4-8:ならば書いてみるがいい。いかなる読者をも圧倒する、絶対的な小説を。
文字数 4,543文字
ぼくが無言でぷるぷると首を横に振ると、彼は落胆したようにため息を吐く。
そしてスッと右手をあげると、
「しかたがない。君のためにいいものを用意しよう」
「は……?」
直後、スーツ姿の男どもがなにかを抱えてワラワラとやってくる。
彼らがぽんとオフィスの床に放り投げたのは、縄で縛られた僕様ちゃん先生だった。
椅子に固定されたままの姿勢で、ぼくがぎょっとして見下ろす中、
「手荒なことはしていない。今のところは、ね」
僕様ちゃん先生は薬で眠らされているのか、すぴーすぴーと穏やかな寝息を立てている。
その姿を見てひとまず安堵するものの……彼女の無事は保証されたわけではなく、こうして囚われている以上、今後ネオノベルの連中がなにをするか、わかったものではなかった。
「出版業界の破綻を食い止めるための時間は、もうあまり残されていない。行動を起こすのが、遅すぎると言ってもいいくらいだ。……我々はいかなる犠牲を払ったとしても、欧山の原稿を、文豪を生みだす力を手に入れる。必要なのはただのヒット作ではない。途方もない経済効果をたたき出す、絶対的な作品――すなわち、絶対小説さ」
そう言って彼がパチンと指を鳴らすと、背後に並んで待機していたスーツ姿の男たちが、なにやら怪しげな道具を準備しはじめる。
グッドレビュアーはニタニタと下品な笑みを浮かべて、ぼくに甘い声で囁きかけてくる。
「フフフ。女性に対して行う拷問は、君の想像を遙かに超えているよ。おっと、こう言うとむしろ興味が湧いてしまうかな?」
「やめろっ!! 彼女はぼくとは関係ないんだっ!!」
「だったら別に構わないじゃないか。表の世界ではまずお目にかかれない過激なショーを愉しもう。……しかしこの女性のあられもない姿を見るのがしのびないというのなら、君の返答次第によっては上映会を取りやめてあげてもいい。最近は規制も厳しいからね」
僕様ちゃん先生を、ひどい目にあわせるわけにはいかない。
彼女はただ依頼を受けて原稿の行方を調べていただけで、絶対小説の件とは無関係なのだし、それにあれこれ文句を言いながらも、最初からずっとぼくに親切にしてくれたのだ。
しかし……どうやってこの状況を、うまく切り抜けるべきか。
考えあぐねたあげく、ぼくは重たい口を開いた。
「わかりました。正直に話しましょう。あの夏の日、渋谷の居酒屋で金輪際先生から絶対小説を渡されました。そしてぼくは欧山が遺した書きかけの原稿に目を通したのです」
「で? 君たちはそのときに一度、原稿を紛失したと周囲に語っていたらしいな。しかし金輪際先生のほうはのちに、絶対小説は
「ええ。でもぼくは最初からずっと、原稿を所有していませんでした。だから僕様ちゃん先生――今そこで寝っ転がっている女性に頼んで、紛失した原稿を探してもらっていたわけで。実を言うと最近まで、金輪際先生はぼくに原稿を渡したと嘘をついて、ネオノベルの連中からバックレようとしたのだと考えていました」
「だが、それは事実と異なる。薬漬けにされて廃人と化してもなお、あの男は最後まで主張を変えなかった。つまり彼は君が原稿を所有していると、確信を持っていたのだ」
「ほんと、どういうことなんでしょうね……」
ぼくが困り果てて本音を漏らすと、グッドレビュアーのまなざしに剣呑な空気が宿る。
金輪際先生が絶対小説についてどんな真実をつかんでいたのか、廃人と化した今では知りようがない。
というより、ぼくの前に現れた先生は幻覚もしくは生き霊だったわけだから、温泉で聞いた彼の話に真実が含まれていたかどうかすら、怪しいところである。
でも……だとしても。
ネオノベルの連中に、原稿の在処を教えなければならない。
彼らが納得しうる真実とやらを、今ここで用意しなくてはならないのだ。
ぼくはしばし目を閉じ、そして覚悟を決める。
「ハハハ! ほんとにどういうことなんでしょうねえ!! こうして原稿の在処を示している――いえ、目の前にぽんと置いているというのに、あなたはクソ真面目な顔で『原稿はどこにある?』と脅してくるわけですから、もう無理……マジうける……プゲラプゲラ、プゲラッチョ」
「なんだと……?」
急に態度を変えたぼくを見て、グッドレビュアーが困惑したような声を出す。
そんな彼の姿を鼻で笑うように、椅子に固定されたままの姿勢でふんぞり返ると、
「まったくあなたのほうこそ、絶対小説の価値を理解できていないのでは? 原稿はどこに消えたのか、いったい誰に奪われ、今どこにあるのか。そうやって頭を抱えていること自体が、固定観念に凝り固まった凡人の限界なわけです」
「……それはいったい、どういう意味かな?」
「好事家たちの間では、文才を与える力についてこういう説が唱えられています。絶対小説の原稿には
「そうだ。しかし選ばれたものでなければ、絶対小説はただの骨董品でしかない。ゆえに我々は原稿を手に入れたのち、それをしかるべき作家に渡すつもりでいる」
「はて? でも金輪際先生は、こうも話していたはずです。欧山概念の魂は、兎谷三為を選んだ。つまり絶対小説に選ばれたのは、ぼくなんですよ」
