6-16:いいえ、先生。ぼくはこの作品が好きです。
文字数 3,397文字
驚いて声をかけようとしたところで、小さな背中がどさりと崩れ落ちる。
巨大化した金輪際先生と対峙している状況だというのに、ぼくは慌てて彼女のもとに駆け寄った。
「うはは……。気合いで耐えられるかと思ったが無理そうだのう」
「まだ大丈夫ですって!! なんとか持ちこたえてください!!」
しかしその身体は右肩から先が消失していて、抱えあげると驚くほど軽かった。
涙でぼやけた視界で彼女の顔を見つめると、一瞬ざざっとノイズめいた文字が浮かびあがる。まるで僕様ちゃん先生というキャラクターが、ゲーム中のバグで表示できなくなっているかのようだった。
「金輪際くんの妄言の意味がようやくわかったぞ。つまるところ僕様ちゃんは魔法少女とかセーラー戦士とかそういう存在だったわけか。我ながら美少女すぎると思った……」
絶対小説の力によって否定され身体の半分を失い、自らが虚構の産物だと悟ってもなお、僕様ちゃん先生は相変わらず僕様ちゃん先生のままだった。
無残な姿を晒したところで悲観することもなく、ニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを眺めている金輪際先生にこう言い放った。
「お前はあくまで、自分が選ばれなかった事実を認めたくないのだな。だから拗ねて貶して見下して、己の自尊心を満たそうとしておる。そうやって向きあうことを恐れているから、本当に欲しいものが得られぬのではないか」
『この後におよんで月並みなお説教はやめたまえ。ドラマチックな最期を演出してあげたのだから、いさぎよく舞台からおりたらどうだい』
「……ふふふ。それはそれで悪くないかもしれぬな」
僕様ちゃん先生はそう言ったあと、泣きじゃくるぼくと、まことさんに顔を向ける。
その表情を見るかぎり、彼女は与えられた役割に満足し、その結末に納得しているようだった。
「冗談はやめてよ! 世界が終わってもちゃっかり生き残りそうなキャラのくせして!」
「まこちゃんも無茶ぶりしやがるのう。しかし金輪際くんの言うとおり、僕様ちゃんはここらで退場するべきじゃな。あとは兎谷の活躍に期待するとしよう」
「ちょっ! ぼくだけじゃどうにもなりませんて、この状況!」
「いいや、お前がなんとかせよ。そのための答えはもう、出ておるではないか」
彼女は笑いながら残った左手で、ぼくの胸を指さす。
そしてあっさりと――消えてなくなった。
「くそっ……!! こんなことってあるかよ!!」
『あるとも。なぜなら死とは創作における極上のスパイスだからさ。語り部である君は怒りのあまり真の力に目覚めてもいいし、仇敵となった私を憎んで果敢に立ち向かってもいい。彼女という存在の消失はあらかじめ用意された筋書きの一部かもしれず、だとしたら今はできうるかぎり感動的に、この局面を盛りあげるべきなのかもしれないね』
金輪際先生はあくまで傍観者然とした口ぶりで、絶望に打ちひしがれるぼくらを見下している。
救いようがなく傲慢で、反吐が出るほど醜悪な創作者の姿がそこにはあった。
『しかし名高い文豪の作品にしては展開が少々安直すぎる気もするなあ。残念ながら欧山概念は短編作家だった、ということなのか。長編をこれまで書いたことがなく、娯楽小説にしたって初挑戦なものだから、どうにも粗が目立っていけないよ』
「黙れ……!! 勝手なことばかり言いやがって!!」
『おやおや、どうしてそうムキになるんだい。絶対小説の筋書きが唾棄すべき代物なのは事実だろうに。欧山概念とはいえ慣れないジャンルに手を出すと、これほど面白みのない作品を書き上げてしまうのかね』
金輪際先生の言葉を、ぼくはどうしても看過することができなかった。
自分のいた世界は、この物語は決して、彼の言うような駄作なんかじゃなかった。
ぼくはうだうだと文句を言いながらも結局は絶対小説をめぐる冒険を楽しんでいたのだろうし、僕様ちゃん先生やクラスタの面々、いわゆるモブと呼ばれるであろう人々すべてに愛着を抱いていた。
