4-5:欧山の怨霊にも取り憑かれておるのではないか、お前?
文字数 6,588文字
部屋に誰もいなかったらどうしようと不安だったものの……幸いにも僕様ちゃん先生はまだ温泉に行っておらず、ふてくされた表情で缶ビールに口をつけているところだった。
ぼくはびしょびしょの身体で浴衣を湿らせたまま、泣きべそをかいて彼女にすがりつく。
「出た、出た、マジやばいってアレ……助けて。もう無理、ほんと無理だから」
「ちょっ……戻ってくるなりどうした、
しかし
おかげでうっかり足をすべらせ、僕様ちゃん先生を押し倒すような格好になってしまう。
「いや、マジ怖くて……もう限界なんですよぼくっ!!」
「ええかげんにせえや!! このド変態がッ!!」
罵声とともに顔面に強烈なパンチがぶちこまれ、ぼくは思いっきりうしろにぶっ倒れてしまう。
鼻を押さえながら顔をあげると、僕様ちゃん先生が乱れたスウェットの襟を直しながら、絶対零度のまなざしで見下ろしてくる。
「お前のほうが怖いっつの。よもや犯されるかと思ったわ」
「あ、ちがうんです……。そういうつもりは全然なくって」
「わかっておるわ、バカタレ。とにかくなにがあったのか話せ」
呆れたような顔で僕様ちゃん先生がそう言うので、ぼくはさきほど露天風呂で起こった出来事について、あますことなく話すことにした。
◇
「ふむ、聞けば聞くほど不思議な話よな。さては僕様ちゃんのイタコ術で、うっかり金輪際くんの魂のほうを呼びだしてしまったのか」
「ちょ……やめてくださいよ。死んでいるわけでもあるまいに」
そう言ったあとで、最悪の可能性が頭をよぎる。
彼がネオノベルの連中に拷問され、すでに東京湾の底に沈められているとしたら……。
ぼくはぶんぶんと首を横に振ったあと、乾いた笑いを浮かべた。
「のぼせて幻覚でも見たんですかね、ハハハ」
「でもお前の話を聞くかぎり、ガチの心霊現象っぽい雰囲気を醸しだしておらなんだか?」
あらためて彼の様子を思い返してみると、マジでそんな感じだったから困る。
しかし表情を曇らせるぼくを見て、僕様ちゃん先生は陽気な顔でこう言った。
「まあ生き霊という可能性もある。なんだかんだで金輪際くんも得体の知れぬところがあるからのう。幽体離脱くらいはやってのけるかもしれん」
「んな、めちゃくちゃな……」
とはいえ、死んでいるよりはマシである。厄介ごとを押しつけたあげくバックレた男といえど、ぼくにとって金輪際先生は大切な先輩なのだ。
「それに、身体に文字が浮かびあがったとも言うておったな。以前にも似たような幻覚を見たという話だが、それはもしかして――」
「ええ、絶対小説の原稿を読んだ直後からです……。たまーにそういうことがあって、原稿のことでかなりのストレスを抱えていたし、ノイローゼにでもなっているのかなあと」
「そりゃ単に怪奇現象が怖いから、自分でそう思いこもうとしておるだけであろう。ぶっちゃけ欧山の怨霊にも取り憑かれておるのではないか、お前?」
そう言われてふっと頭に浮かんだのは、スキンヘッドのおっさん(金輪際先生)と
ぼくは再び泣きべそをかいて、
「勘弁してくださいよお……。どうしてこんな目に……」
「いずれにせよ、考えたところで答えは出ぬだろうな。僕様ちゃんはこれからひとっ風呂浴びてくるゆえ、その間になにかあったらまた聞くとするかの」
「ええ……!? いっしょにいてくださいって!! ひとりでトイレも無理ですよ今!!」
「じゃあ漏らせ。SNSで拡散してやる」
冗談ではなく本気で言ったのだが、彼女には軽くあしらわれてしまう。
そして――ぼくは部屋でひとりきりになった。
なにせ百年前から営んでいるという、古めかしい宿である。
年季の入った木造の内装は時代劇のセットのようで、平時であればインスタ映えしそうだなと思うくらいだろう。
しかし今の精神状態だと、掛け軸をめくったら壁にお札が張ってあったらどうしようと、いらぬことばかり考えてしまう。
「あー嫌だなあ……。怖いなあー……」
静寂に耐えきれずひとりごとを呟いたところ、稲川淳二のモノマネみたいになって余計に恐怖が増してくる。
今なら闇芝居のCMを見ただけで、女の子みたいな悲鳴をあげてしまいそうだ。
そうだ、ほかのことに意識を集中しよう。
たとえば仕事。新シリーズの原稿に取りかかるとか。
ファンタジーだから幽霊とか関係ないし、アンデッドは聖属性の魔法に弱いから大丈夫。
なにが大丈夫なのか自分でもよくわからなかったものの……恐怖と不安から目を背けるために、ぼくはノートPCを開き、しばし小説の執筆に意識を集中することに決めた。
――――――――
季節は春。
北の国境にほど近いカレド山脈は、かつては凶暴な魔物たちの住処として知られていた。
しかし王国騎士たちの長年に渡る討伐遠征の成果によって、今では羊飼いたちが家畜をぞろぞろと連れて歩く姿が見られるほど、のどかな放牧地帯となっている。
