4-10:だとしても……今は信じよう。自分が思い描いた、物語の力を。
文字数 6,792文字
グッドレビュアーはしたり顔のまま原稿を机に置き、脇に置いていた缶コーヒーに口をつける。
三日間ぶっ通しで書いてなんとか無事に原稿を完成させたものの、身体の限界はゆうに超えている。
だというのにぼくはまたもや椅子に縛られた状態で、下読み中の彼が合否判定をくだすまで、ただただ待ち続けるほかないのだった。
おかげで一瞬でも気を抜くと、意識を失ってしまいそうだ。
「しかし、エルフの聖女と旅に出るところからが本編なのだろう? ここにいたるまでに全体の四分の一以上ものページ数を使っているじゃないか。序盤はもうすこしスムーズに進めるべきではないかね」
「実は……ぼくも書きながらちょっとそう思いました。でも今後の展開を考えると、クロフォードたちとの関係性をしっかり描いておきたかったんです。というわけで導入がやや遅いのは自覚しているのですけど、削ってしまうよりはその後のエピソードともうまく絡めて、序盤の展開にも必然性を持たせていこうかなあと」
「まあ途中までの感想だからな。とくに冗長とは思わんし、最後まで読めばまた印象が変わるかもしれん」
と、思いのほか素直にグッドレビュアーは納得してくれる。
拉致監禁の加害者と被害者という関係にもかかわらず、普通に編集者と作家が打ち合わせしているような会話になっていることを、ぼくは奇妙に思った。
彼も同じことを感じたのだろうか。グッドレビュアーはそこでひとつ「ふん」と鼻息を鳴らすと、並んで椅子に座っている女性に声をかける。
「君はどう思う? 忌憚なき意見を聞かせてくれ」
「概ね同じ意見かな。導入が長いことは確かに気になるけど、そのぶんライルの心の動きが伝わってくるし、ガルディオス戦での絶望感もよく出ていると思う。先の展開に対する期待感も持たせてあるから、あえて調整しなくてもいいんじゃないかな。わたしもまだ途中までしか読んでないし、今後どういう評価になるかはわかんないけど」
普通に喋っているので「誰やこいつ……」と思ってしまいそうになるが、彼と並んでちゃっかり下読みをしているのはなんと、人質になっていた僕様ちゃん先生である。
実はぼくが執筆している間に彼女は目を覚ましていて、ネオノベルの連中から事の経緯を聞いたところ「僕様ちゃんも審査がしたいぞい!!」と駄々をこねたのだという。
薬漬けにされて陵辱されかねない立場だというのに……ゴネにゴネまくって最終的に許可を得たのだから、そのバイタリティたるや尊敬に値する。
饒舌に語る彼女を見て、グッドレビュアーも感心したのか、
「ほほう、公平に審査するつもりらしいな。自分の命がかかっているというのに酔狂なことだ。場合によっては編集部にスカウトしてしまうかもしれんぞ」
「まあ、それはそれで悪くないかもね。うふふふ」
あ、この女。自分だけ助かろうとしていやがる。
普段ののじゃロリ口調じゃないからマトモな人間に見えるなと思ったけど、やっぱり僕様ちゃん先生は僕様ちゃん先生だったらしい。
彼女に呆れた視線をそそぐと、どういうわけかウインクが返ってくる。
……なんだその合図。どう受け取れと。
まあいいや、あの人のことは放っておこう。
ぼくは深くため息を吐いてから、
「ご歓談中のところ申し訳ないのですが、できれば早いとこ最後まで読んでくださいよ……。自分の運命がかかっている状況で急かすのもどうかとは思うんですけど、ぼくはもう疲れてへろへろで」
「ああ、そうだった。ではご希望どおり再開するとしよう。死刑判決をくだされるかどうかの瀬戸際で、裁判長に焦らされるというのも辛かろうからな」
グッドレビュアーは本気か冗談なのかわからない言葉を吐くと、真剣なまなざしで原稿の続きを読みはじめる。
隣にいる僕様ちゃん先生も彼にならったので、ぼくは下読みが終わるまでの間、自分が書いた物語の後半部分を思いだそうとする。
――――――――
