7-7:ラノベの森
文字数 4,125文字
足場の悪い獣道をいくら歩いても足腰は疲れを知らず、研ぎ澄まされた心は恐怖や不安を覚える気配がまったくない。
全身から力がみなぎり気分が高揚していく中、うっそうと茂る草葉の陰から巨大な甲虫が飛びだしてきた。
しかしぼくはいっさい慌てることなく、村長から授かったという石槍を構える。
「我が必殺の一撃! ドラゴニックうんたらかんたら!」
「グパアアアンッ!」
技名を叫んで一撃を繰りだすと、目の前のクリーチャーはまばゆい光を放って爆散する。ほとんどアクションゲーム感覚で倒せたので、自然と笑みがこぼれてしまった。
そうだ! ぼくは快活な冒険小説の主人公、異世界転生系チートキャラ、いわば向かうところ敵なしのスーパーヒーローに生まれ変わったのだ!
「ふふふ、俺こそが最強の――川太郎か。名前がださいよな。せっかくだし今っぽい感じに変えよう。リバーマン、いやいや、昭和の特撮ヒーローかよ」
ぶっちゃけた話、ぼくはかなり調子に乗っていた。
なんでも思いどおりになる世界は虚しい的なことを、もうひとりの自分だった金輪際先生が呟いていた気もするけど……なにもかも都合よく進む冒険ファンタジーを実際に体験してみると、爽快感にあふれていてめちゃくちゃ楽しかった。
異世界ラノベの主人公の多くが、あえて元の世界に帰ろうとしない理由もよくわかる。
川太郎になったぼく自身、ついつい疑問を抱いてしまうからだ。
何故わざわざ、過酷で孤独な現実に戻らなくちゃいけないのか、と。
その後もぬりかべ、一反木綿、餓鬼の群れ、メタルスライム、マンティコア、太古に作られたオメガウェポン(自らそう名乗ってきた)を石槍でワンパンし、新たな必殺技スターライトリバーマンインパクトを閃くなどして草木の生い茂る山道をひたすら切り開いていくと、やがて視界が開け、ごつごつとした岩場にたどりつく。
「ふむ、つまりはここがステージ2ってことだな」
そう呟いた先に見えるのは、かつて埼玉の山間部で見たものよりもはるかに荒々しい、ほとんど滝のような渓流だ。
古来の伝説によると鯉は滝に登って竜に成るというし、きっとこの先に竜たちの住まう雲上の世界とやらがあるのだろう。
ぼくは意気揚々と石槍を投げ捨てると、勢いよく渓流に飛びこんだ。
ところが、
「おっ……あぶっ……げおっふっ! ふっ! これ、あかん……やつ!」
思っていた以上に流れが激しくて、さっそくピンチになってしまう。
兎谷三為だったころなら絶対に飛びこもうなんて考えなかったし、現実のぼくならなおのこと、滝のような渓流を見て泳ぎきれるわけがないと判断したはずだ。
自分を見失わないようにとあれだけ意気込んでいたというのに……生まれ変わった川太郎の最強パワーにあてられて、今の自分ならならなんでもできると勘違いしていた。
でも、無理なものは無理。
打ちつける波は容赦なくぼくの身体を押し流し、あれよあれよという間に川底へと沈めていく。やばいやばいやばい、これは冗談でなくやばい。
ごうごうごう。ごうごうごう。
溺れる。
死ぬ。
ほかになにも考えられなかった。
◇
「げほっ……げほげほっ!」
最初に感じたのは、耐えがたい息苦しさと、口から溢れでる大量の水。
それがいったん収まると、口の中いっぱいに塩辛い味が広がり、歯にへばりついた藻屑のぐちょぐちょした感触に不快感を覚えた。
再び咳きこみながらポンプのように水を吐きだしていると、近くにいた女の子が驚いたような顔で背中をさすってくれる。
「ねえ、大丈夫!? ていうかこんなところでなにやってんの!!」
「げっ……げふっ! ぼ、ぼくは……」
「ここで溺れていたのよ、あなた!! だからわたしが助けてあげたんだってば!!」
朦朧とした意識の中、彼女の言葉を理解することすらおぼつかない。
内臓が飛びでてしまうのではないかというほどげえげえと水を吐いたあと、ぼくは自分が今まで川太郎であったことを思いだす。
隣にいるのはまことさんだ。
しかもこの状況には、覚えがあった。
埼玉の山間部でいっしょに遭難したときと、まったく同じ展開だ。
「ええ……? ぼくはまた兎谷三為に戻ったのか? それとも今までのことがぜんぶ夢で、ここが現実だとか……? もう本気でなにがなにやら、わからなくなってきたぞ??」
「それはこっちの台詞よ。いきなり溺れているかと思えば、わけのわからないことをブツブツと呟きはじめてさあ」
まことさんがそう言って、呆れたように肩をがっくりと落とす。
今いるところが絶対小説の中なのか、それとも現実なのか判別がつかなくて、とにかく頭が混乱していたけど――それでも彼女とようやく再会できたことがわかると嬉しくて、ぼくはつい顔をほころばせてしまう。
君が隣にいるのなら、この世界が本物かどうかなんて些末な問題でしかなかった。
「ああ……よかったよ。ずっと会いたくてさ、話したいことがたくさんあって。でもまあとりあえず、ひさしぶりだね。ちょうど一年ぶりくらいになるのかな」
「はあ? そりゃ感動の再会って言えばそうかもしれないけど、その前に一度だけ会っているでしょ。あのときは落ちついて話ができなかったってのは、ともかくとして」
「そ、そうだっけ? なんか微妙に話が食い違うな」
違うと言えば、まことさんの雰囲気もそうだった。
口調にしてもぼくへの態度にしてもやたらと当たりが強くて、どうにも違和感がある。
まるで以前とは別人みたいだ。
「ていうかなんで、こんなところで溺れていたのよ。あんまり遅いからデートをすっぽかされたのかと思ってたら、いきなり海で死にかけてるし」
「ぼくが、デートの約束を? ごめん、ちょっとまだ状況が見えてなくて」
ていうか……海? 川じゃなくて?
