2-7:ぼくたち、そこから来たんですよ。だからほら、ヨソモンなわけで。

文字数 4,066文字

 我に返ったぼくらは、河童たちの加勢にまわろうと物音がするほうへ向かう。
 しかし一匹だけなら彼らだけでどうにかなるのか、木霊はすでに息絶えていた。
 河童たちはぐったりとした木霊の亡骸をひっくり返すと、触手の裏に生えたイボのようなものを鉈でこそぎ落とす。
 あれがたぶんお目当ての根菜――シリコダマなのだろう。

 収穫作業が一段落すると、ようやくぼくらが眺めていることに気づいたのか、村長は笑いながら言った。

「お、やっづけたのか。ながながやるでねえが、ヨソモン」
「はあ……。ぼくもいまだに信じられないんですけど、なんとかなりましたよ」
「でっきり食われるもんかど思っだのに、びっぐりだで」

 この口ぶりからすると彼も、ぼくらだけで木霊を退治できると思っていなかったらしい。
 ヨソモンが食べられていたとしても、それはそれ。
 一匹めを倒すまで囮になってくれればよい、くらいの感覚だったのかもしれない。

 死というものが軽すぎて、うすら寒い気分になってくる。
 河童たちが暮らすこの山はあまりにも過酷で、川太郎が思い描いた楽園とはほど遠い世界だ。





「ぞりゃ死にだくはねえげどよ。だげんどなんもやらながっだらコダマはどんどんでがくなるし、あいづら狩らなぐでも飢えで死ぬべ。……ちがうか?」

 再びうっそうと茂る草木はかきわけ、元いた川辺に戻る途中。
 ぼくが思いきって「怖くないのか」とたずねると、村長からそんな答えが返ってきた。

「ちがわないと……思います。すくなくとも、ここでは」
「ヨソモンはよぐわがんねえごとばがり言うでな、まったく」

 煮え切らない様子のぼくを見て、村長は呆れたように息を吐く。
 緑色の肌。頭に皿を乗っけたような禿げ頭。
 容姿だけでなく生き方もかけ離れていて、だからこそお互いうまく噛みあわない。
 そりゃそうだ。
 ぼくらは人間、彼らは河童。
 まったく違う世界に生きる、まったく違う存在なのだから。
 
 そうこうしているうちに川辺にたどりついたので、あらためて村長にたずねる。
  
「で、ぼくらは帰りたいのですが」
「おらだちはごっがら出だごどねえしな。道案内なんざでぎねえど」

 ある程度、予想していた答えだった。
 まことさんの顔が真っ青になる。ぼくもそうなっているはずだ。
 この山で河童たちといっしょに、いつ死ぬかもわからない恐怖を常に味わいながら、木霊との生存競争を延々と繰り広げる。
 想像するだけで恐ろしい。絶対に無理だ。

 だから――なんとかして帰りたいと、ぼくらは必死に訴える。
 すると村長はふいに遠くを見つめ、静かにこう言った。

「……おらの前の前の前の村長がら、山から出でいく方法ざ聞いだごとならある」
「本当ですか? ぜひとも聞きたいです、それ」
「だげども簡単じゃねえど。コダマを狩るよりずっど危ねえがら、誰もやろうどじねえ。ぞれでもやるっでんなら好きにずるどええ」

 ぼくはまことさんを見る。彼女はこっくりとうなずいた。
 さきほどの狩りより危険だとしても、元の世界に帰る方法を試したい。
 二人とも同じ気持ちだった。
 
 やがて村長は、ナナフシのように長い手をすっと伸ばし、ある方向を指さす。
 その先にあるのは、荒々しい渓流だった。

「ごの川を下流まで泳ぎきれば、別のどこざ流れづくっでいう話でな。ぞこは食われるごともなげれば飢えるごともねえ、夢みでえなどこなんだどさ」

 ぼくは唖然として、白いヒゲをたくわえた村長の顔をまじまじと見つめる。
 彼のまなざしは奔流の先に注がれたまま、微動だにしない。

「実はぼくたち、そこから来たんですよ。だからほら、ヨソモンなわけで」
「なるほどなあ。んだら帰りでえだろうなあ」 

 村長はしみじみと呟く。その声には深い深い憧憬が宿っていた。
 ……ぼくらとまったく違う存在? とんでもない。
 河童たちは川太郎と同じように、荒々しい渓流の先に楽園を思い浮かべている。
 しかし彼らが夢見る先にあるものは――ぼくらにしてみれば【現実】なのだ。