ライルは赤子のころに勇者の生まれ変わりとして王城に招かれて以後、後宮の女たちによって秘伝の宝物のごとく大事に育てられてきた。
そんな彼にとって、屈強な仲間たちとの冒険は目新しい体験の連続だった。
馬に乗ることもはじめてなら、山道を越えていくのもはじめてだ。
王城ではほとんど味わうことのない、うっそうと茂る草木の匂いを嗅ぎながら、彼方に見える白い尾根に目を細めていると――馬術の覚えがないライルのために同乗してくれたクロフォードが、背中ごしに話しかけてくる。
「旅をはじめて一週間だ。鞍のうえで揺らされることにも慣れてきたのではないかな」
「はい、おかげさまで。まさか馬に乗るというのは、これほどお尻が痛くなるものだとは知りませんでした。魔王と戦う前に、鞍の固さに殺されるのではないかと思ったほどです」
「ハハハ。勇者の生まれ変わりとあろうものが、情けないことを言うでない。いずれはひとりで乗れるようになってもらわなければ、王都に凱旋したときに格好がつかぬぞ」
クロフォードの屈託のない笑い声を聞いて、ライルもまた頬を緩める。
王城にいたころに接した大人たちは、魔王を倒すべくして生まれたライルに対して、媚びへつらうようにヘラヘラと笑いかけてくる商人、勇者であるならばこうあるべき、民の希望となるべく威厳を持てと、ことあるごとに小言を吐く貴族たちばかりであった。
しかしクロフォードは違う。
騎士として最低限の礼節を保ちながらも、勇者の生まれ変わりであるライルに対して、下からでも上からでもなく、あくまで同じ目線で接してくれる。
それも彼にとっては目新しい体験であり、この世に生を受けてからというもの、密かに求め続けていたものだった。
だからライルは、彼に対してだけは正直に、自らの不安を打ち明けることにした。
「ぼくは本当に、魔王を倒せるのでしょうか。生まれてこのかた馬に乗ったこともなければ、あなたたちのように命を賭けて、魔物と戦ったことすらありません。だというのに勇者の生まれ変わりだから大丈夫だと、皆は口々にそう言って、ぼくを旅に送りだしたのです」
「ふむ……。古の時代、我らの始祖が天上の神々より授かった聖剣エウレーカは、悪しきものどもを討ち滅ぼす力が宿っている。勇者の生まれ変わりである君が、強大な魔物を前にひとたび刃を振るえば、たちまち真の力に目覚め――私の剣術など歯牙にもかからぬほどの、圧倒的な強さが備わるはずだ」
ライルは落胆した。
クロフォードの言葉が、王城にいた大人たちと同じものだったからだ。
ところが彼はそのあとすぐに「しかし」と、続ける。
「自分は選ばれた存在なのだからと、呑気に構えていられるような若者であったなら、私は君という人間に幻滅していたことだろう。与えられた力をただ享受するのではなく、自らの意思で苦難を乗り越えようとしてこそ、真の勇者たりえるのではなかろうか」
「そんなご大層なものではありません。ぼくはただ、恐ろしいのです。勇者として生まれたにもかかわらず、魔王を前にしてなにもできなかったら……そう思うと不安で胸が張り裂けそうになるのです」
「その歳で世界を守るという重責を負っているのだ、君の気持ちも理解できよう。だが、これだけは覚えておいてほしい。君がたとえ力を発揮できなくとも、隣には我らがいる。王より賜りし白騎士の称号にかけて、必ずや魔王を討ち滅ぼしてみせようぞ」
「……頼もしいかぎりですね。そのときはぼくも助太刀いたします」
「ハハハハ!! それでは立場が逆ではないか。まあ旅は長い。自分の腕に不安があるというのなら、あとで私が剣の手ほどきをしてやろう。さすれば勇者を鍛えたのは白騎士クロフォードだと、末代まで語ることができるからな」
――――――――
……ふう、序盤の展開としてはこんなところだろうか。
すこし集中力が切れてきたころ、僕様ちゃんがようやく部屋に戻ってくる。
彼女は顔を見せるなりひとこと、
「どうじゃ、ひとりで寂しくなかったか。……おっと、すまぬ。原稿を書いていたのな」
「あ、ちょっと休憩しようかと思っていたので大丈夫ですよ。とりあえず今のところ、おかしなことはなかったです」
「ふむ、ならよい。執筆の邪魔をしても悪いし、僕様ちゃんはさっさと寝るぞ。今日は忙しかったし、これでもけっこう疲れておるのじゃ」
「おやすみなさい、僕様ちゃん先生」
「フフフ、原稿に向かっておるときの真剣な表情、仕事のできる男のようで笑えたぞ。……さすがに添い寝はしてやらんがな」
僕様ちゃん先生はそう言って、いつのまにか隣りあわせに敷かれていた布団を引き離すと、モグラのように毛布の中に潜りこんでいく。
ぼくはその姿を見て笑いながら、書いたばかりの原稿を読み返す。
……ラノベにしては文体が堅すぎるだろうか。
