6-2:欧山概念はどこまでも追いかけてくるみたいね。
文字数 3,279文字
版元はNM文庫でもネオノベルでもなく、一度も聞いたことのないレーベルだったので、大型の専門書店で探したほうが確実だろう。
マンションで一休みしてすぐに出るかたちになってしまったけど、まことさんはひとことも文句を言わずについてきてくれる。
そして電車の中で、彼女は心配そうな顔でこう言った。
「もしかして先生が、兎谷くんの小説をパクったってこと?」
「……わからない。ネオノベルに拉致されたとき、ぼくが最後に見た金輪際先生はとても執筆できるような状態じゃなかったし、正気だったころはずっと音信不通だったわけだから、NM文庫から企画の内容が漏れたって線も考えにくいし」
「ネオノベルから解放されたあとに、精神状態が回復したっていうのは? でも、それにしては刊行が早すぎるかしら」
まことさんの言葉に、無言のままうなずく。
ぼくが書きあげてから盗作したのなら、今の段階で市場に流通させることは困難だ。
文庫形式でのライトノベルは電子書籍とは異なり、原稿の執筆や校了作業だけでなく、イラストレーターの選定から挿絵の発注、タイトルロゴのデザイン、そして印刷所で何千、何万冊も現物を刷るなどなど……様々な行程が必要になるため、必然的に出版までのタイムラグが発生する。
仮に急ピッチで進めたにせよ、ぼくが書きあげる前――つまりプロット段階でアイディアだけ盗んだとしたらギリギリ、ぼくが初稿を書きあげてから本文を含め盗んだのなら、実質不可能というタイミングだ。
そこでまことさんが、首をかしげながら言った。
「そもそもあのひとがよりにもよって、兎谷くんの作品をパクるかな。あれでかなりプライドが高いから、絶対にそんなことしないと思うのだけど」
「タイトルや設定がカブるなんて話はラノベ業界じゃままあることだから、偶然の一致という可能性もあるかな。でも通販サイトに載ってるあらすじまで同じなんだよなあ」
しかしNM文庫編集部が出版を断念するというのなら、相応の理由があるはずだ。実際、秋葉原の書店にて件の小説を購入し、路地にてざっと目をとおしたぼくは――尊敬していた先輩作家がやらかした掟破りの暴挙に、しばし愕然としてしまった。
「なんだよこれ……。ほとんどコピペじゃないか……」
ネタかぶりどころの話じゃない。金輪際先生の名を冠して出版された『偽勇者の再生譚』は、ぼくが書いた原稿の内容そのままだった。
比べてみたわけではないから確証はないものの、すべて一致しているように思える。
だとすれば、作家のプライドなんてものは微塵も感じない、恥知らずで、最低の行為だ。
「くそっ!! できれば信じたかったよ、先生っ!!」
思わずそう吐き捨てると、ぼくは買ったばかりの文庫をアスファルトに叩きつける。
表紙は最近よく見かける人気のイラストレーターで、これが自分の作品であったならどれほど喜んだことだろう。
しかし、もはや手遅れだ。
ライトノベルにかぎらずほぼすべてのエンタメ作品は、真偽はどうであれ先に出たほうが本物で、後発作品はただのパクりとみなされる。
ぼくが金輪際先生の暴挙を世に問うことをNM文庫は望まないだろうし、仮にそうしてみたところで、偽勇者の再生譚が正しいかたちで出版される道は、そのときすでに閉ざされているはずだ。
それでもすこし冷静になって奥付を確認すると、金輪際先生版の偽勇者の再生譚が刊行されたのは、ぼくがネオノベルの缶詰部屋で初稿を書きあげた日と同じだった。
やっぱり……おかしい。
現物がコピペ丸パクりなのだとしたらなおさら、ありえない話だ。
まことさんも横から文庫の奥付に目をとおし、眉をひそめてこう言った。
「これって先生が兎谷くんより早く書いてないと、成立しなくない?」
「そう……かもね。でもぼくがパクったなんて疑わないでくれよ」