 そのことに気づいたとき、ふと強烈なめまいに襲われた。

 ◇


「げほっ……げほげほげほっ!」

 ふいに感じたのは、耐えがたい息苦しさと、口から溢れでる大量の水。
 それがいったんおさまると、口の中いっぱいに青臭さと泥の味が広がり、歯の間に挟まった砂のじゃりじゃりとした感触に不快感を覚えた。

 いったいなにが起こったのか、さっきまで村長と川を眺めていたはずなのに。
 パニックになりながら再びポンプのように水を吐きだしていると、そばにいたまことさんが泣きそうな顔で背中をさすってくれる。

「大丈夫ですかっ!? 大丈夫ですかっ!? 兎谷(うさぎだに)先生っ!!」
「げっ……げふっ! ぼ、ぼくは……?」
「助かったんです! 助かったんですよわたしたちっ!!」

 状況を把握できずに呆然としていると、髪からぼたぼたと水滴が垂れてくる。乾かしたはずのTシャツとゴアテックスのパンツが、なぜかびしょびしょに濡れていた。
 隣のまことさんも同じくびしょびしょで、濡れた服が肌に張りつき、淡いブルーの下着が透けている。
 ぼくは反射的に視線を泳がせながら、彼女にたずねる。

「もしかしてまた川に落ちたの……? 河童は……村長たちはどこに?」
「な、なにを言っているんですか!? しっかりしてください!!」

 彼女の声を聞いているうちに意識がはっきりとしてきて、周囲に目を向ける余裕が出てくる。
 河童たちはおろか、川辺にあったはずのたき火の痕跡すら見あたらない。

 しばしの間を置いて、ぼくはようやく理解する。
 最初からそんなものは、どこにも存在していなかったのだと。

「ええと……兎谷先生?」
「ああ、ごめん。しかし危なかったね。まじで死ぬかと思ったよ……」
「わたしもです。本当にありがとうございました、溺れていたところを助けていただいて」 
 
 まことさんが鼻水をたらしながら泣きだしたので、ぼくは照れ笑いを浮かべてしまう。
 斜面から転がり落ちそうになった彼女に手を伸ばして、自分も巻きこまれたかたちになったとはいえ――まことさんだけ川に落ちていたらどうなっていたかわからないし、彼女を助けることができて本当によかった。

「気を失っているときに、変な夢を見ちゃったよ。でも小説のいいネタになるかも」
「あ、あの、頭を強く打ったりしませんでしたか……?」

 ぼくがそう言って笑うのを見て、まことさんが再び心配そうな顔をする。
 もしかすると、おかしくなったと思われたのかもしれない。
 彼女にけげんな表情を向けられるのはあまりよい気分ではなかったものの――いまだにぼくの脳裏には幻の残滓がちらついていて、どうしても自然と視線は、目の前を流れる小川の先に向いてしまう。

「うん、大丈夫。ちょっと意識がもうろうとしてたけど、今はだいぶハッキリとしてきた。風邪を引くといけないから、まずは服を乾かすか山をおりるかしないと」
「そうですね。――くちゅんっ!」

 まことさんが可愛らしくくしゃみをしたので、ぼくらはひとまず川辺から離れることにする。上流を眺めたところでここに河童はいないし、きっと彼らは今やぼくの心の中にしか存在しない。

 だから山をおりながらまことさんに話して、それから文字におこしてみよう。
 ぼくと彼女の二人で、河童といっしょに冒険する話を。


 ◇


「ふむふむ……。思いのほかよく書けているのう」

 ぼくの原稿を読み終えた僕様ちゃんは、にやりと笑みを浮かべてそう言った。
 この反応からすると、満足してもらえたとみてよさそうだ。
 それなりに自信があっただけに、ほっと胸をなでおろす。

「わたしとしても驚きでした。まさか取材に行ったときのことをそのまま小説にするとは思っていなかったので。だいぶアレンジされちゃってますけど」
「そこら辺も含めて評価してやろう。夢オチなのがちょいと気になるとはいえ、現実と虚構が曖昧になる感じもある意味、欧山(おうやま)の二次創作っぽいっちゃぽいからのう」
「まあ実際に見た夢をモチーフにしたから、そうなったわけですけどね」

