6-1:検索してみてください。タイトルもそのままですから。
文字数 3,454文字
おかげで驚くほどあっさりとボートは海を越え、翌早朝、ぼくらは某国の密航者さながらに本州へ上陸する。
しかし手持ちにあるのは脱出前にあらかじめA4用紙に出力しておいた『偽勇者の再生譚』の原稿のみ。これでは電車はおろか、バスにも乗れない。
……さて、これからどうやって渋谷のマンションまで戻ろうか。
そう思っていた矢先に、まことさんがぽんぽんと肩を叩いてきて、
「はい。百万円」
「え、どっから出てきたのこれ」
いきなりむきだしの札束を渡されて、ぎょっとする。
バカみたいに口を開けながらぱらぱらと確認すると、ぜんぶ本物の諭吉さんだった。
「ボートの中にあったの。当面の軍資金として金色夜叉が用意したのではないかしら。わたしもお金が必要になることなんてすっかり忘れていたし、本当に助かったわ」
「マジかよ、さすがは全身ゴールドおじさん。抜け目がないなあ」
というわけでありがたく受け取って、甚平の懐にぶっこんでおく。
さすがに百万円を貰いっぱなしというわけにもいかないので、ほとぼりが冷めたころに返しに行けばいいだろう。実際、いつになるかはわからないけども。
◇
バスと電車を乗り継ぎ、ぼくらは渋谷に向かう。
ボートで上陸した浜辺が都心からほど近い位置だったこともあって、夕方ごろには借りているマンションにたどり着いた。
途中でまことさんが『ラーメン食べたいお買い物したい』と駄々をこねたので原宿の阿夫利に寄ったりビームスで代えの衣服を揃えたりしたわりに半日で戻ってこれたのだから、やはりビオトープ自体が渋谷からさほど遠くないのだろう。なんとも恐ろしい事実である。
で、念願のマイホームに戻ってきたぼくが玄関を開けると、まことさんがひとこと、
「うげ、ぐちゃぐちゃじゃないの。早くも駆け落ちしたことに後悔しちゃいそう」
「待って。たぶん逃げだしたあとに、ネオノベルの連中にやられたんだと思う」
なんと部屋の中は、空き巣に入られたかのように荒らされていた。
いや……実のところぼくが住んでいたころからそれなりにぐちゃぐちゃだったのだけど、まことさんがどん引きしていたので、とっさにネオノベルに罪をなすりつける。
とりあえず彼女を外に出してステイさせたあと、見つかると駆け落ち生活が即終了しそうな代物を黒のゴミ袋にぶちこんでいく。
さようなら、ぼくの恋人たち。
そして再び玄関で彼女を招きいれると、
「証拠隠滅は終わった?」
「ええと……お願いだから家宅捜索はしないでね」
そしてこぎれいになった部屋で一息つく。
ぼくは黒のゴミ袋をチラチラ見ているまことさんを牽制するように、
「クラスタに足取りを掴まれるだろうし、明日にはこの部屋は引き払おう。軍資金が百万くらいってことを考えると不安が残るけど、まあふたりでなんとかしよう」
「わたしが出した本の印税は丸々残っているんだけど、あれってクラスタが管理している口座に振り込まれているのよね。つまり使うと所在がバレます」
「早めに偽勇者の再生譚を出版して、その印税に期待するっきゃないかな」
「大丈夫よ。きっとベストセラーになるから」
まことさんが自信満々にそう言ったので、ぼくは苦笑いを浮かべる。
書いた本人としてはさすがにそこまで確信できないのだけど、とりあえず元気はもらえた。
「そうだ。鈴丘さんに連絡を入れとかないと。仕事で使っていたノートパソコンは拉致されたときにどっかいっちゃったし、前に使ってたPCを引っ張りだしてメールを送れば――待ってまことさん、その黒いゴミ袋は関係ないから。開けなくていいから」
「ねえ、兎谷くんてやっぱりロリコンなの……?」
まことさんがなんか言ってくるけど、過酷な現実からは目をそらそう。
ぼくは背後からひしひしと感じる冷たい視線に耐えつつ、埃にまみれていた初代PC(今の目で見るとクソでけえデスクトップ)を見つけだした。起動してみるとスカイプのほうに履歴が残っていたので、とりあえずメッセージを送ってみる。
