7-5:河童をめぐる冒険(2)
文字数 2,608文字
「は、はあ……。ぼくも小説を書きながら食品関係の会社でバイトしてますけど、そこの工場もこんな感じですよ。長くやっているところはどこも設備が老朽化してますから」
一応は取材先の工場なので「そんなことないですよ」と言っておくべきだったかもしれないが、おっさんのフランクな雰囲気に流されてフォローにならない返答をしてしまう。
しかし彼は気分を害した様子もなく、むしろ創作活動を続けるためにバイトをしているぼくの境遇に同情したのか、わずかに目を細めてこう言った。
「一昔前ならば、専業作家という夢もあったのですけどなあ。羽振りのよかったライトノベル界隈ですら、今となっては別に仕事を持たなければやっていけない状況でしょうな」
「そう、ですね。実際なかなか大変ですよ。あの業界で生き残っていくのは」
元ラノベ作家と元編集者。立場は違えどぼくらはいわば同じ戦場で戦った敗残兵であり、だからこそすぐに共感しあうことができた。
彼と他愛のない世間話をしながら通路を進むと、やがて広々とした一画にたどりつく。
都内からアクセスのしやすく、しかし地価が比較的安い埼玉の山間部。
出版社が自前の工場を持つにはうってつけの場所であり、一目のつきにくい建屋の奥では日夜、想像を絶する数の魂が断末魔の悲鳴をあげているという。
「さあ、世界の終わりへようこそ」
大手編集部から左遷され、独裁者もしくはスーパーヴィランに生まれ変わった男は、妙に芝居がかった口調でそう告げる。
それなりの覚悟を決めてきたものの、ぼくは目の前の光景に恐れおののき、そして圧倒されてしまった。
「じゃあ……これが」
「はい。返本された雑誌や文庫、ハードカバーの末路です」
眼前に高々と積みあがっているのもまた、ぼくらと同じ敗残兵たちだった。
数多の作家やライターによって生みだされ、しかし過酷な生存競争の場で失格の烙印を押されたすえに、廃品物となってこの工場に送りこまれてきた――本の山。
色とりどりの装丁で飾られた彼らは次々と裁断機に呑みこまれ、バラバラに分解されていく。それは事前に聞いていたとおりの、情け容赦のない虐殺現場だった。
「一般の方々はそうでもないらしいのですが、あなたのようなライターさんからするとショッキングな光景でしょう。かつて編集者であった私もこの山の中に自分が携わった本があるかもしれないと思うと、胸焼けしそうになりますからな」
「ちょうど今、同じようなことを考えていたところですよ……」
裁断機がやかましくて、お互いに声を大きくしないと聞き取れない。
ガシャンガシャン。ガシャンガシャン。
ガシャンガシャン。ガシャンガシャン。
かつて絶対小説という名の世界で、兎谷三為だったぼくが耳にした終末の音色。
それが現実の中で、ひっきりなしに響き渡っている。
積みあがった本の一冊一冊に作り手の魂がこめられ、ページを開けば華々しい冒険やロマンスを繰り広げているはずなのに……彼らの物語は誰かに読まれることもなく、またたく間に塵芥の山と化していく。
そうして最初から存在していなかったように忘れ去られ、汚物を拭き取るための再生紙に生まれ変わるのだ。
すくなくとも生活用品であれば、多くの人々から必要とされるだろうからと。
「こうして見ると売れている本もけっこうあるんですね。だってほら、あそこで束になっている少年誌とか、コンビニや書店で平積みにされているじゃないですか」
「そうは言っても毎週出てますから、売れ残ったらゴミの山ですよ。そうでなくても年々発行部数は落ちていますので、返本率だって増えてきておりますなあ」
見れば埋もれている本の中には少年誌やコミックスだけでなく、自分の知っているライトノベルがいくつもあった。
大ヒットを飛ばしていたレーベルの看板作家の、あるいはぼくの背中をあっという間に追い抜いていった後輩の、多くの人に読まれていたはずの作品。
あまつさえ学生のころに読んで感動し、不朽の名作と言われていたベストセラーでさえ、新装版として刊行されたときに数字がふるわなかったのか、バベルの塔を構成する一部と化していた。
「どうでしょう。せっかくの機会ですから、自分の本がないか探してみては?」
「これまた自虐的な提案をしますね……。でもまあ記事を書くときのネタになるかもしれませんし、ざっと調べてはみますよ」
ぼくはそう言って、倉庫の端に保管されている本の山に近づいていく。
NM文庫時代に出したシリーズのほとんどは絶版になっているし、今さらこの中にあるとは思えないけど、見つけたらひと思いに救出しておこう。
たぶんそれくらいのことなら、許可してもらえるはずだ。
しかしざっと調べてみたところ、選んだ山がよくなかったのか、自分の書いた本どころか知っているタイトルさえ見つけることができなかった。この結果に安堵していいのかどうかもわからないまま、管理責任者のおっさんのところに戻ろうとする。
ところがそこで、山のうえからぱさりと本が落ちてきた。
「あの、なんですかこれ」
「おおっ! ありましたか、自分の本!」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
ぼくは本を拾いあげ、そして眉をひそめる。
それは元の色さえわからないほどうす汚れたハードカバーで、表紙の文字はかすれて消えかかっているものの、かろうじてタイトルだけは読み取ることができた。
絶対小説。
「おかしいですよ。だってこれ、出版されているはずがないんですから」
「はい? 現にこうして目の前にあるじゃないですか」
そう言われると、返答に困ってしまう。
欧山概念が死の間際に書いた未完の長編が、知らないうちに出版されていたのだろうか。
でもあれはぼくがでっちあげた架空の作品で――いや、ほかならぬ夢の中で見たタイトルなのだから、欧山自身の記憶の残滓がひょっこり顔を出していたとか?
わけもわからぬまま、とりあえずページを開いてみる。
最初に収録されているのは、これまた河童の楽園を題材にした短編のようだった。