5-9:あなたもいずれ、欧山概念のように生きていくことになるわ。
文字数 5,700文字
一方のまことさんは驚くべき出生を語ったばかりだというのに、口笛を吹きながら再びぼくの手を引っぱって島を案内してまわる。
やがてビオトープに来たときにヘリで着陸したエアポートのちょうど反対側、島全体を一望できる小高い丘にたどりつく。
背後は海に面した断崖絶壁だ。
隠された真相のすべてを打ち明けるのに、これほど適した場所もないだろう。
むっつりと黙りこんだぼくの顔を見つめながら、彼女は、
「せっかくネタばらしをしてあげたのに、こんなの信じられるわけないよ……って感じね」
「当たり前だろ。いまだに受け入れきれているかどうか自信がない」
「出会ったばかりのころから、わたしが嘘ばっかりついていた理由にも納得できたでしょ。あなたがこういう反応をするのはわかりきっていたから」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
まことさんが最初から真実を打ち明けていたとしても、ぼくはまともに取り合おうとはしなかったはずだ。
だからこそ彼女は、確固たる証拠を突きつけることのできるビオトープでようやく、すべてのネタばらしをするつもりになったのだろう。
「はあい、兎谷くん。わたしはイカれた読者カルトサークルで教祖をやってるまこちゃん(仮)どえす☆
「悪い冗談はよしてくれよ。いや、冗談じゃないのか……」
だからこそなおさら、救いようがなかった。
まことさんの口から真実が語られるたびに、彼女という人間は理解しがたいものになり、目の前にいるはずの存在は夢か幻のように、現実離れしていくようだ。
そのうえぼくという存在も今や
これが悪夢と言わずなんと言おうか。しかも一向に醒める気配がないのだ。
「でもすべてが嘘ではないの。謝恩会の夜に見せたとおり、胸を手術したのは本当だし。まあ心臓じゃなくて肺だけど。美代子は生まれつき呼吸器官に先天的な欠陥を抱えていて、それはクローンであるわたしたちにも遺伝したの。さすがに評議会もせっかく完成させた大切な美代子を病死させるわけにはいかなくて、再現性を歪めたとしても手術に踏み切ったわけ。おかげでオリジナルと違って健康そのものだから、医学の進歩には感謝しないと」
「じゃあ
そう言ってはみたものの、まことさんのプロフィール自体があまりにも常軌を逸しているせいで、倫理や常識を求めるぼくの言葉はどこまでも空虚に響いた。
そのうえ彼女は、
「あの人には手ひどく騙されたんだから構いやしないわよ。わたし自ら才能を見込んでビオトープに招いたってのに……あのおっさん、絶対小説の原稿を盗んで逃げだしたのよ? まあそのせいで彼の足取りを追跡するハメになって、東京まで出てこられたのだから悪いことばっかりじゃなかったけど。ちなみに僕様ちゃん先生と知り合ったのもそのころね」
ぼくはそこでようやく、あの占い師とまことさんの正確な関係性を把握する。
前に話していた『失踪した金輪際先生を探すために占いを依頼した』という言葉は、あながち嘘ではなかったということだ。
「……じゃあぼくに近づいたのは? やっぱり絶対小説がらみなんだよね?」
「そうね。金輪際先生をなんとか捕まえたのはいいのだけど、そのときにはもう原稿が紛失していたの。あの人は兎谷くんが盗んだと言っていたから――今にして思うと完全に責任を押しつけてのバックレよね――今度はあなたにターゲットを絞ったわけ」
まことさんはそう言ったあと、ため息を吐いて肩をすくめる。
「兎谷くんてば、あきらかに絶対小説のジンクスに否定的だったし、お金目当てで原稿を盗んだというのも無理あるかなってのは、最初からなんとなく感じていたかも」
「まあそりゃそうだろうね。だってぼくは盗んでないわけだから」
「でもふたりで取材に行って、そのあと河童の楽園の短編を読んだとき、もしかしたら……って思ったのよ。兎谷くんは欧山の文才を得ているのではないか、絶対小説に選ばれたのではないか、そういう片鱗をあの作品の中にはあったから」
もしそうなのだとしたら、過大評価もいいところだろう。