「ぼくはもう無力じゃない!! 誰よりも強くなるって、そう誓ったんだ!!」
「ググ……ギョバアアアッ!!」
ライルが放った剣の一撃はゴブリンロードの脳天に深々と突き刺さり、敵の部隊を統率していた魔物は断末魔の叫びをあげて地べたに突っ伏した。
一方、反乱軍のリーダーであるリチャードは彼の剣さばきを見て、非業の死を遂げた兄のことを思いだす。
「さてはお前……偽物のっ!!」
「そうです、ぼくの名はライル。もしかするとあなたには恨まれているのかもしれませんが……今回の戦いに加勢させてください。このとおり、足手まといにはなりませんから」
そう告げるライルを見て、リチャードはしばし逡巡する。
復活した魔王の手によって王国騎士団は壊滅し、生き残りは自分ただひとり。
今は寄せ集めた農夫たちともに抵抗を続けているような有様だ。
戦力は欲しい。
だが、目の前にいる少年は、勇者の生まれ変わりと称して人々を欺いたあげく、仲間を見捨てて戦いから逃げた卑怯者なのだ。
リチャードはもう一度、ライルの顔を見る。
どこか憂いを帯びた表情。しかし力強さを感じさせる瞳。
こいつは本当に……卑怯者なのか?
人々の期待を裏切った、偽物の勇者なのか?
すると彼の隣に佇むエルフの少女が、リチャードの動揺を見透かしたように言った。
「敵の言葉より、己が感じものを信じなさい。……今あなたの前にいる少年は、いったい何者のように見えましたか?」
彼女の問いに答えようとしたとき、リチャードの瞳から自然と涙がこぼれ落ちていった。
白騎士だった兄は偽物の勇者を信じ、そして騙されて死んだ。
ずっとそう思っていた。
なのに――。
「私の目には、勇者の姿が見えた。だから信じてみよう、君は偽物ではなく、本物なのだと」
「ありがとうございます……。リチャードさん」
ライルがそう言うと、絶望の中で抗い続けていた最後の騎士はがっくりと膝をついた。
彼は堰を切ったように嗚咽を漏らしながら、ようやく目の前に現れた希望にすがるように懇願する。
「お願いだ! 私とともに、兄と戦ってくれ!!」
「……いったい、どういうことです?」
クロフォードは死んだと、ライルはそう聞いている。
もし生きていたのだとしても、なぜ戦わなければならないのか。
しかしリチャードは苦渋に満ちた表情で、ただひとこと、こう語る。
「四天王のひとり、鎮魂のオルダスは――死人を操る術を使うのだ」
そう、彼は知っていた。
ガルディオスに敗れたあと、自分の兄がどうなったのかを。
――――――――
「なるほど、クロフォードというキャラクターをここで使うのか」
グッドレビュアーがそう呟いたのを耳にして、ぼくはふっと我に返って目を開ける。
……書いた内容を思いだしていたら、いつのまにか寝落ちしそうになっていた。
居眠りをごまかそうとそしらぬ顔でいると、僕様ちゃんが興味深そうに、
「前に聞いていたあらすじと、すこし展開が変わっているのね。プロットだと鎮魂のオルダスの能力はアンデッドを操るだけで、クロフォードはとくに絡んでこなかった気がするのだけど」
「ええと……書きはじめたら白騎士のキャラが立ってきたし、ライルにとって精神的な支柱としての役割も生まれたので。どうせなら最後までクロフォードを活かしきってみようかと思いまして」
「確かにぽっと出のボスを倒すよりは、盛りあがるかもしれないわ。それにしても――偽物の勇者、魂の同化、そして死者との対峙と、この物語はまるで兎谷くんの体験がそのまま反映されているみたい」
「言われてみれば、そうかもしれないですね。まったく意識していませんでしたけど」
ぼくはそう答えて、力なく笑う。
ライルとユリウスの魂が同化しているアイディアは確か、まことさんから聞いたドナーの話が着想の起点になっていた気がする。
しかし僕様ちゃん先生はドナーの話を知らないから、ライルの設定のモデルはぼく自身の経験だと、そう誤解したのだろう。
