2-2:真実の川 (欧山概念著 化生賛歌より)
文字数 1,497文字
物語の主人公である少年は、村の衆から『川太郎』と呼ばれておりました。
なんでもおとぎ話の桃太郎のごとく、赤子のころに川を流されていたところを農夫たちに拾われたがために、自然とその名で呼ばれるようになったのだとか。
しかし川太郎は鬼退治の旅に出るほど強くはなく、心優しい老夫婦に愛情をこめて育てられたわけでもありません。
集落から離れたあばら屋にて幼いころから一人で暮らし、畑仕事を手伝うかわりにいくばくかの作物を恵んでもらうという、聞くも哀れな境遇でございます。
そのうえ成長期をむかえても背丈はたいして伸びず、くの字に折れたようなひどい猫背で、身体は牛蒡のようにやせ細っておりました。
遠くから見ると青白い猿のようだったので、川太郎が畑にやってくると、村の衆が「河童がきた、河童がきたぞ。おまえたち、尻を隠せ」とあざけりながら、腐った胡瓜を投げつけることもありました。
……ひどい話ですよね? わたしだったら火をつけますよ、そんな村。
しかし幸いにも川太郎はおとなしい少年でしたから、河童だ河童とからかわれたところで腹をたてることはありませんでした。
生まれてすぐ川に流された天涯孤独の身、育った村では誰からも愛されることはなく、毎日毎日やることといえば、畑仕事を手伝いわずかな作物を得るだけの単調な日々。
そんな川太郎を唯一慰めてくれたのは、村の近くを流れる渓流でありました。
その川は赤子のころに彼が流されたところであり、ひとたび雨が降ればごうごうと音をたてながら荒れ狂い、屈強な村の衆すら怯えさせる奔流となる一面もありました。
彼は水面の力強さに己の憧憬を映したのか、物心ついたころにはこう信じるようになっておりました。
――この流れの先には河童の楽園があり、己はそこから村に流れついてきたのだ。
もし川の上流まで泳ぎきることができれば、この身体は鯉が龍となるかのごとく変容し、真の故郷である河童の楽園に招かれるのではないか、と。
来る日も来る日も渓流を眺めていた川太郎は、ある日の夜、決意をかため水面に飛びこみます。
前日に雨が降ったばかりで川はおおいに荒れており、裸一丁で泳ぎきろうとするのは正気の沙汰ではありません。
しかしだからこそ己は試練を乗りこえ、河童の楽園にいたるのだと、彼はそう心に思い描いていたのです。
川太郎は必死に川の流れに立ち向かいました。
幼いころから暮らしてきた村に未練はありません。
そこは己の居場所ではなく、真の故郷は奔流の先にあるのですから。
しかし打ちつける波は彼の小柄な身体を容赦なく押し流し、冷たい水は徐々に体温を奪います。いつしか彼は力尽き、川の流れに呑まれてしまったのでありました。
川太郎が目を覚ますと、そこは河童の楽園ではなく、自らが背にしてきたはずの村でした。
医者に介抱され、無事に息を吹き返した彼を見て、村の衆は「河童でも溺れることがあるのだなあ」と、冗談まじりに言って笑うのでありました。
こうして川太郎はもとの生活に戻ります。
あいもかわらず「河童、河童」とあざけられる日々。
しかし彼はもう二度と、河童の楽園を目指そうとはしませんでした。
来る日も来る日も水面を眺め、静かにこう考えるのです。
己は川に拒まれてしまった。
ゆえに居場所がなかろうとも、この村で生きていくほかないのだろう、と。
結局のところ川太郎は、ただの人間でしかなかったのでしょう。