しどろもどろになりながらも周囲の様子に目を向けると、ぼくたちがいるのは山の渓流ではなくて、静かでひとけのない浜辺だった。
そのまま視線を遠くに移すと、特撮映画に出てくるような瓦礫まみれの町並があり、眼下に広がる水平線の先には沈みゆく夕日と、天に向かってそびえ立つ巨大な建造物があった。
見覚えがあるような、だけど今まで目にしたことのないはずの風景。
脳裏にこびりついた記憶がどこから来たものなのかしばらく考えて、ぼくはようやく状況を理解する。
そしてあまりにも不条理な展開に、頭を抱えたくなった。
ここは現実じゃない。
だけど絶対小説の中でもない。
なぜなら彼方に見えるのは、魔神将器パンデモニウムの残骸なのだ。
「ここで夕日が沈んだときまでいっしょにいたときのこと、覚えてる?」
「忘れるわけもないさ。もう一度そうするために、俺はずっと戦ってきた」
自分で考えただけあって、とっさに口から台詞が出てくる。
ビオトープでなりきりプレイに興じていたときのことを思い出す。
ぼくは自らのデビュー作である多元戦記グラフニールの世界にいて、我ながら驚くほど自然にリュウジの役割を演じていた。
だけど何故そうなっているのかは、さだかではない。
隣にいる女の子と向かいあって、しばし見つめあう。
君の頬に触れたかった。
あの日と同じように語りあいたかった。
だけど彼女はまことさんじゃなくて、ぼくが作りあげたもうひとりのヒロインだ。
心の奥にざわざわと、失望感だけが募っていく。
「やっぱりあなたは、わたしの知っているあなたではないのね」
「そうだね。君だって、ぼくが会いたい女の子じゃない」
兎谷三為として絶対小説の中にいたころは、どんな行動をしても欧山概念の筋書きに沿っている気がして居心地の悪さを感じたけど――今はあらかじめ定められていた物語からずれているような気がして、それがなぜか焦燥感を抱かせる。
ぼくが君をまことさんと呼ばないように、君もぼくを兎谷くんとは呼ばない。
もしかして彼女も、気づいてしまったのだろうか。
達観したような態度を見るかぎり、そう考えるべきなのかもしれない。
「わたしはもうひとりのミユキ。だけどあなたは、もうひとりのリュウジですらない」
「認めるよ。たぶんだけど、君の考えているとおりさ」
「ずっと疑問だったの。わたしたちのいる現実は、どうしてこれほどまでに救いようがないのか」
そう語るミユキの表情を、一年前にも見たことがあるような気がした。
まことさんがぼくから、真実を伝えられたときに。
あるいは兎谷三為が、絶望の中で答えを知ったときに。
「……あなたのせいなのね。あなたがこんな世界を作ってしまったから」
黙ってうなずくしかない。
言い逃れようとする気持ちさえ芽生えなかった。
今いる世界が絶対小説ではなく、多元戦記グラフニールならば――過酷な運命を強いられた登場人物の怒りと悲しみの矛先は、いったい誰に向けられるべきなのか?
ミユキは腕を前に出し、虚空から光り輝く剣を現出させる。
この世界における欧山概念。
すなわちグラフニールを生みだした創造主に、復讐を果たすために。
ぼくは天を仰ぎ、もうひとりの兎谷三為でもある彼女に語りかける。
「困ったことに、君の気持ちが痛いほどよくわかるよ」
「おあいにく様。わたしにはあなたがなにを望んでいたかなんて全然わからないし、あえて知りたいとも思わないわ。自分勝手な神さまの都合なんて、ね」
まったくもってそのとおり。
お話を面白くしたかったと告げたところで、納得してもらえるとは思えない。
だから無駄な抵抗はやめよう。
眉間を撃ち抜かれたときだって、そうされることを望んでいたのだから。