あの短編は最初から二次創作として書かれたもので、僕様ちゃん先生が認めるくらいには完成度が高かったとしても、欧山概念にインスパイアされた作品、それ以下でもそれ以上でもないはずだ。
しかしまことさんは、ぼくの作品をかの文豪に匹敵しうるものだと評価してくれているようだ。
いつもなら手放しに喜んでいるところだけど、今回ばかりはそうもいかない。なぜなら彼女が求めているのは、純粋な意味でのぼくの小説ではなく――あくまでポスト欧山概念的ライトノベル作家、兎谷三為尊師の小説だからだ。
「僕様ちゃん先生から聞いたわ。あなたは絶対小説の秘密を解き明かしたのよね。絶対小説とは欧山概念の思念が原稿というかたちで具現化したものであり、彼に選ばれた人間はその肉体にその魂が記述される。そうすることで彼が持っていた比類なき文才を、というより欧山概念という存在の一部を継承する」
まことさんは既知の事実であるかのように、ぼくの与太話について嬉しそうに語る。
しかし彼女が自らの異常な出生を打ち明け、今までについた嘘のネタばらしをしたのだから、対するぼくも正直にすべてを打ち明けなければならないだろう。
ビオトープにおける自分の立場が危うくなったとしても、そうしなければフェアじゃない。あの謝恩会の夜、肌を重ねたときにそう願ったように、ぼくはまことさんのことを理解したかったし、彼女にもぼくのことをちゃんと理解してもらいたかった。
たとえ、お互いのすべてを受け入れることが難しかったとしても。
「違うんだ。あれはネオノベルに捕まっていたときに苦し紛れに作りあげた話で、実際のところぼくは絶対小説に選ばれてなんかいないし、欧山概念の魂だって継承しちゃいないよ。だからいまだに原稿は行方不明だし、ぼくはただのクソラノベ作家のままさ」
「……本当に? それこそ嘘でしょ」
まことさんは唖然としたようだった。
今の言葉が真実だと理解してもらえたとき、彼女はきっと幻滅するだろう。
ぼくはそう覚悟した。正しい評価だと思った。
ところが、
「じゃあ兎谷くんは作り話の信憑性を高めるためだけに、物語としての完成度を備えたうえで、欧山概念の文体を完全にコピーしたというの?」
「ちょっと待って。それ、なんの話……?」
「あなたと欧山概念の作品が、小説全体から漂うエッセンスだけにとどまらず、文法上の比較においても完全に同一と呼べる代物だという話。仮にあなたが欧山概念の魂を継承していないのだとしたら、無意識にやったなんてこと、あるわけないでしょうに」
言葉の意味が、よくわからなかった。
ぼくの戸惑った表情を見て、まことさんはなにごとかを察したように言った。
「やっぱり無意識なのね。いいえ、自覚があろうとなかろうと、現実的に考えた場合ありえないわ。だって偽勇者の
……まことさんはいったい、さっきからなにを言っているのだろうか。
偽勇者の再生譚はライトノベルで、王道のファンタジーだから、本来であれば百年前の文豪が書いた世界的な名作と比較すること自体がナンセンスなのだ。
目指すべき方向性も読者層もなにからなにから違うのだし、なによりぼくが書いた作品である以上、欧山概念の作品と文体が一致するわけがない。
それでも概念クラスタがあの作品をポスト欧山的だと絶賛したのは、絶対小説の力を得た人間が書いたという先入観をもって読んだから。
ぼくは今まで、そう考えていた。
だけど彼女は違うと言うのだ。
「君はまた嘘をついているのかい。とくにメリットがあるようには思えないけど……」
「残念だけど、これは本当の話。クラスタの評議会があなたを尊師として認定したのは、文章構成のすべてが欧山概念と同一だったからよ。人知を越えた力――すなわち絶対小説の継承者となった証拠としては、十分すぎるほどの説得力だったもの」
そして追い打ちをかけるように「解析ソフトで調べればすぐにわかるわ」と付け足した。
まことさんが嘘をついているようには見えなかったし、ぼくが望みさえすれば確固たる証拠を突きつけてやろうという構えを取っている。
虚言癖があるにしても今回ばかりは作り話を披露する理由が見あたらないし、そもそもビオトープに招かれてからずっと、彼女はネタばらしを続けている。
