2-1:裸になって肌を温めあう展開も考慮しておかなければならない。(後編)
文字数 4,198文字
【兎谷@企画構想中】たぶんそうなのだと思います。欧山概念にかぎらず国内の文学作品って難解というか、読んだあとに考えないといけないような内容が多いじゃないですか。それってぼくが書いているライトノベルと真逆の方向性なんですよね。だから余計に勝手がつかめないというか。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:ふむふむ。とくに欧山の作品って独特ですから、どう書いたらいいのかわからないってのはわたしにも理解できます。
【兎谷@企画構想中】:納得のいくアイディアさえ浮かべば、すぐにでも書けるはずなんですけど。いや、さっきから言い訳ばかりで申しわけない。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:いえいえ。個人的には
【兎谷@企画構想中】:まあそれは……。話は変わりますけどまことさんって聞き上手ですね。なんだか編集さんと話しているような気分になりました。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:え? わたしってば美人編集でうか!?
【兎谷@企画構想中】:自分で言っちゃいますかそれ。タイプミスしてるので余計にアレな感じですよ。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:じゃあいっそ、可愛い編集さんと取材にいきませんか。
【兎谷@企画構想中】:え、どっかに行くってことですか。二人で。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:ですです。小説の舞台となったところに足を運べば、いいアイディアも浮かんでくるかなーと今なんとなく思いつきまして。
【兎谷@企画構想中】:なるほど。そういうことでしたらぼくはいつでもオッケーですよ。
【ナタデココ☆らぶげっちゅ】:では来週の日曜に決行で! いえーい!(*´∀`)
【兎谷@企画構想中】:いえーい!(*´∀`)
というわけで週末はまことさんとお出かけである。
ぼくが力のかぎりガッツポーズを決めたのは言うまでもなかろう。
◇
そして日曜日。新宿駅前のブルーボトルコーヒーにて、ぼくは引きこもりの作家らしからぬアウトドアルックでまことさんを待っていた。
シンプルな白のTシャツはいつもどおり、しかし下に履いているのはゴアテックスのパンツ。腰にクライミング仕様のポーチをぶらさげ、大容量の防水バッグも持ってきている。
バッグの中にはハードシェルのマウンテンパーカ、チャッカマンや虫除けスプレーをはじめとした数々のアウトドア用品。
ぼくがどうしてこれほどの準備をしてきたのかというと、今回の目的地が埼玉の山間部だからである。
まことさんいわく、化生賛歌に収録されている短編のひとつ【真実の川】という作品の舞台となった土地に行き、山や川などの自然を満喫しつつ構想を練るプランなのだとか。
「アイディアが浮かばなくても散策を楽しめばいいですし、レジャー感覚でいきましょう」
そんなふうに彼女は語っていたものの、アウトドアとなれば男の見せ場。
急な悪天候に見舞われて山で遭難してしまい、雨風をしのぐために小屋か洞穴にたどりつき、裸になって肌を温めあう展開も考慮しておかなければならないわけだし、命の危険がある以上は万全の準備をしておくに越したことはない。
いやはやライトノベル作家になってからというもの、妄想のレパートリーばかり増えていくのだから困ってしまう。ハハハ。ハハハ。
そう、このときのぼくは本当に遭難するどころか、何度も命の危険にさらされることになるとは夢にも思っていなかったのである。
◇
「おはようございます兎谷先生。もう来ているとは思いませんでした」
「……あ、どうも。まことさんもお早いですね」
しばらくすると可愛らしい妖精さんが姿を見せたので、内心の緊張を隠しつつご挨拶。
約束の時間は午前十時だったのだけど、ぼくは一時間前からスタンバイしていて、まことさんは三十分前にやってきたので、結局だいぶ早めに顔を合わせることとなった。
「ぼくはよく寝坊しちゃうので、ここで仕事しつつ待っていようかと思いまして。あまり進みませんでしたけど」
「わたしは昨日からわくわくしちゃってつい。こどもっぽいですかね」
そう言って気恥ずかしそうに笑うまことさんは、たいそう可愛らしかった。
実際のところぼくも気合いのあまり早めに来てしまったわけなのだけど、素直にそう言えないところに男の安いプライドがある。
なんてことを考えていると、まことさんがぼくを見て、
「兎谷先生はかなり本格的ですね。やっぱりそのくらいの準備をしてきたほうがよかったのでしょうか? アウトドアの経験があまりないのでよくわからないんですよね」
