7-6:河童をめぐる冒険(3)
文字数 3,417文字
「当然だろ? どのみち逃げ場はないのだから、ここで奴を倒すしかない」
ともに山へ入った河童たちはすでに食われ、残るはひとりと一匹のみ。
歴戦の強者たる村長すら恐怖で足をすくませる中、川太郎は決然としたまなざしで、眼前に佇立する巨大な肉食植物との距離を詰めていく。
通常の黄色い花弁とは異なる、赤と黒のまだら模様を描く毒々しい色の木霊――この地に生息する個体の中でもっとも成長したそれは、いわば山の主というべき存在だ。
しかし、川太郎の足取りに迷いはなかった。
荒々しい奔流という試練を乗り越え、河童の楽園に辿りついた彼は、かつての弱々しい少年から屈強な魂を持つ戦士へと生まれ変わっていたのである。
「さあ来い、胡瓜の化け物。俺が漬け物にしてやるっ!!」
「――キュバアアアアッ!!」
禍々しい花弁をつけた木霊の王が、けたたましい鳴き声をあげて迫ってくる。
川太郎は村長から授かった石槍を構えると、日々の農作業で鍛えた腕にありったけの力をこめた。
嗚呼……今ならば解る。
村の若者たちは、醜い姿をした己を嘲っていたのではない。
ただ、恐れていたのだと。
小柄だと思っていた体躯でさえ、ねじ曲がった背筋をピンと伸ばすだけで偉丈夫のように様変わりした。
四肢は痩せ細っていたのではなく引き締まっていたのだと、奔流の中でもがいているときに気づくことができた。
閉鎖的な農村で、幼少のころより孤児として虐げられていたがゆえに――川太郎は村の若者たちの言葉を真に受け、自らの内に育まれていた力を知らずにいたのである。
「だが、今は違う!! 己は戦うために生まれてきたのだ!!」
「キュ、キュバッ……!?」
疾風のごとき速さで、自らの右腕と一体化させた石槍を突きつける。木霊の王は川太郎の放った一撃を避けきれず、赤黒の花弁をはらりと散らした。
しかし続けざま、敵もまた丸太のような蔦をしならせ、川太郎の胸元にぱあっと鮮血を噴出させる。鈍い痛みとともに短く苦悶の声を漏らすものの、雄々しく生まれ変わった少年のまなざしはなおも、獣のようにぎらぎらと輝いている。
それは平穏な農村にいるかぎり決して見いだすことのなかったであろう、川太郎の秘められし才覚――すなわち死線をくぐり抜ける力、恐怖を屈服させる力、獲物を屠る力である。
「今ならいげるど!! とどめをざすチャンスだ!!」
「おうともよ!! くらえ我が必殺の一撃!! ドラゴニック・エクストリーム!!」
「グバアアアアアァアッ!!」
石槍から繰りだされた雷光の連撃を浴びて、木霊の王は断末魔の叫びをあげて爆散する。
山の主である妖怪が打ち倒されたことで、長らく村長たちを苦しめてきた過酷な生存競争は幕を閉じた。
河童が住まうこの地はやがて、本当の楽園へと変わっていくだろう。
「やっだ、やっだど! お前ごぞおらだちの救世主だ!!」
「ああ……」
「どうじだ。もっどよろこべ、ヨソモンよ」
しかし英雄として称えられたところで、川太郎の心中が晴れることはなかった。
河童が住まうこの地でも、彼は流れ着いた旅人でしかなく、ゆえに孤独であったからである。
荒々しい奔流を越えた先に、真の故郷はなかった。
しかしこの山の頂を目指しさらにさらに高く高く登っていくことができたなら――いずれは竜たちが住まう、雲上の世界に辿り着くことができるかもしれない。
己は人間ではなく、河童でもなく、しかし特別な存在だった。
ならばきっと、竜の末裔なのだろう。
――――――――――
「はああ……? なんだこれ」
あまりにもふざけた内容だったので、ぼくは持っていた本を床に叩きつけそうになった。
これではまるでWebにありがちな異世界ものじゃないか。
欧山概念が遺した作品であるわけがないし、二次創作だとしても原作の雰囲気を無視した冒涜的な筋書きだ。
かの作家の怨霊が読んだらそれこそ、書いたやつに呪いをかけるはずだ。
