2-7:ぼくたち、そこから来たんですよ。だからほら、ヨソモンなわけで。
文字数 4,066文字
しかし一匹だけなら彼らだけでどうにかなるのか、木霊はすでに息絶えていた。
河童たちはぐったりとした木霊の亡骸をひっくり返すと、触手の裏に生えたイボのようなものを鉈でこそぎ落とす。
あれがたぶんお目当ての根菜――シリコダマなのだろう。
収穫作業が一段落すると、ようやくぼくらが眺めていることに気づいたのか、村長は笑いながら言った。
「お、やっづけたのか。ながながやるでねえが、ヨソモン」
「はあ……。ぼくもいまだに信じられないんですけど、なんとかなりましたよ」
「でっきり食われるもんかど思っだのに、びっぐりだで」
この口ぶりからすると彼も、ぼくらだけで木霊を退治できると思っていなかったらしい。
ヨソモンが食べられていたとしても、それはそれ。
一匹めを倒すまで囮になってくれればよい、くらいの感覚だったのかもしれない。
死というものが軽すぎて、うすら寒い気分になってくる。
河童たちが暮らすこの山はあまりにも過酷で、川太郎が思い描いた楽園とはほど遠い世界だ。
◇
「ぞりゃ死にだくはねえげどよ。だげんどなんもやらながっだらコダマはどんどんでがくなるし、あいづら狩らなぐでも飢えで死ぬべ。……ちがうか?」
再びうっそうと茂る草木はかきわけ、元いた川辺に戻る途中。
ぼくが思いきって「怖くないのか」とたずねると、村長からそんな答えが返ってきた。
「ちがわないと……思います。すくなくとも、ここでは」
「ヨソモンはよぐわがんねえごとばがり言うでな、まったく」
煮え切らない様子のぼくを見て、村長は呆れたように息を吐く。
緑色の肌。頭に皿を乗っけたような禿げ頭。
容姿だけでなく生き方もかけ離れていて、だからこそお互いうまく噛みあわない。
そりゃそうだ。
ぼくらは人間、彼らは河童。
まったく違う世界に生きる、まったく違う存在なのだから。
そうこうしているうちに川辺にたどりついたので、あらためて村長にたずねる。
「で、ぼくらは帰りたいのですが」
「おらだちはごっがら出だごどねえしな。道案内なんざでぎねえど」
ある程度、予想していた答えだった。
まことさんの顔が真っ青になる。ぼくもそうなっているはずだ。
この山で河童たちといっしょに、いつ死ぬかもわからない恐怖を常に味わいながら、木霊との生存競争を延々と繰り広げる。
想像するだけで恐ろしい。絶対に無理だ。
だから――なんとかして帰りたいと、ぼくらは必死に訴える。
すると村長はふいに遠くを見つめ、静かにこう言った。
「……おらの前の前の前の村長がら、山から出でいく方法ざ聞いだごとならある」
「本当ですか? ぜひとも聞きたいです、それ」
「だげども簡単じゃねえど。コダマを狩るよりずっど危ねえがら、誰もやろうどじねえ。ぞれでもやるっでんなら好きにずるどええ」
ぼくはまことさんを見る。彼女はこっくりとうなずいた。
さきほどの狩りより危険だとしても、元の世界に帰る方法を試したい。
二人とも同じ気持ちだった。
やがて村長は、ナナフシのように長い手をすっと伸ばし、ある方向を指さす。
その先にあるのは、荒々しい渓流だった。
「ごの川を下流まで泳ぎきれば、別のどこざ流れづくっでいう話でな。ぞこは食われるごともなげれば飢えるごともねえ、夢みでえなどこなんだどさ」
ぼくは唖然として、白いヒゲをたくわえた村長の顔をまじまじと見つめる。
彼のまなざしは奔流の先に注がれたまま、微動だにしない。
「実はぼくたち、そこから来たんですよ。だからほら、ヨソモンなわけで」
「なるほどなあ。んだら帰りでえだろうなあ」
村長はしみじみと呟く。その声には深い深い憧憬が宿っていた。
……ぼくらとまったく違う存在? とんでもない。
河童たちは川太郎と同じように、荒々しい渓流の先に楽園を思い浮かべている。
しかし彼らが夢見る先にあるものは――ぼくらにしてみれば【現実】なのだ。
そのことに気づいたとき、ふと強烈なめまいに襲われた。
◇
「げほっ……げほげほげほっ!」
ふいに感じたのは、耐えがたい息苦しさと、口から溢れでる大量の水。
それがいったんおさまると、口の中いっぱいに青臭さと泥の味が広がり、歯の間に挟まった砂のじゃりじゃりとした感触に不快感を覚えた。
いったいなにが起こったのか、さっきまで村長と川を眺めていたはずなのに。
パニックになりながら再びポンプのように水を吐きだしていると、そばにいたまことさんが泣きそうな顔で背中をさすってくれる。
「大丈夫ですかっ!? 大丈夫ですかっ!?
