7-3:文豪の声を聴け(3)
文字数 2,191文字
現地での取材が空振り、ネットで調べてもろくに成果がないとなれば、あとは専門家を頼るべきだろう。
待ち合わせ場所のフレッシュネスバーガーにて、会って早々に事情を説明すると、マニアックな本の収集癖を持つその男は同好の士を見つけたような顔で、
「なるほど、欧山概念ですか。なかなか渋いところを突いてきましたな」
「あ、知っています? ならよかった……」
「もちろんですとも。いわゆるマイナーのメジャーというやつで、一般的には認知されていないとはいえ、一部の愛好家には有名な作家ですから。醗酵人間の栗田信か、それとも化生賛歌の欧山概念か。知らないやつはモグリでしょう」
彼はピュアな目をキラキラさせながら語るものの、ぼくはモグリなのか醗酵なんちゃらという作家についてはまったく聞き覚えがなかった。
とはいえ、知っているのならば話が早い。
欧山概念という存在自体がこの世から消え失せてしまうのではないか――そんな根拠のない不安すら抱えていたぼくは、ひとまず安堵の息を吐く。
「ちょいとお待ちください。今、件の絶対小説とやらを読んでおりますので。ほうほう、ほうほう……ふむ、実にあなたらしい作品でよいと思いますぞ」
「ありがとうございます。たぶん記念すべき読者第一号ですよ、田中さん」
「せっかくひさしぶりに会ったのですから、昔のようにペンネームで呼んでくださってもいいのですぞ。しかしこうしていると、デビューしたばかりのころを思いだしますなあ」
金色夜叉のモデルであるその男はそう言って、懐かしそうに笑う。
実のところ彼はぼくと同じ年の新人賞でデビューした同期の作家で、かつてはともにラノベ業界の荒波に立ち向かった戦友なのだ。
現在は仮想通貨でボロ儲けしたせいか半引退気味ではあるものの、本好きの多いラノベ作家の中でも屈指のオタクとして、いまだに界隈で一目置かれている。
「ざっと読んだ感じの印象ですと、欧山概念についての知識量は私と同程度のようですな。なのであまりお力にはなれませんが、蔵書の中に化生賛歌が何冊かありますから、あなたの新たな門出を祝してお譲りいたしましょう」
「ほんとですか!? ありがとうございます!!」
「あ、タダではないですぞ。さすがに」
「ええ……。まあ、それでも助かりますよ。なにせ入手困難なので」
出費は交通費諸々と合わせて三万程度。
欧山概念について詳しい話が聞けることもなく、紛失した本を再入手できただけのことだが、それでも東京まで出てきた甲斐はあったといえる。
というわけで帰りがてら彼の自宅に立ち寄って化生賛歌を譲ってもらうとして、しばし近況の報告がてら、彼と他愛のない世間話を続ける。
最近はどんなラノベを読んだとか、今はこのマンガが熱いだとか。
ぼくは三十代、彼は四十代、歳が離れているうえに数年ぶりに会った間柄だというのに、まるで毎日顔をつきあわせているクラスメイトのように語りあう。
そうやってひさしぶりに好きな作品談義に花を咲かせたからか、絶対小説を書きあげたことですり減っていたモチベーションが蘇ってきたようにも思えた。
ぼくらは創作者である前にただの本好きで、だから結局のところ作家なんて生きものは、読者のなれの果てにすぎないのだろう。
「そういえば私、ひとつお仕事案件を抱えておりましてな。まあ軽い気持ちで引き受けたのですが、今になって面倒くさくなってきているのですよ」
「……そりゃまたずいぶんと贅沢な話ですね。ぼくなんてバイト三昧だから、小説じゃなくても文章を書くお仕事ならなんでもやってみたいくらいなのに」
「おっ! ならば都合がよい。実は今、あなたに丸投げできないものかと考えていたところでして。先方にもそうお伝えしておきますので、ぜひ引き受けてはくれませんか。なあに、ちょいと取材に行ってネット用の記事を書いてくるだけの、簡単なお仕事ですから」
「そういう話でしたら、斡旋してもらえると嬉しいかも。でも一応、田中さんが気乗りしない理由も聞いておきたいですね。いきなりヤバいところに連れていかれたら怖いし」
「ハハハ! 興味本位でその手の依頼を受けたこともありますが、今回は真っ当なクライアントなので大丈夫ですぞ。ただ、我々にとっては少々ショッキングな現場かもしれませんな」
「げ、嫌な予感がするなあ」
とはいえ詳しい内容を聞いてみたら、わりかし真面目な取材のようだった。
ライターめいた仕事は今までにやったことがないので若干の不安はあるものの、ぼくはその依頼を引き受けることに決めた。化生賛歌を買い取る以上しばらく経済的に苦しくなるし、小遣い稼ぎ程度の原稿料とはいえやっておいたほうがいいだろう。
「で、取材先はどこなんですか」
「◯◯市にある工場ですな。ご実家の群馬から近いでしょうから、ちょうどいいのでは?」
「なるほど……。確かに都合がいいですね」
ぼくは神妙な顔でそう呟く。
なぜなら元々、足を運ぶつもりの場所だったからである。
かつてまことさんと行った、欧山概念ゆかりの地。
偶然にも河童の楽園があった埼玉の山間部こそが、その依頼の取材先らしかった。