金輪際先生のグラフニールからまことさんのドナー話が生まれ、彼女の嘘を聞いたぼくはライルの設定を着想し……と、誰かの作った話に触発されて、別の誰かがまた話が作って、そうして繋がっていった先に偽勇者の再生譚があるのだから、考えてみれば不思議な話である。
そもそも原稿の紛失というきっかけがなければ、まことさんと出会うこともなかったわけだから――そういう意味では欧山概念という百年前の文豪に導かれて、ライルの物語は誕生したことにもなるだろう。
とはいえ、書いたのはぼくである。
だから絶対的な評価が得られるとはかぎらないし、グッドレビュアーが作品の出来に満足してくれず、兎谷三為という人間は悲劇的な結末を迎えるかもしれない。
だとしても……今は信じよう。自分が思い描いた、物語の力を。
――――――――
「見ろ、この忌まわしい姿を!! 目玉は振り子のように垂れさがり、肉は腐りはてて剥がれ落ち、露出した骨は風雨に晒されて赤茶けている。すべてはお前が偽物であったがゆえに、私は呪われた存在になり果てたのだ!!」
「くっ……」
オルダスの秘術によって屍鬼と化したかつての師は、ライルに呪詛をかけるように罵声をまき散らし、錆びついた剣で連撃を仕掛けてくる。
今の彼は白騎士ではなく――四天王オルダスの右腕、冥騎士クロフォード。
アンデッドとなり果てた男の攻撃はどこまでも荒々しく、かつての洗練された剣さばきは見る影もなかった。
力任せに振りおろされる刃は、盾で受けただけで腕の骨ごと砕けるのではないかと思うほど、重い。
それが嵐のような苛烈さで、一拍もやむことなく延々と放たれてくるのだ。
ライルは冥騎士の剣技に圧倒され、じりじりと後退していく。
しかしそこで背後から、マナカンの声が響いた。
「怨霊の言葉にまどわされてはいけません!! 白騎士の魂は魔物の秘術によって汚され、もはや原型をとどめぬほど歪みきっています!! ライル……あなたは彼をどうしたいのですか? 無力な偽物ではないと証明するために、なにを成すべきなのですか!?」
「ぼ、ぼくは……」
クロフォードの亡骸に刃を向けることを、こうして対峙していてもなお、ライルは無意識のうちにためらっていた。
マナカンはそのことに気づき、だからこそ叱咤しているのだ。
厳しい修行の果てに見違えるほど強くなったとはいえ……屍鬼となった白騎士は本領を発揮せずに倒せるような相手ではなかった。
いや、本気を出したとしても、今のライルでは勝ち目がないかもしれないのだ。
と、そこで颯爽と、大きな背中が飛び出してくる。
「私も助太刀するぞ、ライル!!」
「リチャードさん!? でも、あなたは……」
ライルの前に割って入り、リチャードがクロフォードの剣を受け止める。彼は微塵も躊躇することなく、変わり果てた姿となった兄の肩に痛烈な一撃をお見舞いした。
リチャードは背中ごしに、ライルに向けて言い放つ。
「これでいいのだ! 私はもう、兄上の名誉が汚されていくのを見ていたくはない!」
「――ガアアアッ!!」
「うぐっ!? やはり、強いな……」
肩が砕かれたにもかかわらず、クロフォードはひるむ気配すらなく剣を繰り出してくる。
不覚を突かれたリチャードは脇腹に一撃を受け、決して軽くはない傷を負った。
そして――死闘が幕を開ける。
冴え渡る剣技こそ失ったとはいえ、屍鬼と化したことで肉体の限界を超えたクロフォードの実力は、ライルたちの想定を遙かに上回っていた。
幾度となく傷を負わせても冥騎士の勢いは衰えることなく、どころか次第にその力を増していっているようにすら感じられる。
見れば砕かれていたはずの肩もいつのまにやら再生し、へし折られた部分から新たな腕骨が生えてこようとしている。
戦いの最中、リチャードの脇腹から血が滴り落ちているのを見たライルは、かつて仲間の死に直面したときの記憶を思いだし、己の無力さに再び打ちひしがれそうになった。
しかし、そのときだった。
(――お前が恐れているものはなんだ?)