グッドレビュアーはじっと、こちらを見据える。
この男も最初から、その可能性について考えていたに違いなかった。
だからとくに驚いた様子もなく、
「売れないライトノベル作家が原稿に選ばれたのは実に意外な話ではあるが、そうであるならばなおのこと、絶対小説は君が所有しているはずだ。しかるべき金額で買い取ってやるから、早く原稿の在処を教えなさい」
「はいそうですねと、簡単に話が進むと思いますか? ぼくとしちゃ実に魅力的な提案なんですけど、欧山に選ばれたが最後、原稿を手放すことは現実問題として不可能なんですよ」
「だから、それはいったいなぜなのかね。まさかそういう呪いがかかっている、などとゲームのようなことを言うつもりではあるまいな」
「当たらずも遠からず、といったところでしょうね。絶対小説のオカルトが囁かれるようになって以後、原稿はたびたび紛失し、新たな所有者を求めて転々としている。でもどうして毎度毎度、同じようなことが起こるのか、不思議に思ったことはありませんか?」
ぼくがそう問いかけると、グッドレビュアーはしばし考えこむ。
そして内に湧いた疑問の答えを求めるように、視線をさまよわせながら、
「言われてみれば……妙だな。尋常ならざる力を秘めたアイテムなのだ、普通に考えれば厳重に保管し、可能であれば身内の人間に相続させるはずだ。しかし闇の出版業界人の創設者を含め、所有者の死後、原稿は必ずといっていいほど紛失している」
「深く考える必要はありません。原稿が消える現象もジンクスの――というより、絶対小説に組みこまれたシステムのひとつというだけの話ですから。そして今回も同じことが起こったわけです。内に秘められた力が発現し、原稿は紛失、いえ、消失した」
マスクをつけていても、グッドレビュアーが驚いた表情を浮かべたのがわかった。
目の前の男は今、ぼくのペースに呑まれかけているのだ。
「あの夏の日、ぼくは原稿を読んだことで、欧山概念の魂に選ばれた。あなたは絶対小説を物質的なアイテムだと考えているようですが、実際は彼のさまよえる魂が別の形態をとって具現化したものにすぎないのです。そしてこの肉体に憑依した今、絶対小説の原稿と呼べるものはこの世に存在しません」
「つまり絶対小説とは、欧山概念の魂を転送するための道具だと……そう言いたいのか」
「あれれ、信じられませんか。まあ無理もないですよね、こうなるとオカルトどころかオーパーツのたぐいですし、ぼくたちの常識を遙かに超えた代物ですから。――でもだからこそ、あなたがたはその力を欲しているわけでしょう?」
ぼくはそう言ったあとで自信たっぷりに、ククッと含み笑いを浮かべてみせる。
しかし内心は、恐怖でいっぱいだった。
なぜなら今の話はすべて、口から出まかせだからである。
かつて河童の楽園で、夢の中のまことさんはこう言った。
上手に嘘をつくのが、作家の仕事だと。
そして露天風呂で、幻か生き霊の金輪際先生もこう言った。
既成の事実を繋ぎあわせて、突拍子のない話を作り上げるのが作家だと。
だったらここで今、突拍子のない話を作りだしてやる。
ネオノベルの連中は、オカルトを本気で信じているような輩なのだ。
いっそ現実味のない与太話のほうが、彼らの求める真実に近いものになってくれるかもしれない。
それがこの窮地を切り抜けるべく考えた、ぼくの作戦である。
すると奇跡的にうまく事が運んだのか、
「……にわかに受け入れがたい内容ではあるが、ひとまず君の話を信じてみるとしよう。欧山概念の魂は兎谷三為という作家を所有者に選び、役目を終えたがために絶対小説はこの世から消失した。そして今、君の肉体に彼の力が宿っている、と」
「たぶん大体そんな感じです。なのですみません、原稿を渡すのは無理です。ハハハ」
「となれば……欧山概念の文才を手にした君が小説を書いたとき、爆発的な経済効果を叩きだすほどの傑作が生まれる、ということにもなるわけだな」
「んん? まあ、そういう話にもなりますかね……?」
しまった。
相手を煙に巻くことだけに集中していたから、先のことまで深く考えていなかった。
再び窮地に陥ったぼくは、ごにょごにょと言葉を濁しつつ、
「でもまだ力を手に入れたばかりですから、そのときのコンディション次第になるかもしれません。十分に休息を取りながら、余裕のあるスケジュールで、なるべくストレスのない環境で、あと資料とかいっぱい読みこんで、何度か手直しして……調子がよければまあなんとか」
「できる、ということだな?」
「は、はい」
しかし作家に有無を言わせぬことにかけては、編集者という人間はまさしくプロである。
地雷レーベルの長ともなれば、その威圧感は独裁者さながらの凄まじさであった。
グッドレビュアーは挑戦的な声音で、念を押すようにこう告げる。
「ならば書いてみるがいい。いかなる読者をも圧倒する、絶対的な小説を」
書きあげたものが満足のいく内容でなかったら、そのとき彼はどうするつもりなのか。
マスクごしに覗く剣呑なまなざしに、断頭台の姿が映っているかのように見えた。