7-9:ビオトープの恋人
文字数 2,146文字
全身を針で刺されたような激痛が駆けめぐり、ぼくは意識を取り戻した。
背中がのけぞるほど激しく痙攣するものの、パイプ椅子に縛られているためその場でガクンガクンと震えるしかない。
ネオノベルのオフィスに拉致されているときに、経験したことがある。
これは電気ショックだ。
ぼくは今、スタンガンをぶちこまれている。
「金輪際先生、あなたもなかなか強情ですね。普通はすぐに泣き言をあげるのですけど」
「うう……。お前は……グッドレビュアーか……」
激痛の波がようやくおさまると、顔を前に固定されたまま、背後の人物に問いかける。
自分が書いた作品の中から抜けだせたようだけど、今いるところは現実ではなく、絶対小説の中らしい。
しかしこうも痛めつけられると、頭がおかしくなりそうだ。
「おお、意識が朦朧としているのですか。自己紹介はすでに終えているでしょうに。質問の内容もお忘れだと困りますし、念のためもう一度だけ確認しておきますか」
「欧山概念の、原稿だろ? あんたが欲しいのは比類なき文才を与える力、苦境に立たされた出版業界を救うベストセラー作品だ」
「覚えていられましたか。では教えてください。――絶対小説はどこにある?」
そのバカバカしい問いかけに、ぼくは不覚にも吹きだしてしまった。
マスクをつけた男がクソ真面目に聞いてくるのがツボに入ったので、よだれを垂らしてゲラゲラと大笑いしたあと、グッドレビュアーにこう言ってやることにした。
「あんたの目の前にあるじゃないか。ここが、絶対小説だよ」
「はあ? いい加減にしろ!! 私を怒らせると後悔することになるぞ!!」
「おっと失礼。だけど残念、これが真実さ」
バカバカしい問いかけといえば、ふと脳裏によぎったことがある。
ぼくが今、金輪際先生として拷問を受けているのなら、この世界のどこかにいるのだろうか。
語り部としての役割を与えられた、もうひとりのぼくが。
そしてネオノベルのオフィスで拷問を受けているこの姿を、一年前のぼくは兎谷三為として見ることになるのかもしれない。
グッドレビュアーが一旦場を離れたあと、注射器を手にして再び近づいてくる。
頭がおかしくなってしまう前に、ちょっとしたネタバレをしてやろう。
なあ聞いてくれ、兎谷三為。たぶん伝わらないだろうけど。
「この世界に存在する神はひとり、私と、兎谷くんと、そして欧山概念だ。いやはや、まったく気持ちが悪いものさ。なにもかもが自分の……ヒヒッ! おいしいからねえ……ママのチーズケーキ!! やったあ!! 今日の夜はカレーだって!」
――――――――
ふと気がつくと、小高い丘のうえにいた。
しかしこちらに近づいてくる人物の姿を見るかぎり、ぼくはまだ夢から覚めていない。
全身をゴールドに塗りたくったおじさんは、現実にそうそういないはずだ。
「ビオトープから出ていかれるのですか、金輪際尊師」
「あー、はい。よくわからないけどたぶんそうするつもりです」
どういった場面か把握できていなかったから、曖昧な返事をしてしまう。
しかし金色夜叉さんは気にした様子もなく、つらつらと語りはじめる。
「尊師が欧山概念に選ばれたであろうことに、私は確信を抱いています。しかし尊師ご自身はそれを否定し、別の若者に可能性を見いだそうとしておられる。兎谷三為という作家は、いったいどのような人物なのでございますか」
その問いかけの意味を考えようとしたところで、自分がいつのまにか、セピア色の紙束を抱えていることに気づく。
それは鉛筆で書かれた、古めかしい原稿だった。
欧山概念の。
クセのある。
文字。
ぼくは絶対小説を、比類なき文才を与えるという原稿を、手にしている。
「兎谷三為という青年は……まあこう言ったらアレですけど、うだつのあがらない引きこもりのラノベ作家です。しかしすくなくとも、今のぼくよりは熱意がある」
「ゆえにその熱意ある若者に、原稿を読ませるわけですか。欧山概念に選ばれるだろうという、期待をこめて」
「まあそうなりますかね。それが与えられた役割なので」
やるべきことは決まった。
金輪際先生としての物語が、はじまろうとしているのだから。
兎谷三為に眉間を撃ち抜かれたとき、ぼくは現実に戻ることができるはずだ。
「ああ、そういえばここってビオトープなんですよね。出ていく前に一度だけ、まこ――じゃない、美代子さんに会っておきたいんですけど」
「ウーム、それは難しいでしょうな。彼女は尊師のことが、その……」
金色夜叉さんにそう言われて、今さらの事実に気づいて愕然としてしまう。
まことさんは、金輪際先生のことをそれほど好いていなかった。
むしろ、憎んでいたのかもしれない。
じゃあ無理だ。物語の最後まで、彼女に会うことができない。
まことさんは情熱を失ったぼくではなく、創作に期待を抱く若かりしぼくを選ぶ。
今の自分は、ヒロインに選ばれる資格を持ちえていないのだから。
「ようやくわかりましたよ。世界を滅ぼしたいとまで、願ってしまう気持ちが」