するとさっそく、ビローンビローンと着信音が鳴った。
『もしもし、もしもし。兎谷先生ですか。NM文庫の鈴丘です』
「あ……おひさしぶりです。連絡が遅くなってすみません。とりあえず生きてます』
『そうですか。はあーっ! 安心しましたよ! あなたまで失踪したのかと』
『いやほんと、心配をおかけして申し訳ないです。実をいうとぼく、先日から――』
そして鈴丘さんに長々と、ネオノベルに拉致されたことと、そのあとで概念クラスタの本拠地に軟禁されていた経緯をかいつまんで説明する。
あまり正直に話すと今後の作家活動に悪い影響が出そうなので、教祖さまとの駆け落ちや今なおクラスタに追われている事実は伏せておく。
隣でニヤニヤ笑っているまことさんことマクガフィン先生に黙っているように無言で合図を送りつつ、ぼくは最後にひとこと、
『色々とありましたけど、今はぜんぶ解決したので安心してください』
『それはそれは……大変でしたねえ。兎谷先生が無事で、私としてもホッとしました』
『で、さっそく仕事の話なんですけど、バタバタしつつも初稿のほうは仕上げてありますので、そちらのほうもご安心ください。我ながら内容にも自信があって――』
『む……うおっほん!!』
ぼくがそう告げると、鈴丘さんは話の腰をぶったぎるように大きく咳払い。
なぜだか妙にわざとらしくて、彼の態度に違和感を覚えていると、
『初稿というのはその、偽勇者の再生譚、ですよね?』
『もちろん、そうですけど。企画が進行中なのはその一作だけですし、締め切りだってもうすぐですから。まさか、鈴丘さんが忘れていたなんてことは……』
『いや、覚えていますよ。むしろ兎谷先生と連絡が取れなくなって以降、ずっとそのことで頭を悩ませていたというか、私自身、だいぶ打ちのめされていたというか』
それからしばし間があって、鈴丘さんは意を決したようにこう告げた。
『すみません! あの話、やっぱりなかったことになりました!』
『ええ……!? それって企画そのものが没ってことですか!?』
『端的に言えばそうなります。本当に心苦しいのですが、やんごとなき事情があって、その……また最初からプロットを作っていただけないでしょうか』
『いや、待ってくださいよ。偽勇者の再生譚は会議に通ったはずですよね? ほかのレーベルはともかくNM文庫は企画がスタートしたら必ず出版しているじゃないですか。原稿の内容にだって自信がありますし、もし編集部の方針が急に変わったとかそういう話だとしても、一年間やってきたぼくとしては納得できませんよ!!』
『わかります。兎谷先生の気持ちはよくわかります。私としても悔しいです。本当に、でも、どうしようもないのです。もちろん、あなたが悪いわけでもありません……ですがどうか、納得していただけないでしょうか』
『無茶言わないでください。せめてその、やんごとなき事情ってやつを教えてくださいよ』
その時点でぼくは、だいぶ怒っていた。
横で会話を聞いているまことさんも、ハラハラしているような雰囲気だ。
『実を言うとですね……兎谷先生の考えた作品、すでに出版されています』
『は? すみません、意味がわかりません』
『検索してみてください。タイトルもそのままですから』
嫌な予感がした。
なんとなく、なにが起こったのか察したからだ。
心臓をバクバクと鳴らしながら、グーグル先生に文字を打ちこむ。
するとぼくが出版するはずの新シリーズのタイトルは、あっさりと候補に出てきた。
鈴丘さんの言うとおり、すでに出版されて、通販サイトで販売されている。
ただし著者名は、兎谷三為ではない。
『偽勇者の再生譚 金輪際:著』
しばし理解が追いつかなくて、呆然としてしまう。
一年かけて考えた、最高傑作だと確信していた、僕様ちゃん先生が、まことさんが、そして不本意ながら概念クラスタが、かの文豪に匹敵しうると絶賛したあの小説が――すでに自分のものではなくなっていたからだ。
ほかでもない金輪際先生に。
尊敬してやまなかった先輩作家に。
ぼくの小説は、盗まれていた。