2-6:妖怪と戦える機会なんてそうありませんよ?
文字数 4,748文字
全長はおよそ二メートル半から三メートル。
ラフレシアめいた黄色の花弁を頭につけており、丸太と見まごうほどの巨体は爬虫類の鱗、というより
四肢に相当するものはなく、身体の下部に触手のような
蔓と蔓の間には、薄緑色のレンコンのようなものがついている。
たぶんあれがお目当ての根菜だろう。
河童の村長いわく美味らしいが、あえて食べてみたいとは思わない。
ピュエエエ、ピュエエエという鳴き声は、花弁の中央、獲物を捕食するための口腔から響いてくる。河童たちをたやすく呑みこんだことから、相当の吸引力があることがわかる。
これがぼくたちの前に現れた、
「ガチのモンスターじゃないか……」
ぼくは魂の抜けた声で呟く。
一方、隣にいるまことさんはぷるぷると震えながらも勇ましく鉈を構えて、
「どうします、
「無茶いわないでくれよっ!!」
むしろ彼女のチャレンジ精神に驚いてしまう。なぜ戦おうと思えるのか。
しかしありがたいことに、河童の村長は今のところぼくらの協力を求めていないようで、
「慣れでねえど危ねえがら、最初はおれだぢの狩りを見どげ」
「……あ、はい。ありがとうございます」
さすがは河童たちのリーダー。見ためは白ヒゲのグリーン老人なのに、背中ごしに声をかけてくる姿は、ハリウッド俳優のごとく様になっている。
というわけでお言葉に甘えて、ぼくとまことさんは物陰から戦いを見守る。
木霊の奇襲によって三匹が餌食となり、早くも切羽詰まった状況に陥ったものの……河童たちは熟練した兵士のごとく、三×四の部隊を素早く展開した。
そして花弁を広げて襲いかかってきた木霊を、真っ向から迎えうったのだ。
当初より数が減ったとはいえ、総勢一二匹。
四組の部隊にわかれた彼らは前後左右から同時に鉈や鎌を振るい、確実に木霊の隙をついていく。そして攻撃のたびに先頭のアタッカーをくるくると交代させ、手を休めることなく戦闘を続けている。
美しいとすら思えるほどの、洗練された狩りの
「すごい……。踊ってるみたいです」
「とりあえず、ぼくらはなにもしなくても大丈夫そうだね……」
安全だとわかると、精神的にも余裕が生まれてくる。
河童の戦いを眺めつつ思いだしたのは、昔ハマっていたネットゲームのチームバトル。
……懐かしいなあ。
ぼくも昔はこんな感じで、パーティーを組んで戦った覚えがある。
こうやってモンスターを一匹ずつ狩ってるときはわりと安全なんだけど、もう一匹ぽこっと湧いたりすると、陣形が一気に崩れて全滅しちゃったりするんだよね。わかるわかる。
なんてことをうっかり思いだしたのが、よくなかったのかもしれない。
「――ピュエエエエエエッ!」
「ひぃっ! で、でだああ!!」
ちょうど木霊を倒しそうな雰囲気になったところで、樹木をなぎ倒して二匹めが乱入。隙をつかれた河童たちは瞬く間に呑みこまれていき、部隊が一つ崩壊する。
すると瀕死だった最初の一匹も息を吹き返し、乱入してきた木霊を迎撃しようと構えた河童たちの背後を強襲、立て続けに二つめの部隊が崩壊した。
全滅ムードがビンビンに漂ってきたところで、村長が叫ぶ。
「ヨソモン!! おめえらの出番だど!!」
いやいやいや、無理でしょ無理。
ネトゲではやったことあるけどリアルは無理。
しかし隣のまことさんは勇ましく鉈を構え、ぼくの肩をつかむ。
「やりましょう、兎谷先生。妖怪と戦える機会なんてそうありませんよ?」
だからなんでチャレンジしたがるのか。
◇
危機的状況に置かれたとき、人間の脳は大量のアドレナリンを分泌する。
極度の興奮状態におちいった結果、火事場の馬鹿力を発揮することもあれば、痛みや恐怖といったマイナスの感覚が一時的に麻痺することもあるという。
まことさんの場合、アドレナリンは悪いほうに作用したらしい。
勇ましく鉈で斬りかかった彼女は、あっさりと木霊に食われかけた。
ゲーム感覚で突っこんだ結果である。
「びやああ……死ぬがどおもっだあ……いぎででよがっだでずうぅ」
「だから無茶だって言ったじゃないか。もう助からないかと思ったよ」
木霊の口腔に吸いこまれた彼女をすんでのところで引っ張りだすことができたのは、ぼくのほうが火事場の馬鹿力を発揮したからだろう。
かなりの危ない橋を渡るハメになったが、どういうわけかうまくことが運び、
「でもまあ、なんとか逃げることができてよかったですね」
「ぞごの
と、村長からお褒めの言葉。
しかし想定していたお役の立ち方ではないうえに、意図せず捨て身の特攻をかけた本人はずびずびと鼻水を垂らして泣きじゃくり、まともに話を聞けるような状態ではない。
まことさんを救出したあとは、河童たちとともに二匹の木霊を牽制しつつ撤退。今は全員で、岩場の陰にぽっかりと開いた、狭い洞窟に身を潜めている。
外から絶え間なくバキバキバキと草木をなぎ倒す音が聞こえてくるので、木霊たちはまだ近くを徘徊しているだろう。村長が白ヒゲをさすりつつ、静かに呟く。
「……ぞのうぢ見つがる。やばり狩らねばならねえど」
ぼくらは顔を見合わせる。
川で溺れていたところを助けてくれた河童が残っていることに気づいてホッとするものの、彼らの人数は今や当初の半分以下、五匹にまで減っていた。
しかし村長は場の空気に不釣り合いなほど陽気な声で、こう言った。