「今日行くところってわりと低山みたいだからなあ。ぼくは念のため用意してきただけで、実際はもっとカジュアルな感じで大丈夫だと思うけど……」
と言いつつ、彼女の姿をあらためて眺める。
ロゴがないのでブランドは判別できないが、ドロップショルダーの白いTシャツにスキニージーンズ。足もとはバンズのピンク色のスリッポンを合わせており、ヒルナンデスあたりで紹介されるプチプラコーデの見本といったところ。
動きやすい服装という意味では及第点といえるものの、平らなソールのスリッポンは足場の悪いところで難儀しそうだ。するとぼくの視線に気づいたのか、
「あ、やっぱりすべりますかね」
「……うん。雨が降ったときは危ないから気をつけてね」
「了解です。こけそうになったら気合いで」
気合いでどうにかなるとも思えないのだが、なにせ美人女子大生なのであまり強く言えない。彼女が思わぬ怪我をしないよう、ぼくがよく見ておくしかないか。
そんなわけで山をナメた感じの女子大生と、ガチのアウトドア装備の引きこもり作家というチグハグな組み合わせで、欧山概念にゆかりがあるという埼玉の山間部へ向かう。
◇
休日とはいえ午前中の中途半端な時間だったので、電車の乗客はまばら。
おかげでぼくは気兼ねなくまことさんと会話を楽しむことができた。
「実は今、ダイエット中でして。だから山を歩きながらカロリー消費しようかと考えていたので、いっしょに行ってくれそうな人を探してたっていうのもあるんです」
「ぼくでいいならいつでも声をかけてよ。小説ばかり書いていると運動不足になっちゃうからさ、原稿の行方を探すとか関係なく誘ってもらえると嬉しいかも」
「わたしのお兄ちゃんも年々あごがぷにぷにしてきてますからねー。あはは」
しかしまことさん、ダイエット中と言いつつさきほどからじゃがりこをボリボリ食べているのだが、やっぱりちょっとおバカなのだろうか。
ハムスターのような彼女を眺めていたら「食べます?」と差しだされたので、ぼくは女子大生のじゃがりこ明太子味というプレミアム商品を堪能しつつ、車窓から外の景色を眺める。
埼玉と聞くと都市部のイメージが強いものの、西側の秩父地方に足を運べば緑豊かな自然がいまだ数多く残されている。
むしろ都心からほど近いという交通の便と、ハイキング感覚でのぼれる低山がいくつもあることから、昨今のアウトドアブームに後押しされ、今やトレンドの観光スポットのひとつになっているという。
とはいえ今回のデート、もとい取材で足を運ぶのは、グーグルで検索したときにトップ画面に出てくるようなメジャーどころではなく、もっとマイナーな、あえて観光する見どころのないごく平凡な山である。
名前で検索してもどこぞの製薬会社の研究所がある? という紹介しか出てこなかったので、本当になにもない土地なのだろう。
なんてことを考えていると、まことさんが再び話しかけてきた。
「兎谷先生、真実の川はお読みになったんですよね? モデルとなった土地に向かう前にぜひ感想をお聞きしたいなと思うんですけど」
「ええと、それってどんな話でしたっけ」
ぼくがそう言った直後、車内の温度が急激に下がったような気がした。
どういうわけかまことさんの顔に浮かんでいた微笑が消え失せ、能面のような無表情と化している。
彼女は絶対零度の声で、ぼくに問いかけた。
「もう一度おたずねしますけど、お読みになったんですよね」
「読みましたよ読みました。ただあの本に収録されてる短編を深夜に一気読みしたせいか、タイトルだけだとすぐに内容が浮かんでこないというか」
「……は?」
驚くほど低い声で聞き返された。なんだこれ、ものすごく怖い。
ぼくがその豹変ぶりにうろたえていると、まことさんは呆れたように鼻息を荒くし、
「流し読みはいけません。作品に失礼です」
「すみません……。でもだんだんと思いだしてきました、たしか河童の話だったような」
まことさんはわずかに冷気を和らげ、ぼくに「正解」とうなずいた。
なので安堵の息を吐きつつ、
「あの、まことさんって実はかなりの――」
「文芸オタクですよ? 悪いですか」
ぼくはぶんぶんと首を横に振る。
考えてみればこのお嬢さんは
あのおっさんも繊細かつ粘着質で厄介なのだが、まことさんも見ためほど穏やかなわけではなさようだ。
自分の好きな作品を軽く扱われると変なスイッチが入るタイプなのだろう、たぶん。
しばし微妙な空気が流れたのち、まことさんは呆れたような顔でこう言った。
「しかたありません。わたしが真実の川のあらすじをお話してあげましょう。兎谷先生はSNSで話していたときにも『難解すぎてよくわかんね』みたいなふざけたことをぬかしていた気もするので、かいつまんで聞かせたほうがより理解が深まるかもしれませんし」
「あ、じゃあお願いします……」
逆らうのは怖いので素直にうなずいて、ぼくはまことさんの話に耳をかたむけることにした。
実際なかなかに達者な語りだったので、記憶をたよりにそのときの内容をここに記しておこうと思う。