5-8:童貞だしロリコンだったりしないよね?
文字数 6,096文字
まことさんが周囲をぐるっと見渡してから、ぼくに振り返ってこう言った。
「この辺りならわたしのシンパしかいないから、普段どおりにして大丈夫よ、兎谷くん」
「へえ、そうかい。バカみたいな文豪ウォークをしなくてもいいなら助かるな」
ぼくがそう言うと、まことさんは困ったように微笑を浮かべる。
クラスタの代表者としてそれなりに権力を持っていそうな雰囲気だが、今の口ぶりからするとビオトープの内部では派閥争いなどもあるのだろう。
案外、
などとぼくが邪推していると、彼女は皮肉めいた口調で、
「で、イカれた連中のお花畑を見学した感想は?」
「とんでもないところに来ちゃったな、としか言えないかな。……ていうか君も、この島がどうかしてるって自覚があるんだね。なんとなくそうじゃないかなとは思っていたけど」
「でもわたしはここで生まれ育ったのよ。六歳のころから」
ぼくはその言葉を聞いてぎょっとした。
今しがた見てきたのは、倒錯的芸術めいたカルト施設以外のなにものでもなかった。
彼女はこんな異常な世界の中で、物心ついたときから暮らしていた……?
「おかげさまでごらんの通り、性根がねじ曲がってしまいましたとさ。ビオトープができたのが今からちょうど十五年前で、当時からここに移り住んで、成人するまで一度も外に出たことがなかったわけだから、むしろ真っ当な人間に育ったほうだと思わない? だって虚言癖しかないのよ、わたし。連続殺人犯とかになっていてもおかしくないでしょ、環境的に」
「自分で言っちゃうのか、それを……。でもまあ、君が苦労してきたというのは痛いほどわかったよ。壮絶すぎて、その心情を完全に理解できているとは思えないけど」
ぼくはそう言いつつ、まことさんの瞳を見る。
彼女の性格を考えると今の話ですらすべて嘘の可能性があるものの、疑いだすときりがないのでひとまず信じることにしよう。
クラスタの代表者であるという一点にかぎっては、ほかの住民たちの反応を見るかぎり事実だろうし。
「想像してごらんなさい。いついかなるときも、自分が自分であることを許されなかった少女のことを。わたしは幼いころからこの嘘にまみれた島で、欧山作品のように振る舞わなければならなかった。小説のように生きなければならなかったの」
「……両親はなにをしてたのさ。そんなふうに育てられるなんてどう考えてもおかしいよ」
「ヘタすりゃ児童虐待だもの、常識で考えればそう思うわよね。でもビオトープではまかりとおるでしょう。ていうか親の顔なんて見たことないし」
まことさんは屈託なく笑ってそう語るので、ぼくはそれきりなにも言えなくなった。
彼女はさぞ満足そうにこちらを見つめながら、両手を広げてくるくるとまわる。
「そうでなくてもカルトの親を持った子どもがどんな生活を強いられるかなんて、あなたにだって察しはつくでしょ。ある意味では宗教のもっとも罪深い事柄のひとつね、弱い立場の人間は信仰を強要され、本来あるべき自由を束縛される。わたしはその極端な例でしかない」
まことさんが近づいてきて、ぼくの手を愛おしそうに握る。
いまだに彼女がどこまで真実を話しているのかわからない。
できれば嘘であってほしいとすら、思えてくる。
「概念クラスタの理念はすでに話したとおり。欧山的世界観を再現したいと考える過激な読者の矛先が自分以外の人間にも向いたとき、彼らはどんなことを試みると思う? たとえば伴侶を得て子を持つ親となったら、あるいは成果を求め、作品の完成度をどこまでも突き詰めていくとしたら」
彼女がなにを言わんとしているのか、ぼくにはいまいち伝わってこない。
だけど嫌な方向に、とてつもなく不穏な方向に話が進んでいる予感だけはあった。
「つまりあなたの目の前にいるのは、クラスタが作りあげた成果の、もっとも完成されたもののひとつなわけ。そういうふうに育てられた、どころじゃないわ。わたしは生まれながらにして
それがどういう意味を持つのか、ぼくは怖くてたずねることができなかった。
まことさんの両親は……クラスタの理念に従って、美代子という存在をこの世に再現するためだけに、彼女という人間を産み落としたとでもいうのだろうか。
もしそうなのだとしたらあまりに残酷で、そして背筋が凍るほど異常な行いだ。
「びっくりしてる? 別に信じてくれなくてもいいけど、話は最後まで聞いてよ。せっかくビオトープに来てくれたことだし、これからわたしの生まれ育った場所に案内するから」
