5-1:そういえばここって、どこの病院なんですか?
文字数 3,712文字
ほかでもない当事者であるぼく自身が、早くそれを誰かにたずねたいところだった。
というのも気がついたとき、見知らぬ病院のベッドに寝かされていたからだ。
「なにせ一週間も眠っておったわけじゃからのう。もはや目を覚まさぬのかと疑うほどであったし、お前が意識を取り戻したときは大騒ぎだったのじゃぞ」
「そうだったんですか。でも全然、覚えてないなあ……」
寝ぼけ眼のまま、主治医らしき人にあれこれと診察されたあと、最初に面会に来てくれたのは僕様ちゃん先生だった。
ともにネオノベルの連中に拉致され、苦難をともにした金髪ツインテールの占い師は、見舞い品として持ってきたギフトからリンゴを取りだし、ナイフで器用に皮を剥きはじめる。
「三日三晩不眠不休で執筆したうえに監禁によるストレスがあったわけじゃから、身体が参っておったのだろう。概念クラスタの私設部隊も、救出対象がいるというのに容赦なくスタングレネードを投げこみよるしな。やはりマジでどうかしとるわ、あいつら」
ぼくは話を聞きながら、無言でうなずく。
そもそもカルト集団の私設部隊という存在がもうヤバいし、拉致されたぼくらを救出してくれたとはいえ――ネオノベル編集部のオフィスに麻酔銃とスタングレネードを携えて強行突破してきた、という事実が完全に常軌を逸している。
「お前は失神しておったから知らんだろうがな。裏稼業の連中が経営する編集部とカルト化した読者サークル――出版業界を代表する二大ゴロ集団の正面衝突というのは、そりゃもう凄まじいものじゃったぞ。死者が出なかったのは奇跡といえよう」
「聞けば聞くほど、意識がなくてよかったです……」
「実際、双方からかなりの逮捕者が出たようじゃが、概念クラスタは最初からカルト認定されとるし、人的被害はともかく組織としては屁でもないじゃろう。しかし……ネオノベルのほうはそうもいかんな。地雷レーベルとはいえ一応は出版社なわけだし」
「なるほど。同じ業界ゴロといえど企業と読者サークルじゃ、事件を起こしたあとの進退はだいぶ変わりますか。最近は世間も不祥事に厳しいですもんねえ」
ぼくが納得したような顔を見せると、僕様ちゃん先生は笑みを浮かべて皮を剥いたリンゴをつまむ。
てっきり食べさせてくれるのかと思ったら、彼女は普通に自分でむしゃむしゃと食べはじめた。
……それ、ぼくのお見舞いで持ってきたやつですよね?
「概念クラスタの襲撃はだいぶ注目を浴びてしまったし、おかげでネオノベルがやらかした過去の犯罪行為も白日のもとに晒されることになったようだぞ」
「……やっぱり悪いことはしないほうがいいですね」
「そもそもの話、グッドレビュアーたちが強引な手段に訴えてきたのは、どうも経営母体である闇の出版業界人たちの会社が、出版不況で経営破綻に陥りかけていたからのようでな。粉飾決算やインサイダー、発行部数のサバ読みなどなど……その実情はクソまみれだったという話じゃ」
「うわまた、スキャンダルのオンパレードじゃないですか。そうなってくるとさすがに国だって動きだすんじゃですか?」
「出版業界というのは驚くほど閉鎖的であるし、フリーランスの作家に対する非合法な行いは黙殺されがちだが……大規模の企業犯罪となれば話も変わるだろうな。とくにインサイダーと粉飾決算はお上のやる気スイッチが入るはずじゃし、そう遠くないうちにネオノベル編集部は解体され、闇の出版業界人たちも一掃されるのではないか。……フハハハ!! ざまあみろ!! バーカバーカ!!」
僕様ちゃん先生の高笑いを聞いていると、なんだかなあ……と思わなくもないが、業界ゴロ集団のひとつが壊滅に追い込まれたのは素直に喜ばしい事実である。
紛失した原稿の件はいまだ未解決のままだし、拷問によって廃人と化してしまった
一週間も意識を失っていたとはいえ、病気や怪我があるわけでもない。
たぶん今の雰囲気なら、すぐにでも退院できるだろう。
ぼくとしては早いところ渋谷のマンションに帰って、ネオノベルのオフィスで執筆するハメになった『偽勇者の
と、そこでひとつだけ、気になったことがあった。
