5-3:兎谷三為尊師はもはやクラスタにとって新たな宗教的シンボル。
文字数 3,148文字
といっても生活そのものは、いたって快適である。
外部と接触できぬようスマホやネットゲーム、パソコンの使用は固く禁じられているものの……ちょっと頼めばスナック菓子だろうか雑誌だろうがすぐに持ってきてくれるし、食事は三食デザートつきでメニューは豪華そのもの。
自分専用の大浴場にふかふかのベッドまであるのだから、高級ホテルのスイートルームに長期滞在しているようなものだ。
つまるところカルトのお偉いさんである金色夜叉さんは、
しかし当然ながら、いいことばかりではない。
ありがたくないことに尊師という立場はクラスタにおいてかなり上位の身分らしく、お目付役である
神に愛された聖者のように。
あるいは読者が愛してやまない文豪のごとく。
「尊師。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「今宵は瞑想に耽りたいところであったが、まあよいであろう」
病室にやってきたお目付役の金色夜叉さんにそう返したあと、ぼくは半裸のうえに甚平を羽織り、えらそうに腕を組んだまま外に出る。
髪はボサボサ、眉間にしわを寄せ、猫背で小走りにひょこひょこと、クラスタ評議会が定めた欧山概念ウォークを守りつつ、全身ゴールドのおっさんについていく。
「そうしているとまるで、本当に欧山大師が現世に舞い戻ったかのようでございますな。たった数日でそこまで欧山的世界観を忠実に再現なさるとは、さすがは尊師」
「フーム……褒められたところでさほど嬉しくはないがな。個人的にはやはり早いところ己の住処に戻り、小説の進捗に専念したい所存であるぞ、金色夜叉」
ぼくは文豪口調を維持したまま、ダメもとでマンションに帰りたい旨をアピールする。
しかし金色夜叉さんは例によって都合よく解釈したようで、笑いながらこう返した。
「ハハハ。尊師がそうお考えであるとは私めも察しておりまして、すでにビオトープに向かう準備は済ませております。早ければ明朝にもこの施設から出立できますでしょう」
「……ええ? マジで連れていかれるの? 絶海の孤島に?」
つい素に戻って聞き返すと、金色の顔面にじろっと睨まれてしまう。
……げ、しまった。このおっさん、ぼくがうっかりロールプレイを忘れると、あとでネチネチと説教をかましてくるのである。
VIP待遇とはいえ相手はカルト集団だし、身を守るためにはポスト欧山ナントカの立場を利用しなければならない。おかげで今やぼくは完璧に欧山概念スタイルを再現できるようになってしまった。
ちなみに当の文豪の経歴はいまだ謎に包まれているため、ぼくが演じている欧山的な振る舞いはすべて、クラスが長年に渡る議論の末に生みだした架空の人物像ということになる。
『孤高の文豪だからたぶんこんな感じ』を再現しているだけなのだから、どこまでも不毛な行為だ。
いや、最初から意味なんて存在していないのだろうけど。
「ビオトープというのがどのような場所なのか詳しくは知らぬものの……我が輩がやるべきことはどうせ、この施設とそう変わらぬものなのであろう。できれば今より自由に過ごせると嬉しいがな」
「ええ、もちろんですとも。ビオトープにて尊師はまずクラスタの代表と面会し、そののちは偉大なる大師の御霊を継承せし大作家様として、自らの創作活動に専念していただくことになっております。この施設では警備の都合により窮屈な思いをさせてしまいましたが、ビオトープで暮らすようになれば、誰に断らずとも自由に出歩くことができますでしょう」
ぼくはその言葉を聞き、クラスタから脱出できるかどうかを思案する。
地理的条件においては今より厳しくなるものの、監視の目がなくなれば外部と連絡を取るチャンスがめぐってくる可能性もある
状況が変わるというのは案外、そう悪いものではないのかもしれない。
「して、ここからが本題でございます、尊師。ビオトープが建設されて今年でちょうど十五周年を迎えましたので、その記念にショートムービーを製作したのでございます。もの自体はすでに完成しており、数日後に広くお披露目する予定なのですが……このたびはめでたく欧山概念大師の御霊を継ぎし大作家様がご降臨なされましたので、ぜひともフィルムを一足先にお目に通していただき、誠に恐縮ではありますが
「頼まれたなら別に断りはしないが……我が輩の名前にたいした権威はないぞ? なにせ今のところ、売れないラノベ作家であることに変わりはないわけだからな」
ぼくは偉そうな態度で、謙遜でもなんでもない事実を語る。
しかし金色夜叉さんは「いえいえ、滅相もございません」と首を横に振ってから、
「貴方様が紡がれし『偽勇者の
「えええ!? 原稿を掲載? むせび泣……どゆこと!?」
衝撃の事実を告げられたぼくは、文豪口調も忘れて問い詰めてしまう。
他人の作品を無断で掲載する暴挙に出たにもかかわらず、金色夜叉さんはまったく悪意を感じさせない顔で、ハキハキとこう答えた。
「再三にわたってご説明させていただいていますが、クラスタは尊師と専属契約を結んでおりますので。現状では口頭のみのお約束となっており心苦しいかぎりでございますから、いずれは正式な書面をご用意させていただきます。もちろん……相応の条件で」
彼は暗に『金ならいくらでも出すぞ』と、匂わせていた。
もちろん、待遇はよいほうがいい。しかし専属とか独占とかいう単語が引っかかる。
今ですらとにかく欧山概念的でどうのと比較されて辟易しているくらいだから、彼らと正式な契約を結んだところでろくな結果にならないのは目に見えている。
やはり口頭のみの約束(ていうかそれすら交わした覚えがない)であるうちに、クラスタから逃げだしたほうがよさそうだ。逆に言えば書類を渡されてサインを求められたときこそ、自分のタイムリミットが近づいていると判断すべきタイミングだろう。
「まあ、己の進退にかかわる決断なのだ。できればじっくりと吟味しておきたいところではあるし……とりあえずその話は脇に置いておいて、今日はクラスタの有志が作ったムービーとやらを鑑賞させてもらおうか」
「ええ、ええ。すでに上映の準備は済ませてありますので」
というわけで施設内の小ホールに向かうと、広々とした場内にぽつんとシルクスクリーンが設置されていた。ぼくは金色夜叉さんと並んでパイプ椅子に座り、クラスタが広報目的で作った映画をしばし鑑賞する。
なにせカルト集団の制作だし、ほぼ間違いなく電波ゆんゆんかつ退屈なシナリオを覚悟していたのだが……思いのほか堅実な出来で、ショートムービーながら見応えがあった。
それもそのはず、原作は
欧山概念の代理人である美代子をモデルにしたという、幻想的な物語だ。