でもせっかくファンタジーを書くわけだし、ハードな展開も多いから、硬派な雰囲気のほうがハマるような気がするのだ。
全部書いてから手直しすればいいだけだし、初稿はあまり考えすぎずに進めるとしよう。そのほうがたぶん、文章に勢いがでるだろう。
というわけでぼくは再び、カタカタとキーボードを打ちはじめる。
――――――――
「ライルよ、剣を構えるときは背筋を伸ばし、体重が均等にかかるよう分散させるのだ。そのように全身に無駄な力が入っていては、とっさに足を動かすこともできまい。そしてなにより重要なのは――セイッ!!」
「うわっ……!?」
クロフォードは言葉の途中で、剣の一撃を放ってくる。相手に対して身体を横に向け、刀身を縦に構えた――
話に耳を傾けることだけに集中していたライルはろくに反応できず、手首をしこたま打たれて剣を落としてしまう。
「このようにいつ、敵が攻撃を仕掛けてくるかわからんのだ。訓練用の木剣でなければ、君は腕を斬り落とされていた。戦いの最中においてはほんのわずかに気を抜くだけで、簡単に命を刈りとられてしまう。狡猾な魔物が相手であれば、なおさらだ」
「心しておきます、クロフォードさん……いえ、師匠」
するとクロフォードは「うむ」とうなずいて再び剣を構える。
彼はライルを訓練するにあたって、騎士団に入ったばかりの若い農夫を相手するかのごとく、いっさいの手心を加えることなく、厳しく接しようと心がけているようだった。
それがたまらなく嬉しくて……ライルは手首が痛みに震えても、幾度となく打ちつけられるとわかっていてもなお、笑いながら彼と相対する。
剣を構え、呼吸を整え、後ろ足に体重をかけ――そして一気に、踏みこむ!
「……むっ!? それは
「実戦経験はなくとも……五歳のころから剣は習っているのです!」
「なるほど、筋は悪くない。だがやはり、まだまだ練度が足りぬ」
クロフォードは獅子鳥の位から防御に特化した
ライルは脇腹を思いきり打ちこまれ、痛みのあまり悲鳴をあげそうになった。
しかし歯を食いしばって耐えると、さらなる攻撃を繰りだそうとする師を迎え撃つべく足を踏みしめる。
「……日が沈むまでに一撃、お見舞いしてやります!」
「やれるものならやってみろ、若造。王国騎士筆頭である白騎士の称号は、君が思っているより軽いものではない。私からわずかにでも本気を引き出せたなら、さすがは勇者だと褒めてやろう!!」
――――――――
ぼくは原稿を書きながら、ストーリーの進行度のわりにページ数がかさんでいることを不安に思う。
当初の予定ではあっさりと旅は佳境に入り、かなり早い段階で宵闇のガルディオスと対峙することになるのだが……クロフォードとの訓練パートを新たに追加したせいか、序盤の展開が思いのほか長くなってしまっている。
個人的にはけっこう気に入っているものの、ライトノベルとして出版する以上は規定のページ数に収めなくてはならないから、場合によっては全カットだ。
ぼくはふうと息を吐き、座ったまま大きく肩を伸ばしてリラックス。
するといつもの癖で、自然とひとりごとを呟いてしまう。
「不思議だよなあ。あらすじはちゃんと考えてあるのに、書きはじめるとなかなか予定どおりに進まない。次の場面とうまく繋がらなかったり、プロット段階では気づかなかった矛盾がぽこぽこ出てきたり……どうしてこういうことが起こるのか」
これはぼくにかぎった話ではなく、小説を書いていれば誰もが経験することだ。
アイディアを考えるだけなら、誰にだってできる。
しかしそれを小説というかたちにすることこそが、なによりも難しいのだ。
プロットを提出するだけの日々を送っていたころは、早く新作を書きたいと願っていたのに……いざ原稿に取りかかってみると、己の技量が些末なものであることを実感し、うまく書けない歯がゆさに、悲鳴をあげてしまいそうになる。
もし頭に浮かんだ物語を、理想のイメージどおりに書くことができたなら。あるいは自らのイメージすら凌駕するほどの、最高傑作を書きあげることができたなら。
作家であれば誰しも、感動のあまり打ち震えるかもしれない。
「……ああ、そうか。つまりはそれを、金輪際先生は求めていたのか」
あれだけ否定していたというのに、あわや絶対小説の力を欲しそうになっていた自分に気づいて、思わず苦笑してしまう。
もはや認めるほかない。
ぼくとあのひとは、やはり似たもの同士なのだ。
謝恩会の日の夜、まことさんが『もうひとりのリュウジ』と評したように。
今や時刻は二時をまわり、今や部屋に響くのは、時計のカチカチというリズムと、僕様ちゃん先生のくかーくかーといういびきの音だけになっていた。
ぼくは思い描いた物語をすこしでも理想に近づけようと、再び小説に全神経を注ぎこむ。
この作品を、今から最高傑作に仕上げていくのだ。
ほかのなにかに頼らず、自分の力だけで。