「そういえばここって、どこの病院なんですか?」
ぼくがなにげなくたずねると、僕様ちゃん先生はあからさまに視線をそらす。
不思議に思ってまじまじと見つめると、彼女はなぜか関係のない話をはじめた。
「いわゆる政治的取引というやつじゃな。知ってのとおりネオノベルに囚われておったとき、僕様ちゃんは概念クラスタの代表者に助けを求めた。イタコ術を使ってな」
「あ、はい。しかしイタコか」
離れ業にもほどがある。
まあ彼女のオカルト能力のおかげで助かったわけだけど。
「しかしクラスタの協力を得るには、彼らを動かすだけの材料が必要になる。だから僕様ちゃんは、お前がグッドレビュアーに語った話を拝借して説得することにしたのだ」
「はあ……。あのときの与太話を、ねえ」
今となっては一週間も前のものになってしまった記憶をたぐりよせ、ぼくはオウムのように言葉を返す。
絶対小説の原稿を読んだことで、ぼくの中に
ゆえに役目を終えた原稿は消失し、今や
「切羽詰まっていたとはいえ、我ながら自画自賛っぷりがひどいな……」
「とはいえお前のでっち上げた話を信じたからこそ、概念クラスタはネオノベル襲撃を敢行したのじゃぞ。金輪際くんに盗まれた絶対小説の原稿を、彼らもまた喉から手が出るほどに欲しがっておったのだからなあ」
「まあ、そりゃそうでしょうね。でも今の話、この病院がどこなのかってことと関係があります? できれば当分、絶対小説の件については考えたくないんですけど」
ぼくがうんざりした顔でそう言うと、僕様ちゃん先生はきょとんとする。
そしてあからさまに呆れたような表情で、
「おいおい、まだ理解できておらぬのか。概念クラスタが求めておるのは絶対小説、つまり欧山概念の魂が宿った原稿じゃ。それは今、どこにある。というより……ほかならぬお前がでっち上げた与太話の中では、どこにあることになっている?」
彼女にそう問われて、ぼくはハッとして自分の胸元を見る。
そうだ。グッドレビュアーに騙った話を真に受けるのなら――欧山概念の魂が憑依したこの肉体こそが、概念クラスタが求める絶対小説、ということになってしまうのだ。
「さて、お前の質問にも答えてやるぞ。この病院は公共のものではなく、概念クラスタが所有する施設のひとつなのじゃよ。……頭のねじが外れた編集者に拉致されるのと、カルト集団化した読者サークルに入信するのでは、どっちがよりヤバいと思う?」
それはまさに究極の選択であり、同時に終わりの見えぬ悪夢であった。
結局のところネオノベルのオフィスから概念クラスタの施設に変わっただけで、ぼくが今なお囚われの身であることには、そう変わりがないのであった。
◇
「つっても概念クラスタが欲しがっておるのは兎谷だけだからな、こちとら晴れて自由の身になったわけだ。てなわけで用なしになった僕様ちゃんは帰るとするかのう」
「えええ!? ちょっ待って待って、助けてくださいよお!!」
「もう十分助けてやっただろうが、ボケ。お前もそうじゃろうが僕様ちゃんとて当分は絶対小説の件と関わりあいになりとうないわ。んじゃあとはがんばれ!! 死ぬなよ、兎谷!! アハハハハハハハッ!!」
と、彼女はめちゃくちゃいい笑顔で帰ってしまう。
そしてひとり、概念クラスタの施設に取り残されるぼく。
「マジかよ……。これからどうすりゃいいんだ……」
誰もいなくなった病室でぽつりと呟くと、なおさら心細くなった。
僕様ちゃん先生の話が事実なのだとしたら、ここは真っ当な病院ではなく、ヤバい話しか耳にしたことのないカルト集団のど真ん中。しかも例によって、逃げ場がないのである。
ネオノベルの編集長であるグッドレビュアー(仮面をつけたおっさん)もかなりのびっくり人間だったが――カルト集団の構成員ともなれば、アレと同じレベルかそれ以上に常識の通用しない輩がやってくるかもしれない。ある程度の覚悟は決めておこう。
しかし数分後。
全身をゴールドのポスターカラーで塗りたくった半裸のおっさんがいきなり部屋に入ってきて、ぼくはたまらず悲鳴をあげてしまった。
……さすがはカルト集団。常識が通用しないにもほどがある。