4-7:君はもうわかっているだろう? 小説を愛しているのなら。
文字数 4,760文字
全身を針で刺されたような激痛が駆けめぐり、ぼくは意識を取り戻した。
背中がのけぞるほど激しく痙攣するものの、パイプ椅子に縛られているためその場でガクンガクンと震えるしかない。
これは電気ショックだ。ぼくは今、スタンガンをぶちこまれている。
「おはよう、
「う、うう……。お前は……誰だ……」
激痛の波がようやくおさまると、顔を前に固定されたまま、背後の人物に問いかける。
……温泉宿で起きたことが夢であったなら、どんなによかったことか。
あのあと部屋に押し寄せてきたスーツ姿の男たちに拘束されたぼくは、今やどこかのオフィスの一室に監禁されていた。
「フフフ。一般的には編集長を呼ばれる立場にあるのだが、やはりこういうときはネオノベルのボスと称したほうが適切かな。君に本名を教えるわけにはいかないから、今はコードネームのグッドレビュアーと名乗っておこう」
彼は部屋の隅に置かれたパイプ椅子を持ってくると、背もたれを前にしてぼくの向かいに座る。
髪をオールバックにした、長身の男。上等そうなスーツに身を包み、オペラ座の怪人めいたマスクをつけている。
……常識外れの人間が多い出版業界といえど、ここまでカタギに見えない編集長はそういないだろう。
まともな神経をしていたら、クソ真面目な顔でボスとかコードネームとか名乗れない。
あきらかにヤバいやつ。しかもサイコパス系だ。
ぼくは眼球だけを動かし、周囲をキョロキョロと見まわす。
いっしょに捕まったはずの僕様ちゃん先生の姿が、ここにはない。
たぶん別の部屋に囚われているのだろう。
ネオノベルの連中に、ひどいことをされていないといいのだが……。
「我々の目的は承知しているね。絶対小説はどこにある」
「頭、おかしいんじゃないですか? ただのオカルトを信じてこんなことまでするなんて」
「私が質問しているのだから、君はそれに答えるだけでいい」
「……んぎ!!」
グッドレビュアーは顔色ひとつ変えずに、スタンガンの先端を向けてくる。
激痛のあまり口からよだれを垂れ流し、ぜえぜえと息を荒げたあと、常識的な会話が通じそうにない相手に、ぼくはダメもとで事情を説明する。
「原稿は持っていません。たぶん
「まさか、その言葉を鵜呑みにするとでも思っているわけではあるまいな。我々は君が絶対小説を所有していると確信を持っている」
「なんで……? 金輪際先生がそう言っていたから? あのひとのほうが嘘をついているのかもしれませんよ」
ぼくが苦しまぎれにそう言うと、グッドレビュアーはフフッと笑う。
マスクから覗く眼光は異様なほど鋭く、実は寄生獣を五匹くらい身体に飼っているんですと言われても、信じてしまいそうなほどだ。
彼が大げさな身振りでパチンと指を鳴らすと、天井からシルクスクリーンが降りてきた。
部屋の照明が落ち、いったいなにが上映されるのかと身構えていると――ぼくと同じように椅子に縛られた、金輪際先生の姿が映しだされた。
「まさか……!?」
「金輪際くんは原稿の在処を知っていた。たっぷり薬を投入したからね、彼が嘘をついていないことは明白だ。……おかげでこの有様になってしまったのは、非常に残念だったが」
グッドレビュアーがそう言った直後、スクリーンに映しだされた金輪際先生の顔がアップになる。
彼の瞳がぐりんと裏返ったかと思えば、口から大量の泡を吹きだしながらこう言った。
『あは、あはは、あはははっ! おいしい……おいしいよお……チーズケーキおいしい、チーズケーキおいしい……ねえねえ、ママ。今度はアップルパイを作ってよ……ヒヒッ』
ぼくは言葉を失った。どう見ても、おかしくなっている。
現実とは思えぬ光景をスクリーンごしに眺め、ただただ呆然としていると、赤ん坊のようによだれを垂らしていた金輪際先生はふっと真面目な表情になる。
『まだわからんのか。この世界に存在する神はひとり、私と、兎谷くんと、そして欧山概念だ。いやはや、まったく気持ちが悪いものさ。なにもかもが自分の……ヒヒッ! おいしいからねえ……ママのチーズケーキ!! やったあ!! 今日の夜はカレーだって!』
そこでぶつっと映像が途切れると、シルクスクリーンは再び天井にあがっていき、グッドレビュアーはやれやれとでも言うように、気さくに肩をすくめる。
ぼくはわなわなと震え、涙を流しながらこう訴えた。
「ひどい……どうしてこんなことをっ!! お金を稼ぎたいならほかにもやりかたがあるでしょう!! 金輪際先生は優れた作家でした!! 最近はスランプで書けていませんでしたけど、そのうちにやる気を取り戻して、面白い作品をもっともっと、世に送りだしていくはずのひとだったんです!! いや……もしそうでなかったとしても、誰かを廃人にするなんてありえないでしょっ!!」
「ハハハ。君はあの原稿の価値をまるで理解していないようだな。手にしたものを文豪に変える力が存在するとすれば、いったいどれほどの名作が生まれるか考えてみたまえ。それなりに実績のある作家のひとりやふたり、犠牲になったとしてもいたしかたあるまい」