 ぼくがそう言うと、僕様ちゃんはケラケラと笑う。
 それから渡した原稿を丸めてポンと叩き、

「よし合格じゃ。約束どおり絶対小説の行方を占ってやろう。いやはや、ひさびさに楽しませてもらったぞ、兎谷くん」
「ありがとうございます。なんというか、ぼくとしても素直に嬉しいですよ。占いの料金代わりとかそういうの抜きにしても、自分の作品でこんなに喜んでもらえると、その……」
「ん。言わずともわかる。だから書くのじゃろう、お前は」

 そうなのだろうか。きっと、そうなのかもしれない。
 わかりきった話なのに、どうして忘れかけていたのだろう。

 しみじみとそう思っていると、僕様ちゃんがぼくにたずねてくる。

「ちなみに河童の楽園の話、どこまでが本当でどこまでがフィクションなのだ? まこちゃんから聞いたところによると、川で溺れかけたところはマジらしいが」
「ええと、どうなんでしょうね。ハハハ」
「なんだその反応は。書いた本人なのだからわかっておるだろうに」

 僕様ちゃんは呆れたようにそう言うけど、ぼくはごまかし笑いを返すほかない。

 実は取材の帰り道、パンツのポケットになんかの種が入っていたので、それをぽいと草むらに捨てたのだが……あれから数日後、こんな見出しのニュースをネットで見かけたのだ。

 ――埼玉の山奥で、謎の食肉植物が現る!! 幻のマンドラゴラか!? 
 
 ただの偶然だと思う。
 だけどぼくはついつい、こう考えてしまう。
 あのときの出来事は、どこまでが現実で、どこまでが夢だったのだろうかと。
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登場人物紹介

兎谷三為


売れない新人ラノベ作家。手にしたものに文才が宿る魔術的な原稿【絶対小説】を読んだことで、百年前の文豪にまつわる奇妙な冒険に巻き込まれる。童貞。

まこと


オカルト&文芸マニアの美人女子大生。金輪際先生の妹。

紛失した絶対小説の原稿を探すべく、兎谷と協力する。

欧山概念


百年前に夭折した文豪。

未完の長編【絶対小説】の直筆原稿は、手にしたものに比類なき文才を与えるジンクスがある。

金輪際先生


兎谷がデビューしたNM文庫の看板作家。

面倒見はいいものの、揉め事を引き起こす厄介な先輩。

僕様ちゃん先生


売れっ子占い師。紛失した絶対小説の行方を探すために協力してくれる。

イタコ霊媒師としての能力を持つスピリチュアル系の専門家。アラサー。

河童


サイタマに生息する妖怪。

肉食植物である【木霊】との過酷な生存競争に明け暮れている。

グッドレビュアー


ベストセラーのためなら作家の拉致監禁、拷問すら辞さない地雷レーベル【ネオノベル】の編集長。

裏社会の連中とも繋がりがあるという闇の出版業界人。

田崎源一郎


IT企業【BANCY社】の代表取締役。

事業の一環として自社のAIに小説を書かせている。


田中金色夜叉


欧山概念を崇拝するあまりカルト宗教化した読者サークル【概念クラスタ】の幹部。

欧山の作品に登場した妖怪になりきるために全身をゴールドのポスターカラーで塗りたくっている。

川太郎


欧山概念の小説【真実の川】に登場する少年。

赤子のころに川から流れてきた孤児であるため、己が河童だと信じている。

リュウジ


金輪際先生の小説【多元戦記グラフニール】の主人公。

最強の思念外骨格グラフニールに搭乗し、外宇宙の侵略者たちと戦っている。

ミユキ


金輪際先生の小説【多元戦記グラフニール】のヒロイン。

事故で死んだリュウジの幼馴染。

外宇宙では生存しており、侵略者として彼の前に現れる。

ライル


兎谷の小説【偽勇者の再生譚】の主人公。

勇者の生まれ変わりとして育てられたが、のちに偽物だと判明する。

マナカン


兎谷の小説【偽勇者の再生譚】のヒロイン。

四天王ガルディオスとの戦いで死んだライルを蘇らせたエルフの聖女。

真の勇者ユリウスの魂を目覚めさせるために仲間となる。



聖騎士クロフォード


兎谷の小説【偽勇者の再生譚】の登場人物。

ライルの師とも呼べる存在。

ガルディオス戦で死亡し、魔王軍に使役されるアンデッドになってしまう。

お佐和


欧山概念の小説【在る女の作品】に登場する少女。

病弱ゆえ外に出ることができず、絵を描くことで気分をまぎらわせている。

やがて天才画家として評価されるが、創作に没頭するあまり命を削り息絶えてしまう。

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