実はまだ死んでいない、というふうにも聞こえるのですけど」
記念館で抱いた疑念を思いだし、ぼくは思いきってたずねる。
すると金輪際先生は、きれいに剃りあげた頭を手のひらで撫でつけながら、面白い冗談を耳にしたような表情を浮かべる。
「なるほどなるほど、そういう解釈をしたのか。君もやはり小説家なのだなあ。既成の事実をつなぎあわせ、突拍子のない話を作りあげる」
「ということは、やはり欧山概念はすでに死んでいるわけですか……」
「生きていれば百歳以上か。それはそれで、面白い筋書きになったかもしれない。しかし事実は、君が考えた話よりもずっと複雑で面妖なのだ」
金輪際先生は訳知り顔で、絶対小説と欧山概念のことについて語る。
しかし肝心なところはもったいぶったまま、なかなか教えてくれようとしない。
ぼくはしびれを切らし、彼にたずねた。
「先生のお言葉から察するに、絶対小説が紛失した理由や原稿の在処について、おおよそのことはつかんでいるのですよね? 個人的にはこれ以上、欧山ナントカに振り回されたくないので……早いところ原稿を見つけて、厄介ごとから解放されたいのですけど」
「ハハハ。これは失敬。君としては執筆に集中したいだろうからねえ」
金輪際先生はどうやら、ぼくが新シリーズの企画を通したことすら把握しているようだ。
失踪してからというもの編集部と連絡を取っていないはずなのに、いったいどこでその情報を仕入れたのか。
絶対小説の在処についてもあらかた把握していそうな話ぶりといい……僕様ちゃん先生よりも彼のほうがよっぽど、スピリチュアルなスペシャリスト的な雰囲気を漂わせている。
そのうえ彼が続けたのは、よりいっそう怪しげな言葉だった。
「絶対小説とはすなわち今の君自身であり、こうしている最中にもその魂は記述され続けている。だから原稿を探そうとするのではなく、自らの内側に目を向けなさい」
「すみません。どういう意味ですか、それ……?」
「欧山概念に選ばれたというのに、君はまだ気づいていないのかい。己が小説を書いているとき、小説もまた己を書いているのだと」
金輪際先生はそう言って、ぼくの胸元を指さす。
眉をひそめて視線を移してみると、肌に模様のようなものが浮かんでいた。
欧山概念の、クセの強い文字。
それがぼくの胸元から浮きあがり、白濁した湯の中を藻屑のごとく漂っている。
「ひっ……!!」
たまらず叫んだ。上半身ががくっと沈み、湯の中に思いっきり顔を突っこんでしまう。
慌てて体勢を立て直すと、案の定、文字はあとかたもなく消え失せていた。
この幻を見るのは何度目だろう。
もはや気のせいで終わらせることはできない。
……いったいなにが起こっているのか。
ぼくはそれを教えてもらおうと、金輪際先生に助けをもとめる。
しかし――周囲をキョロキョロと見まわしても、彼の姿はどこにもなかった。