グッドレビュアーは悪びれもせず、そう言って笑う。
僕様ちゃん先生が言っていたように、ネオノベルの連中は完全に頭のねじが飛んでいた。
まさかベストセラーを出版するためだけに、これほどの非道を行う編集部が存在しているとは……こうして目の当たりにしていなければ、絶対に信じられなかったはずだ。
「それに、絶対小説が持つ魔力はただのオカルトではない。なぜならネオノベルの母体である闇の出版業界人の運営会社を設立したのは、かつて原稿の力を得た人間だからだ」
「え……? じゃあ……?」
「フフフ、つまりは名の知れた文豪さ。
グッドレビュアーが饒舌に語ったのは、絶対小説の力を得て文豪になった男のヒストリーだった。
ぼくは驚愕に目をみはりながら、しばし無言のまま彼の言葉に耳を傾ける。
「しかし彼はあまりにも影響力を持ちすぎたがために、世間からとかく疎まれてしまった。ありもしないスキャンダルをマスコミに報じられたこともあれば、作品の過激な内容がやり玉にあげられ、表現を直さねばならなかったこともあったという。ゆえに彼は小説で得た多額な資金を用いて、とある組織を設立した。つまりそれこそが――闇の出版業界人だ」
僕様ちゃん先生は、彼らのことを業界のごろつきだと話していた。
しかしグッドレビュアーは、そうではないと言うのだ。
「我々は目的のためならばためらうことなく価値ある作家や作品を潰すし、多少の犠牲を払ったとしても、犯罪に手を染めることだってある。しかし君の言うとおり、ただの金儲けであるなら、もっと別の方法がある。ではなぜ、ネオノベル編集部は、闇の出版業界人は、自らの手を汚すのか。……君はもうわかっているだろう? 小説を愛しているのなら」
ぼくは恐れおののいた。
グッドレビュアーたちは僕様ちゃん先生が考えていたような、メディアを隠れ蓑に私腹を肥やす裏稼業の人間などではない。
もっとタチが悪く、もっとイカれた人間たちなのだ。
「そう、闇の出版業界人とは――政治家や世論から表現の自由を守るために作られた秘密組織であり、時には超法規的措置によって小説の文化的価値を維持する、守護天使なのだよ」
そう言ったあと、グッドレビュアーはいったいなにがおかしいのか、ククッと含み笑いを浮かべる。
そして急に激昂したかのように椅子から立ちあがると、つばを飛ばしながらこう言った。
「しかし今――小説の価値は著しく貶められているッ!! あらゆる小説は我々の、出版社の手によって世に送りだされるべきなのだッ!! ……Webで、無料で、公開だと? ふざけるな!!! 金銭の発生しない読書体験は活字の価値を貶め、小説という文化そのものを衰退させてしまっている。それは我らにとって許されざることなのだ!!」
ぼくは彼の言葉を聞いて、ふと閃いた。
ネオノベル編集部というレーベルが設立された、真の目的を。
「もしかして……有望なWeb作家や人気作品を青田買いしていたのは……」
「そうさッ!! 潰してやるんだよ!! ぐっちゃぐちゃにな!! 出版社を陥れようとするクソ作家どもから権利を奪い、コンテンツごと汚物の中に叩き落としてやる!! ああああああ!! だというのに!! だというのにだ!! 業界の衰退が止まらないッッ!!」
そこでグッドレビュアーはびくんと震え、しばらく動かなくなる。
薬をキメているわけでもなさそうなのにあきらかに正気ではない男の姿に怯えながら、ぼくが椅子に座ったまま呆然としていると、やがて彼は平静さを取り戻し、こう言った。
「……君とてこの業界にいるのならば、私の苦しみがわかるだろう。時代は雑誌ではなくインターネットに、紙ではなく電子書籍に流れ、今や出版社ですら優れた作品を世に知らしめるという本来の役割を忘れ、ただのコンテンツホルダーになり果ててしまっている。もはや小説という媒体そのものが――アニメや映画、SNSやソーシャルゲーム、その他ありとあらゆるエンターテイメントに押され、その力を失いつつある」
頭のねじが飛んだ男の言葉なんて認めたくはないものの……グッドレビュアーの言うとおり、出版業界は今、苦境に立たされている。
SNSでは本が売れなくなった作家の叫びがあふれ、編集者たちは出版社の力が弱まりつつあることを嘆いている。
小説の未来は暗く、その前途は疑いようもなく険しい道となるだろう。
それは新人作家であるぼくとて、薄々と感じていたことである。
「つまり我々には結果が必要なのだよ。目に見える数字という、わかりやすい結果が」
「だから――絶対小説を?」
「そのとおり。かつて生みだされた数多の傑作、たとえば欧山概念が書きあげた
目的が金儲けのためであったなら、まだ救いがあったはずだ。
しかしネオノベル編集部は、その母体である闇の出版業界人たちは――心の底から小説という媒体を愛する団体であり、それゆえにどこまでも歪みきっている。
彼らは絶対小説の力で新たな文豪を生みだし、その経済効果によって出版社を、業界全体を再起させようとしているのだ。
マスクから覗くのは、目的に向かって邁進していく――理想主義者のまなざし。
グッドレビュアーは恐ろしいほど穏やかな声で問いかけた。
「……もう一度だけ聞こう。絶対小説はどこにある?」