「んだげどいづものごどだな。同時に襲われだにしぢゃ、まだいいほうがもじんねえ」
「……え? そうなんですか?」
「山さ行っだまま一匹も戻ってごねえごとだっでよぐある。ごの一月で五回は村長が変わっでるじのう、おらもぞろぞろ食われるかもじれねえと思っでたとこだ」
冗談に聞こえない冗談を吐き、村長はガハハと笑う。
ようやく泣きやんだ様子のまことさんが、ぼくに小声で囁く。
(怖くないんでしょうか……。食われて死ぬなんて最悪では)
さきほどそうなりかけただけに、彼女の言葉には説得力があった。
食うか、食われるか。
ヨソモンであるぼくらからしてみれば、地獄のような環境だ。
しかし河童にとってそれは、普通のことなのだろう。
(とにかく木霊をどうにかしなくちゃだよなあ。さすがにまことさんだってもう帰りたいよね? ここでずっと暮らしたいというふうには見えないし)
(お願いですからイジワルを言わないでください。置き去りにしたら一生恨みますよ)
ぼくは苦笑いを浮かべながら、背負っていた防水バッグを地べたにおろす。
なにか使えそうなものはないか、中のアウトドアグッズを吟味しようと考えたのだ。
チャッカマン、コンパス、虫除けスプレー、懐中電灯、折りたたみ式の傘……ちょっとしたハイキングなら使い道もあるだろう、しかしモンスターハンティングには役に立ちそうにない品々だ。もっと攻撃力の高そうなアウトドアグッズはないのか、サブマシンガンとか。
ふと前を向けば、河童の村長が不思議そうにこちらを眺めていた。
「……ずいぶんど色々もっでんな。どれも見だごどねえもんばっがだ」
「文明の利器ってやつですよ。なにせぼくらヨソモンなので」
すると横にいたまことさんがパッと閃いたような顔で、
「それですよ、それ! 兎谷先生! 文明の利器ですっ!」
「え、どうしたの急に」
「前にネットの記事で見たんですよ。つまりですね……ごにょごにょ」
まことさんが耳もとで囁きかけてきたので、ぼくはつい意識して身構えてしまう。しかし彼女の言葉に色っぽい雰囲気は微塵もなく、どころか正気を疑うような提案だった。
「ああ、ぼくもそれ読んだことあるかも。……でも、本気でやるの?」
「だってほかに選択肢ないですから。わたし食われて死ぬの嫌ですし」
言われてみればたしかにそのとおり。
この山で行われているのは過酷な生存競争。
迷いこんだぼくらとて例外ではなく、木霊を狩らなければ逆に狩られる運命なのだ。
◇
「――んだら、いぐべよっ!!」
「おうさ!!」
河童の老人衆が威勢よく声をあげて、身を潜めていた洞窟から飛びだしていく。
その表情は祭りの神輿を担ぎにいくかのように晴れやかだが、彼らがこれから向かうのは、食うか食われるかの死地である。
一方、弱肉強食の世界に慣れていないぼくらは、ビクビクしながら外へ出る。
困ったことに脳内のアドレナリンが切れてきたらしく、やってやるぞという決意は今や、風前の灯火のごとく頼りないものとなっていた。
「ど、どうしよう……。やっぱり無理じゃない?」
「でも、みんなもう行っちゃいましたよ。わたしたちだけで木霊を一匹やっつけるって約束しちゃいましたし、やらなかったら河童さんたち全滅ですけど……」
そう、あのときはなんとかなると思ったのだ。
しかし冷静になって考えると、鼻からスパゲッティを食べると約束する以上に無茶な話である。
その場の勢いというのは怖い。
まことさんがぐいぐいと背中を押してくるのも怖い。
「な、なんとかなりますよ。武器だってちゃんとありますし!」
「待って待ってまだ心の準備が」
「――ピュエエエエエエエエ!!」
「ぎゃあっ!! 出た出た出た!!」
前触れもなく木霊が物陰から飛びだしてきて、ぼくは危うく失神しそうになる。
しかし背後にはまことさんがいて、武器らしい武器を持っているのは自分だけ。
やらなければ二人とも死ぬ。
そう思った瞬間、脳内のアドレナリンが再び分泌されたのだろうか。
震えていた足がぴたりと止まり、まともに言うことを聞いてくれるようになった。
「あああ、きましたきましたきました兎谷先生!! 今、今、今!!」
まことさんが後ろから指示を出してくる。
なにが今なのか一瞬わからなかったものの、すぐさま洞窟で考えた作戦を思いだす。
前を見れば木霊が口を開けて、恐ろしいほどの吸引力でぼくを呑みこもうとしている。
そうだ、このタイミングで――手にしている武器を使えばいいのだった。
チャッカマン+虫除けスプレー。すなわち自作の火炎放射器。
ノズルを向けて噴射。そして着火。
次の瞬間。
視界がぱあっと赤く染まった。
「どわああああっ! 燃える燃える燃える燃えろおおおっ!!」
「ギョエエエエエエッ!!」
やばいほど火が出た。
※絶対に真似しないでくださいだ、これ。
奇声をあげながらスプレーを構えているだけで、大きく口を開けた木霊は自ら進んで燃えさかる炎を吸引してしまう。
そして妖怪のごとき断末魔の悲鳴をあげながら、びったんびったんとのたうちまわり、やがてピクリとも動かなくなった。
ぼくは呆然としながら呟く。
「や、やったのか……?」
「たぶん、うまくいったのではないかと……」
まことさんと顔を見合わせる。
こんなにあっさり倒せたことが、どうにも信じられない。
だから木霊が真っ黒こげになってもしばらくの間、二人ともその亡骸に近寄ることができなかった。