「げっ……げふっ! ぼ、ぼくは……?」
「助かったんです! 助かったんですよわたしたちっ!!」
状況を把握できずに呆然としていると、髪からぼたぼたと水滴が垂れてくる。乾かしたはずのTシャツとゴアテックスのパンツが、なぜかびしょびしょに濡れていた。
隣のまことさんも同じくびしょびしょで、濡れた服が肌に張りつき、淡いブルーの下着が透けている。
ぼくは反射的に視線を泳がせながら、彼女にたずねる。
「もしかしてまた川に落ちたの……? 河童は……村長たちはどこに?」
「な、なにを言っているんですか!? しっかりしてください!!」
彼女の声を聞いているうちに意識がはっきりとしてきて、周囲に目を向ける余裕が出てくる。
河童たちはおろか、川辺にあったはずのたき火の痕跡すら見あたらない。
しばしの間を置いて、ぼくはようやく理解する。
最初からそんなものは、どこにも存在していなかったのだと。
「ええと……兎谷先生?」
「ああ、ごめん。しかし危なかったね。まじで死ぬかと思ったよ……」
「わたしもです。本当にありがとうございました、溺れていたところを助けていただいて」
まことさんが鼻水をたらしながら泣きだしたので、ぼくは照れ笑いを浮かべてしまう。
斜面から転がり落ちそうになった彼女に手を伸ばして、自分も巻きこまれたかたちになったとはいえ――まことさんだけ川に落ちていたらどうなっていたかわからないし、彼女を助けることができて本当によかった。
「気を失っているときに、変な夢を見ちゃったよ。でも小説のいいネタになるかも」
「あ、あの、頭を強く打ったりしませんでしたか……?」
ぼくがそう言って笑うのを見て、まことさんが再び心配そうな顔をする。
もしかすると、おかしくなったと思われたのかもしれない。
彼女にけげんな表情を向けられるのはあまりよい気分ではなかったものの――いまだにぼくの脳裏には幻の残滓がちらついていて、どうしても自然と視線は、目の前を流れる小川の先に向いてしまう。
「うん、大丈夫。ちょっと意識がもうろうとしてたけど、今はだいぶハッキリとしてきた。風邪を引くといけないから、まずは服を乾かすか山をおりるかしないと」
「そうですね。――くちゅんっ!」
まことさんが可愛らしくくしゃみをしたので、ぼくらはひとまず川辺から離れることにする。上流を眺めたところでここに河童はいないし、きっと彼らは今やぼくの心の中にしか存在しない。
だから山をおりながらまことさんに話して、それから文字におこしてみよう。
ぼくと彼女の二人で、河童といっしょに冒険する話を。
◇
「ふむふむ……。思いのほかよく書けているのう」
ぼくの原稿を読み終えた僕様ちゃんは、にやりと笑みを浮かべてそう言った。
この反応からすると、満足してもらえたとみてよさそうだ。
それなりに自信があっただけに、ほっと胸をなでおろす。
「わたしとしても驚きでした。まさか取材に行ったときのことをそのまま小説にするとは思っていなかったので。だいぶアレンジされちゃってますけど」
「そこら辺も含めて評価してやろう。夢オチなのがちょいと気になるとはいえ、現実と虚構が曖昧になる感じもある意味、
「まあ実際に見た夢をモチーフにしたから、そうなったわけですけどね」
ぼくがそう言うと、僕様ちゃんはケラケラと笑う。
それから渡した原稿を丸めてポンと叩き、
「よし合格じゃ。約束どおり絶対小説の行方を占ってやろう。いやはや、ひさびさに楽しませてもらったぞ、兎谷くん」
「ありがとうございます。なんというか、ぼくとしても素直に嬉しいですよ。占いの料金代わりとかそういうの抜きにしても、自分の作品でこんなに喜んでもらえると、その……」
「ん。言わずともわかる。だから書くのじゃろう、お前は」
そうなのだろうか。きっと、そうなのかもしれない。
わかりきった話なのに、どうして忘れかけていたのだろう。
しみじみとそう思っていると、僕様ちゃんがぼくにたずねてくる。
「ちなみに河童の楽園の話、どこまでが本当でどこまでがフィクションなのだ? まこちゃんから聞いたところによると、川で溺れかけたところはマジらしいが」
「ええと、どうなんでしょうね。ハハハ」
「なんだその反応は。書いた本人なのだからわかっておるだろうに」
僕様ちゃんは呆れたようにそう言うけど、ぼくはごまかし笑いを返すほかない。
実は取材の帰り道、パンツのポケットになんかの種が入っていたので、それをぽいと草むらに捨てたのだが……あれから数日後、こんな見出しのニュースをネットで見かけたのだ。
――埼玉の山奥で、謎の食肉植物が現る!! 幻のマンドラゴラか!?
ただの偶然だと思う。
だけどぼくはついつい、こう考えてしまう。
あのときの出来事は、どこまでが現実で、どこまでが夢だったのだろうかと。