7-16:絶対小説(4)
文字数 2,704文字
ふと前を見ればずっと会いたかった女の子が佇んでいて、手を伸ばすだけで柔らかな頬に触れることができた。
ぼくは今、中途半端のまま終わってしまった夢の続きを、納得のいかない物語の結末を、やり直そうとしている。
第四の壁を乗り越えて。百年という歳月を飛び越えて。
「やあ、ひさしぶり。ようやくまためぐりあえたね」
「……どちらさまかしら。お顔に見覚えがないのだけど」
泣きじゃくりながら抱きついてくることを期待していた身としては、彼女の反応はまったくもって想定外。
よくよく考えてみると今のぼくはクソみたいな十年を取り戻していて、だから以前の兎谷三為とは別人のような姿なのだ。
そのうえ目の前にいるお相手も本来の姿になっていて、ぼくが知っているまことさんよりも五、六歳くらい若返っているように見える。
なるほど。言動に子どもっぽいところが多かったのは、実年齢が幼かったからなのか。
ぼくは若いころに戻りたいと思っていて、彼女はもっと大人になりたかった。
その願望が絶対小説という世界で、兎谷三為とまことの年齢に反映されていたのかもしれない。
でも……じゃあどうしよう?
そう思い、一回り以上歳の離れた女の子の前であたふたしたところで、
「冗談だってば。置き去りにされたからイジワルしてみたかっただけ」
「あのなあ、素直に感動の再会をしようとは思わないのか? ていうか君のほうこそよっぽどひどいじゃないか。実は百年前の人間だったなんて、追いかけるほうの身にもなってくれよ」
「でも会いに来てくれたのね」
「君の小説が面白かったから、ぜひとも感想を言いたくてさ。読者の鑑だろ?」
ぼくがそう伝えると、彼女はすこし照れくさそうに口元を緩めて、思いのほか素直にこう言った。
「……ありがと。すごく嬉しい。わたしもちゃんと時間をかけて、今の気持ちを言葉にしたいの。でも」
彼女はぼくから視線を外すと、背後に広がる真っ白な空間に目を向ける。
嘘まみれの世界が塵芥と化した今、そう間もないうちに現実へ戻らなくちゃいけない。
そのことを察したのだろう。自分のことを思いだした少女は寂しそうに、
「終わっちゃうのね」
そうだよ。ぼくが来たから。本当の君に出会えたから。
すべての伏線を回収したから。秘められた真実を導きだしたから。
エンドロールを迎えるにふさわしい舞台が、こうして整ったから。
なのに君はまだ理解していないみたいだから、何度だって言ってあげるよ。
「だからまた、はじめなくちゃ。新しい物語を」
「無茶言わないで。こちとら現実じゃひどい有様だってのに」
彼女はそう言ったあとで両手をだらりと垂らして、舌をべろりと出してくる。
急になにをはじめたのかと首をかしげたあと、オバケのマネをしているのだと気づく。
さすがは百年前の作家。
欧山概念としての記憶を取り戻したからなのか、センスがだいぶ古い。
おかげで今の彼女にこのネタが通じるのかどうか不安になってくるものの、
「俺たちの戦いはこれからだ! って言っただろ」
「でもどうしろっていうのよ。このまま成仏するしかないでしょ、わたし。それともあなたがなんとかしてくれるの?」
「いいや、答えは自分の中にあるんじゃないかな。マクガフィン先生」
「……まさか」
実のところぼくが唯一読んでいない、欧山概念の作品がある。
それはNM文庫で新人賞を獲りベストセラーになったという設定の、マクガフィン名義の異世界転生もの。つまりは彼女の最新作にして、その願望がもっとも反映された小説だ。
その物語はたぶんまだどこにも存在していなくて、だから今も生みだされる日が来るのを待っている。
「ごらんのとおり、ぼくは奇跡を起こした。いくつもの世界を冒険して、月の裏側にいる君を追いかけてね。だから次は君の番じゃないかな。置き去りにされたくないのなら」
「追いかけてこいって?」
「うん、一足先に現実で待っているよ」
すると彼女は、納得がいかないとでも言うように鼻をならす。
とはいえ百年という歳月は、新たな人生をはじめる準備期間としちゃ長すぎるくらいだ。
「……猫や犬に生まれ変わってたら、どう責任を取ってくれるわけ?」
「それはそれで可愛がると思う」
「バカじゃないの」
「自覚はあるよ。でもそうじゃないと、小説なんて書かないだろ」
「言えてるかも。あとロマンティストね」
「そうじゃないと、小説なんて書けないし」
「もしかして、わたしもバカなロマンティストなの?」
「保証するよ。ぼくは君の心に、君が書いた物語に触れてきたから」
「……うわ、なに今の。ダサすぎて寒気がしちゃった」
そこでふたりともぷっと吹きだして、しばらくお互いに見つめあう。
ぼくは君という物語をずっと読んできたし、君もぼくという物語をずっと読んでくれた。
嘘まみれの世界で丸裸の自分をさらけだして、知らず知らずのうちにふりまわされあって、今こうしてありのままで触れあって、ようやくわかりあうことができた。
「じゃあ開きなおって、神さまとケンカしてこようかしら」
「うん、君の次回作に期待しよう」
「だったらわたしも、あなたの小説を来世の楽しみにしとくわ」
「期待値が高いぶん、評価がどうなるか怖いなあ。でも大丈夫、次もきっと面白い」
「欧山概念の小説より?」
「もちろん」
素直にそう答えたら、いきなりパンチが飛んでくる。
病みあがり、というよりオバケなのだけど……こんなに元気があるのなら、ぼくらのいる世界を作りあげた本当の意味での創造主さまから、実力行使で好待遇を引きだしてもらいたいところだ。
「じゃあまた、現実で」
「来世でも、よろしくね」
「新作を書いて待っているから。君の小説より面白いものを」
「うん。わたしだって、あなたの小説より面白いものを書くわ」
「約束だ」
「忘れないでよ」
やがて終末の音色がガシャンガシャンと鳴り響き、物語の幕引きを急かしてくる。
ぼくらは名残を惜しむように、ぎゅっと手を握る。
彼女は別れ際、これだけは言っておかなくちゃというような表情で、
「あのさ、わたしも、あなたの――」
ぼくは言葉の途中で、彼女の口を塞ぐことにした。
伝えたいことはまた会う日のために残しておいたほうが、追いかけるときの原動力になる。