それでもなお信じがたいと思うのは、頑なに否定したいと願うのは――今の話がすべて自分自身にかかわるものだからだ。
「ドッキリ大成功のプラカードをそろそろ出してくれないかな。ぼくはもう、この与太話に付き合いきれないよ。他人のことならいくらでも嘘のつきようがある。だけど――」
「あなたはこの期に及んでもなお、絶対小説の力を得たことを認めたくないのかしら。それともとっさに思いついた作り話が偶然にも真実を言い当てていたから? もしそうなのだとしたら、それこそ欧山概念の小説みたいな筋書きね」
「もうたくさんだよ!! やっぱりなにもかもでたらめじゃないか!! 君は嘘ばかりつく。こんなイカれた場所にいるから、現実と虚構の区別がまるでついちゃいない。クローンの話も今の話も、ぼくにはわからないタネがあるんだろ? お願いだから本当の本当にネタばらしをしてくれよ!!」
思わず取り乱してそう言うと、まことさんはわずかに身体を震わせた。
たぶんはじめて目にする、彼女の動揺。あるいは――悲しみ。
ぼくは自分の言葉が、彼女を深く傷つけたことを理解した。
「ごめん……」
ぼくが謝罪の言葉を漏らすと、まことさんは悲しそうな表情のまま、無言でうなずいた。
「いいの、あなたの気持ちもわかるから。自分が自分ではなく、別の誰かにされるのって本当に最悪の気分よね。わたしは生まれついたときからずっと、小説のように生きてきたわ。大人たちは口を開くたびに美代子らしくしろと、欧山の作品に登場する病弱な少女のように生きろと強要してきたし、時にはモノクロ写真に写された美代子の肖像にできるかぎり近づけようと、整形手術をほどこしたりもしたわ。施設にいるほかの美代子たちもそう――あなたは知らないだろうけど、人為的に鼻やあごを削らなければ、クローンであろうとあそこまで似ることはないの」
生まれながらにして別の誰か、虚構の存在であることを押しつけられてきた少女の表情は目を背けたくなるほど痛々しく、皮肉なことにその存在感の希薄さは、病弱な美代子のイメージそのものだった。
まことさんは語る。託宣を告げる巫女のように。
「思い描いた理想を現実のものとする。それが欧山概念の作風であり、彼の小説を信奉するクラスタの理念。それはこのビオトープの中に息づいているし、あなたの中にも宿っているわ。わたしが美代子として生まれ、やがて身も心も彼女自身になっていたように――あなたもいずれ、欧山概念のように生きていくことになるわ」
それはまさしくカルトの発想であり、同時にオカルトと呼ぶべき現象だった。
足元にあったはずの現実がぐらぐらと音を立てて崩れ去っていくような感覚を味わいながらも、ぼくは彼女に突きつけられた証拠のすべてを否定しようとする。
しかし、
「兎谷くんだってもう、信じているのでしょう。欧山概念の魂が憑依したという話だって、いちからぜんぶ考えたはずがないもの。……少なくとも着想となる現実はあったはず。あなたはきっと自らの内に宿る文豪の魂に誘われて、示唆された答えを導きだしたにすぎない」
違う。そう言いたかった。
なのに、口にすることができない。
河童とともに冒険する夢も、温泉で見た金輪際先生の幻も、偽勇者の再生譚の登場人物が原稿の中から語りかけてきた怪奇現象も――現実だろうとそうでなかろうと、まぎれもなく自分が経験し、頭の中に記憶したことだ。
それらの情報がパズルのピースのように組み合わさったとき、ぼくは絶対小説の与太話を考えついた。
あるいは最初からそうなるべく、仕組まれていたかのように。
一時、目を瞑ってみる。夢ならいい加減、覚めるべきだ。
だけど再びまぶたを開いたとき、視界に飛びこんできたのは無数の文字だった。
欧山概念の。
絶対小説の原稿に書き記された。
クセの強い。
文字
。それがぼくの身体全体に、タトゥーのように刻まれている。
気のせいではない。幻覚でもない。
なぜなら浮きあがった文字を指さして、まことさんがこう呟いたからだ。
「ほら、やっぱり。あなたの中に原稿の力は宿っているのよ」
他人にも見えるのだとしたら、現実として存在していることを否定しようがない。
そして夢から醒めないのならば、もはや認めるほかないだろう。
今はぼくこそが――絶対小説なのだと。