とくに隣にいるまことさんは、作家であるという誇りすらもかなぐり捨ててよいと思えるほどに、魅力的な女の子なのだ。
僕様ちゃん先生がこの胸を指した理由が痛いほどわかる。
守らなくちゃいけないのだ。
ほかでもない、ぼくが。
毅然とした態度でにらみつけると、金輪際先生は言った。
『ならばせめて、私たちで素晴らしいラストシーンを演出してやらなくては。そのためには生贄が必要なことくらい、君とて作家ならわかっているはずだろう』
次に誰が狙われるかなんて、わかりきっていた。
そもそも先生は最初からふたりだけの決着を望んでいたのだから。
ぼくの隣で、まことさんがびくっと身構える。
彼女がいなくなったら、この世界は色を失ってしまう。
「欧山概念の名誉を守るために、駄作は闇に葬り去るべきだ』
「――いいえ、先生。ぼくはこの作品が好きです」
まことさんに向けて怪光線が放たれる直前、ぼくは懐に隠していた銃を撃った。
射撃の経験なんて一切ないにもかかわらず、弾丸は吸い込まれるようにして金輪際先生の眉間に命中する。
まるで運命がそうしたように。
それが求められた結末であるかのように。
物語を終わらせるべくして生まれた怪物は、頭を撃ち抜かれたあとも平然と佇んでいる。
いったいなにがおかしいのか、彼はふふっと笑みを浮かべると、まぶしそうに目を細めてこう言った。
『愛とはもっとも美しい欺瞞だ。恥ずかしげもなく語れる君が心底羨ましいよ』
そして金輪際先生は倒れた。身体と一体化していた植物の幹は霞のようにかき消え、ひとりの男の亡骸だけが残る。
ぼくは自らの手で、尊敬していた先輩を、かつて憧れた作家の命を奪ったのだ。
「……終わったの?」
「たぶん、ね。おかげで最悪の気分さ」
だとしても、ぼくらはこれで救われた。
現実ではなく虚構を選択したのだから、この世界は結末を迎えることなく続くはずだ。
しかしそう思った直後――BANCY社の地下全体を震わせるほどの揺れが起こる。
まことさんが悲鳴をあげて、なにかを指さした。
「ねえ見て、兎谷くん!!」
「うわっ!! なんだこれ!!」
周囲の壁に亀裂が走っている。
いや、違う。
ピキピキと砕けようとしているのは、ぼくたちがいる空間そのものだ。
ひび割れた虚空の隙間からまばゆい光がほとばしり、暗くぼんやりとしていた景色がぱりんぱりんと崩壊していく。
いったいなにが、起こっているのか。
ぼくがただただ戸惑っていると、まことさんが身体にしがみついてきて、なにやら不穏な言葉を呟いた。
「やっぱり世界が終わっちゃうのかも」
「ええ……どうして!? だって金輪際先生はもう――」
ぼくが殺した。
この物語を続けるために。
君という存在を守るために。
先生の亡骸は崩れゆく景色の中にぽつんと横たわっていて、たとえ世界が崩壊したとしても、そのまま残っていそうな雰囲気だった。
……ああ、そうか。
ぼくは直感とともに理解してしまう。
最初からなにもかも、間違えていたことを。
まことさんも真実に気づいたのか、申し訳なさそうに呟く。
「ごめんなさい、兎谷くん。わたしがあんなことを言ったから……」
「君のせいじゃないよ。ぼくだってまだ、信じたくないくらいだし」
彼女はあのとき、兎谷三為という作家は特別なのだと言った。
絶対小説の筋書きに干渉できるのだから、現実に存在している人間だと。
だけど実際はただ、そういうふうに設定されていただけなのだ。
欧山概念と、そして金輪際先生に。
「結局のところぼくも、小説の登場人物にすぎなかったわけか……」
「やっぱりぜんぶ、夢ってことよね」
おまけに救いがたいことに、夢を見ていた張本人は眉間を撃ち抜かれてしまった。
先生の魂はやがて、現実に戻っていくのだろうか。
あるいはこのまま、虚構の中に囚われ続けるのだろうか。
物語の中での死がどういう意味を持つのかまではわからないけど……この世界が今、終わりを迎えようとしていることだけは間違いなさそうだ。