◇
まことさんが案内してくれたのは、病院のような建物だった。
外観はぼくがネオノベルから救出されたあと、療養していた施設に近い。
しかし中に入ってみると、臨床実験に使うような小さな動物たちが入ったプラスチック製のカゴがいくつも陳列されていて、病院というよりも研究所のような趣が強く漂っていた。
「クラスタの創設者は、美代子の主治医を担当していた医者の息子よ。彼は父のコネクションを通して欧山概念の足跡をたどり、やがて絶対小説とめぐりあい文豪としての力を得た。その後は病院を経営する傍ら文筆業でも多大な功績を残し、莫大な資産を元手に大規模な欧山概念の読者サークルを結成するにいたった」
「へえ……。聞いた感じだと闇の出版業界人たちに近いね」
「彼らとわたしたちは、欧山概念という親から生まれた双子のようなものね。絶対小説の力を得た文豪のうち、あるものは作家という枠を越えて出版業界で、あるものは医療やバイオメカニクスの分野で、またあるものは電子機器やのIT事業分野でも成功を収めているわ」
「ん? IT事業?」
「ああ、それはまだ知らなかったのね。今ではBANCY社の代表取締役でもある田崎源一郎氏。彼の亡くなったお父さまも絶対小説の恩恵を受けた文豪なの。かつてはクラスタに所属していたのだけど……源一郎氏は自分で会社を立ち上げ、そのときに袂を別ったの」
意外なところで意外な人物が繋がって、ぼくは驚きを隠せない。
そういえば謝恩会であった彼は、昔は作家を目指していたと語っていた。彼が今AIを使って小説を書こうとしているのは、文豪であったという父親の影響もあるのだろうか。
「今となってはクラスタの資金源である医療団体とBANCY社は折り合いが悪いし、評議会だって一枚岩じゃない。なんでもそうだけど、同じ志を持って集まったコミュニティであっても長く続けていくと少しずつ本来の趣旨からずれていくし、規模が大きければ大きくなるほど歪んでいく。熱心な読者の臨界点が、もしかするとこのビオトープなのかもね」
まことさんは消毒液の香り漂う通路を歩きながら、そう語る。
たまに白衣を着たビオトープの住民とすれ違うことがあり、彼女を見るなり慌てて会釈をすることからも、前を歩く女性がこの施設の主であることがわかる。
「とまあ、そんなわけで、クラスタは欧山概念の読者サークルであると同時に、創設時から医療の分野とも繋がりが深いの。沸騰した鍋にダイブする自殺志願者や肉体改造に励みすぎて大怪我しちゃうような住民もいるから、医者は多いほうが都合もいいし」
「ネオノベルから解放されたときに、ぼくもお世話になったよ。療養施設にいる人たちは金色夜叉さんたちに比べたらマトモだったような気もするな」
「どうかしらね。彼らも一皮剥けば、全身ゴールドマンかもしれないわよ。金色夜叉だって評議会の一員として活動していないときは、都内の大病院に席を置く優秀な研究者だし」
「げ……マジかよ……」
人は見かけによらないものだ。
いや、むしろエリート中のエリートだからこそ多大なストレスが罹って、ラメ入りのポスターカラーを塗りたくるという奇行に走ったのか?
それはそれでありそうだから困る。
研究職って浮き世離れした人も多いし。
「で、ここからが本題。クラスタが出資する生物学的な研究の中には、当然のように欧山概念的世界観を再現することを目的としたものが多いの。たとえば遺伝子を組み換えて人為的に
「ええ……。マジ頭おかしいんじゃないの……?」
急に話が大きくなってきたので、ぼくは呆れて聞き返してしまう。
しかしぼくはそこでふと疑念を覚えて、
「もしかして
「なに言ってるの。あれは欧山じゃなくて
「そういやそうだったな。ていうかアボカドじゃないし……」
「でもまあ、今のあなたは絶対小説の力を得ているのだから、ある意味では木霊だって欧山的世界観を再現しうる存在なのかもしれないけどね」
ひとまず今の話を聞いた感じでは、少なくとも概念クラスタが遺伝子改良で肉食動物の化け物を作ろうとしていた、という事実はないのだろう。
……いや、あってたまるか。
あきらかに話が現実離れしてきているし、真に迫った語り口のせいで、知らず知らずのうちにまことさんの言葉をすべて真に受けそうになっている自分がいた。
やはり美代子として作られた云々も口から出任せだったのだろう。そう考えると彼女の演技力たるや、そら恐ろしいものがある。
ぼくはふっと冷静になってから、