どこからか、ライルに問いかけてくるものがいた。
今にも消えそうなほど小さく、だというのに途方もない力強さを感じさせる声。
剣と剣がぶつかり火花を散らす刹那。
ライルは戸惑いつつも、その言葉に耳を傾ける。
「ぼくが恐れているもの……? それは……」
変わり果てた姿のクロフォード。
あるいは冥騎士となった彼の底知れぬ力だろうか。
いや、違う。
ライルが恐れているのは、自分自身の弱さだった。
(恐怖を受け入れ、絶望に打ち勝て。目に見えるものだけが、敵ではない)
ライルははっと我に返り、そして理解した。
自らの内側に宿る勇者の魂――ユリウスが、語りかけているのだと。
「そうか!! 冥騎士は負の感情を糧にして強くなっているんだ!! だからぼくたちが追い詰められれば追い詰められるほど、敵の力は増していくっ!!」
「なんと……では!!」
「恐れや不安、そして迷い――旅をともにした師であるからこそ、血の繋がった兄であるからこそ、刃を交えれば、おのずと心は負の感情に苛まれます。ですが……わたしたちは彼を倒すために戦っているのではありません! 救うために戦っているのです!!」
マナカンの言葉に勇気づけられ、ライルは再びクロフォードと対峙する。もはやその瞳には一片の迷いもなく、彼は凄まじい勢いで連撃を繰りだしていく。
ライルが一撃を放つたびに剣はまばゆく輝いていき、数多の流星となって冥騎士の身体に降りそそいでいった。
その姿を見たリチャードは、驚愕にまぶたを見開き、そしてこう呟いた。
「まさかその技は、兄上の……!? いや、これは……!?」
誇り高き白騎士が死の間際に放った奥義。それは弟子であった少年に受け継がれ、厳しい修練の果てにさらなる高みに到達しつつあった。
ライルは叫ぶ。
与えられた力を享受するだけでなく、受け入れがたい真実に目を背けずに、自らの意志で道を切り開き――そうして強くなっていくのだと、かつての師に示すために。
「王国騎士団流、秘奥義!! ――――
――――――――
原稿を机に置いたときの、パサリという音で目を覚ました。
……やはり睡魔には耐えきれず、ぼくは数十分ほど眠りこけていたらしい。
ぶっ続けで書いていたせいか、寝ているときですら夢の中で、ライルたちのことを考えていたような気がする。
今でも目を閉じれば、ラストの戦闘パートの文章が頭に浮かんでくるようだ。
ぼくが居眠りしていたことに気づいているだろうに……グッドレビュアーはあえてそのことには言及せず、ふんと鼻息を鳴らしてから、不服そうにこう告げた。
「前言は撤回してやろう。売れないラノベ作家だからといって、君のことを軽んじていてすまなかった。確かにこれは優れた作品だ。万人に好まれそうな王道のファンタジーではあるし、ライトノベルというジャンルであればこれもひとつの正解だろう」
「あ、ありがとうございます!! ということは……」
ぼくが明るい声を出すと、グッドレビュアーはにっこりとほほえみかけてくる。
わずか三日という強行スケジュールの中、ネオノベルの連中が認めざるをえないほどの傑作を、見事に書き上げることができたのだ。
これで僕様ちゃん先生ともども、拷問は回避された。
その後の待遇がどうなるかわからないものの、身の危険は去ったと考えていいだろう。
しかしそれよりもまず、純粋に評価されたことが嬉しかった。
ぼくが喜びを抑えきれずににやけ面を浮かべていると、グッドレビュアーはすっと椅子から立ちあがり、
「だが……苦境に立たされた出版業界を救うほどの力はない。やはり君は、絶対小説の力など得ていないようだな。我々を騙した報いをこれからたっぷりと受けてもらおう」
彼はそう言ったあと。
ぼくの原稿を、部屋の隅に置いてあったゴミ箱に放り投げた。