「わかっているってば。わたしが言いたいのはそうじゃなくて、つまりあのひとも兎谷くんの原稿を盗んでいないって話になるわけでしょ」
「だとしたら、いったいどういうことなのさ。君もいっぺん、このクソラノベを読んでみればいいよ。たぶん一語一句ぼくの初稿と同じだって、わかるはずだから」
ぼくはどうしようもなくイライラしていて、まことさんに悪気がないとわかっていても、自然とケンカごしになってしまう。
だけど彼女はあくまで穏やかな態度で、こう諭してくる。
「ひとまず落ちついて、情報だけ抜きだして整理しましょ。兎谷くんが偽勇者の再生譚を書きあげた日、金輪際先生はすでにほぼ同一の作品を出版していた。……だとしたら先生のほうが早くに原稿をあげていないとおかしいって話になるのだけど、あなたのほうだって先生の原稿をパクったわけじゃない。つまり兎谷くんと金輪際先生はまったく別の場所で、お互いにまったく意識をせず、だけどまったく同じ原稿を、書きあげたことになる」
「バカ言うなよ。ぼくのパクり作品を突貫で出版するほうがまだ現実的じゃないか」
「ねえ兎谷くん、思いだしてよ。似たような話がなかった?」
そう言われてぼくは、過去の記憶をたぐりよせる。
しばらくして思い当たったのは、偽勇者の再生譚にまつわるクラスタの評価だ。
いわく欧山概念が現代に蘇ったのなら、このような快活な幻想小説を書いただろう。彼らにそう思わせるような、ポスト欧山概念的ライトノベル。
あの小説は欧山概念の文体を完全にコピーしていた。
それは作品全体から漂うエッセンスだけでなく、名詞に形容詞に動詞、あまつさえ句読点の位置さえ、かの文豪が書いた化生賛歌とほぼ一致していたという。
文体の完全なるコピー。句読点の位置さえ一致。欧山概念。
「兎谷くんは認めたくないみたいだけど、偽勇者の再生譚はあなたが考えた小説であると同時に、欧山概念の魂に導かれて書きあげた小説でしょ」
「だからなんだって言うのさ。金輪際先生があの作品をコピペ丸パクりした理由と、それがどう関係してくるっていうんだよ」
なにが起こったのか頭では理解しかけているのに、ぼくはどうやっても認めたくないらしい。だけど胸に抱いた疑念に呼応するように、視界に小さな虫のような模様が飛びこんでくる。
絶対小説の原稿に書き記されていた。
クセの強い。
文字。
タトゥーのような文字を全身に浮かびあがらせたぼくを見て、まことさんは驚きながらも、あくまで冷静な声で問いかけてくる。
「あなたがいくら目を背けたところで、欧山概念はどこまでも追いかけてくるみたいね。そもそも最初にあの小説を読ませたのは、いったいどこの誰だったかしら」
あえて思いだすまでもない。それは金輪際先生だ。
ぼくよりも先に原稿を手にした彼は、間違いなくあの序文を読んだはずだ。しかし彼は欧山概念の魂に選ばれず、あとから読んだぼくが選ばれてしまった。
もしそれが勘違いで――金輪際先生が単に、遅れて覚醒しただけなのだとしたら。
「仮に先生の肉体にも欧山の魂が憑依していて、絶対小説の力を借りて小説を書いたなら、あるいは兎谷くんの作品とまったく同じ内容になるかもしれないわ」
いやだいやだいやだ。
だけど考えずにはいられない。
己の力だけで作りあげたプロットだと、そう信じていた。初稿を書いたときは、それすら認めたくないのだけど――絶対小説の力をちょっと借りたかもしれないと、そう思いながらも目を背け続けていた。
だけど最初のプロットからなにからなにまで、文豪の魂に操られていただけなのだとしたら。ぼくは文字どおりゴーストライターとして、彼の原稿を書かされていたことになる。
面白いと、最高傑作だと、そう信じていただけに。
あの作品を作りあげたのが自分ではないという事実は、胸に深々と突き刺さった。