「あっぶねえ……。また君に騙されるところだった。イカれた連中のお花畑を観光してきたばかりのせいか、ありえそうにない話をうっかり信じそうになってくるよ。マジでどこから真実で、どこから創作なのかな。最後にちゃんとネタばらししてくれるんだよね?」
「そうね。じゃないと不親切だもの」
まことさんがふっと鼻で笑ってそう言うので、ぼくは安堵の息を吐いた。
現実的に考えるならクラスタの創設秘話や田崎氏との繋がり辺りまでが事実で、遺伝子改造以降は作り話なのではないか。流れるように嘘をつきやがるから、油断できない。
「ねえ、兎谷くんて子どもは好き? 童貞だしロリコンだったりしないよね?」
「ぼくがもう童貞じゃないのは君が一番よく知ってるだろ。あとオタクだからといって誰もがロリコンというわけではない。ちゃんと大人の女性も好きだよ」
「……も?」
「あ、今のは言葉のあやで。ていうか急になんの話さ」
まことさんが眉をひそめたので、ぼくは慌てて話題を変える。
彼女は通路の先に見える大きな扉を指さして、こう言った。
「あの部屋に行けばわかるわよ。でもロリコンは入室厳禁」
ぼくは返事の代わりに肩をすくめ、まことさんにうながされるまま扉を開ける。
するとなるほど、そこは託児所のような一室で、幼稚園児から小学生低学年くらいまでの女の子たちが仲良くお遊戯をしていた。
「わあ!! おねえちゃーん!!」「そのひとだあれ? カレシ?」
「ねえねえ、あそぼあそぼ」「みてみて、わたしってかわいいでしょ」
コロボックルみたいに小さな背中が、ぼくとまことを見るなり一斉に群がってくる。
お手玉やケンダマ、独楽にメンコ、わりかし古風な遊びをしていたようで、それらを手に握りしめたまま走り寄ってくる姿は、思わず頬が緩んでしまうほど可愛らしかった。
まことさんは慣れた手つきで、集団の中にいた女の子のひとりをひょいと担ぎあげる。
そしてぼくにその子の顔を向けて、こう言った。
「ほら、
「あー、主演のお
ぼくがそう言うと、少女ははにかんで顔をうつむかせてしまった。
実際に会ってよく見てみると、顔立ちから仕草まで、まことさんととてもよく似ていることに気づく。彼女を十歳以上幼くすれば、こんな感じになるだろう。
そこでふと視線を下に移すと、群がってきたほかの女の子たちが、お佐和ちゃん役の女の子の顔を羨ましそうに見つめていた。
もしかすると同じように、ぼくに優しく褒めてもらいたいのだろうか。
だとすればひとりひとりに、なにかしら声をかけてあげるべきなのかもしれない。
しかしぼくはそこで大きな違和感を覚えて、彼女たちに問いかける。
「あれ? 君たちもまことさんによく似ているような……?? ていうかみんな、そっくりだね……??」
「えー、ちがうよお」「こいつらといっしょにしないでよ」
「わたしのほうがかわいいでしょ」「は? かがみをみてみなさいよ、ぶーす」
「いまわるいことをいったわるいこがいます!」「うわ、ちくりだちくり。さいあくだ」
一斉にピーチクパーチクわめきだす少女の群れ。
彼女たちの顔はうり二つで……集団の中に混じってしまったら、どれがお佐和ちゃん役の子だったのかすらわからなってしまうかもしれない。
まことさんはよく判別ができたものだと感心しつつ、彼女にたずねる。
「こんなに似ているなんてすごいね。みんな君の兄弟とか親戚なの?」
「まあ、似たようなものかな。遺伝子情報的には全員わたしと同じだし」
まことさんはぽつりとそう呟いて、抱えていたお佐和ちゃん役の少女を床に下ろす。
その子が着ているワンピースの胸元には名札がつけられていて、表面には名前とともに三桁の番号が印されている。
【美代子/030】
ぼくが名札の文字を見て眉をひそめていると、まことさんはこともなげにこう言った。
「だからクローンと呼ぶのが正しいのかしら、わたしたち」
その言葉に反応したかのように、一斉にこちらを見る無数の顔、顔、顔。
美代子、美代子、美代子、美代子、美代子、美代子、美代子……。
美代子、美代子、美代子、美代子、美代子、美代子、美代子……。
名札に印された文字と無機質な番号を見て、ぼくは理解する。
この場にいる少女たちはみな、欧山の代理人を再現するために生みだされたのだと。
「嘘だろ……。こんなのって……」
「だったらよかったのにね。でも、わたしのネタばらしはこれでおしまい」
まことさんが打ち明けた内容は、今までに語られたどの話よりも小説じみていて、だからこそぼくは、そのすべてがまっかな嘘であってほしいと願った。
目の前に確固たる証拠が並んでいても、ぼくはそう願ったのだ。