いやしかし……よくよく思い返してみると、実際の欧山概念は世界的に評価された文豪ではなく、どちらかといえば破天荒なイロモノ怪奇作家なのだ。
いまだに夢の中で読んだ印象がこびりついているせいで腑に落ちないものの、勢いだけで書き散らしたような化生賛歌を世に出したあの作家なら、これくらい思いきった続編を書くかもしれない。
それにまことさんだって、前にこう話していたではないか。
川太郎が現代に生きていたら、剣と魔法の世界に行ってみたいと考えたかも、と。
……この作品が出版された経緯について、あとで調べてみるとしよう。そう考えたぼくは、管理責任者のおっさんに本を持ち帰る許可をもらおうとする。
ところが顔をあげようとしたとき、ふと違和感を覚えた。
読んでいるときは集中していて気づかなかったが、あれだけやかましかった裁断機の音がいつのまにか止んでいた。
そのうえ雨露に濡れたあとの雑木林みたいな青臭い香りが、周囲に漂っていたのである。
「もしかして、機械のトラブルかなにかですか」
「何をいっでるがや、ヨソモンよ」
「……へ?」
ところが返事をしたのは管理責任者のおっさんではなく、緑色の肌をした老人だった。
驚きのあまり何度か見返すものの、やはり目の前にいるのは河童の村長。
あらためて周囲を確認すれば高々と積みあがっていた返本の山はどこにもなく、かわりにぐるぐると渦をまく草木や毒々しい色合いの花々がうっそうと茂っている。
唖然として異様な景色を眺めていると、猿のような顔をした面妖な鳥がケタケタと笑いながら一年ぶりのご挨拶。
おかげでぼくはポカンと口を開けて立ちつくしたあと、やがて納得してこう呟いた。
「なるほど……。また夢を見ているわけだな」
「急に黙りごんだがと思えば、わげのわがらんやっちゃなあ。ざっぎもドラゴニックなんとかどか変な叫び声あげでおっだし、やっぱちょっど変だどお前」
「そっすね。あれはさすがにどうかと思いましたよ」
お前も「チャンスだど!」とか言っていたじゃねえかというツッコミはさておき、一年ほど前にも同じような経験をしていたからか、自分でも驚くほどあっさりと順応できてしまった。
拾いあげた本はやはり欧山自身が書いたもので、かの怨霊にまたもや誘われてしまったのだろうか。
ぼくは絶対小説の世界に迷いこんでいて、今は川太郎として河童の楽園に存在しているらしい。
あたふたしながらも状況を把握したところで、河童の村長に話しかける。
「ええと……ぼくはどうやら、山の頂上まで登って竜のいる世界に行かないといけないっぽくて。いやほんと、困っちゃいますよ。ハハハ」
「はあ? ここにはずいぶんど長く住んでいるがよ、竜がいるなんで話は聞いだごとねえど。ざてはお前、木霊とやりあっでる最中に頭ざ打っで夢でも見ておっだのんじゃねえが」
村長の言葉を聞いて、再び苦笑いを浮かべてしまう。
実際のところ自分は最初から川太郎で、眉間を撃ち抜かれて現実に戻ったと勘違いしていたラノベ作家の夢を見ていただけの可能性だって考えられるのだ。
どうせここは胡蝶の夢。
ならばいっそ開きなおって楽しむとしよう。
あれこれ悩んだってはじまらないのは、一周目の冒険で学んでいるし。
「だとしても、たぶん先に進まなくちゃいけなくてですね」
「そんだら仕方ねえな。おらもあえで止めやじねえぞ」
「ではでは、また来週」
というわけで村長と別れ、ぼくは山の奥深くへ足を踏みいれる。
不思議なことに道なき道を進むごとに現実での記憶は薄れ、川太郎としての自覚が芽ばえていく。
これは兎谷三為だったときには気づかなかった、夢の中だからこそ起こりうる現象だろう。
しかし自分を見失うわけにはいかない。
絶対小説の世界に戻ってくるときがあったら、やろうと決めていたことがあるのだ。
ひとつは、欧山概念に殴りこみをかけにいく。
もうひとつは、あのとき伝えられなかった言葉を届けにいく。
だからまずは、君を探しにいくとしよう。
新しい冒険をはじめるのだから、ヒロインがいないと盛りあがらないじゃないか。