7-2:文豪の声を聴け(2)
文字数 2,140文字
一日中歩きまわっていたから足が棒のようになっているし、途中でスマホの電池残量がなくなってしまったので、危うく伊香保で迷子になるところだった。
とりあえずスマホに充電ケーブルをぶっさしたあと、今日の取材を振り返る。
結論から言うと、骨折り損のくたびれ儲けというやつである。
夢の中で泊まった欧山概念ゆかりの旅館はそもそも実在すらしていなかったし、周辺の観光スポットをめぐりつつ受けつけや係員のひとにたずねてまわったのだが、その返答は一様にして芳しくなかった。
誰も彼もきょとんとした表情を浮かべて、
「欧山概念ですか。ちょっと聞いたことがないですね。え、一年前には記念館があったのですか」
「いやー、お力になれず申しわけありません。徳富蘆花の記念館にほぼ同時代の資料がありますので、そちらのほうに足を運んでみるというのはいかがでしょう」
「竹久夢二美術館ならわかりますけどね。そのオウヤマという人も芸術家さんでしょ?」
などなど、伊香保の人々は欧山概念そのものをご存知なかったらしい。
だとしたら建物ごと取り壊されてしまうのも納得だ。
「っても別に不思議な話でもないんだよな。ぼくにとっては忘れることのできない存在になっちゃったけど、現実の欧山概念は文豪って呼ばれるほど知名度は高くないわけだし」
むしろ、かぎりなくマニアックな作家というべきだ。
なにせ著作は化生賛歌のみ。ぼくがその名を知った当時でさえ、作品よりも謎めいた経歴や美代子とのロマンスばかりが、取りざたされているような印象だった。
現実というのは残酷だ。魂をこめて書きあげた小説だとしても、商品として結果を残さないかぎりは埋没し、最初から出版されていなかったかのように扱われる。
ベストセラーになったからといって安心はできない。時代が変わり、誰からも興味を持たれなくなったら、やはり人々の記憶から消えてしまう。
百年というのは、著作権すら失効させるほどの年月だ。よほどの傑作であろうとも当時の感動は色褪せ、読者を楽しませる物語しての役割もまた失っていくのだろう。
そこまで考えたところで祇園精舎の鐘が鳴ったので、ぼくはバイト代で新調したばかりのノートPCを開いて絶対小説のPVをチェックする。
多少なりとも読まれていれば暗澹とした気分を払拭できただろうけど、やはり虚無は虚無のまま。
ついにはなにもかもが嫌になり、発作的に叫び声をあげてしまう。
「うわあああああ!! ダメだ!! こんなことやっていられるか!! ぼくなんてミドリムシ以下の――」
「……どうしたの? 大丈夫?」
「あ、ごめん。もうちょい静かにしますね」
ソファでジタバタしていたらカーチャンが心配そうに様子を見にきたので、ぼくは慌てて姿勢を正す。実家暮らしのほうが生活は安定するとはいえ、気を遣う機会も増えるのが悩みどころである。
しかし現地での取材が空振りした以上、あとはネットで欧山概念について調べて、なんらかのインスピレーションをひねりだすほかない。
そう思い、ぼくはウィキペディアを開く。
「あれ? おかしいな」
欧山概念の項目が、どこにも存在していなかった。
夢から覚めた直後に検索した覚えがあるし、一年前は間違いなく閲覧できたはずなのに。
しかし続けて検索してみたところ、ヒットしたページのほとんどがリンク切れ。
ようやく閲覧できるサイトを見つけても、名前がちょこっと出ている程度という肩すかしっぷり。
結局【欧山概念】で検索して出てきた候補のうち、もっとも情報量が多いのは絶対小説――つまりぼくがWebに投稿した二次創作という皮肉な結果だけが残る。
「通販サイトのほうはどうだろ。げ、やっぱり化生賛歌は絶版か。一応プレ値で買えたみたいだけど今は在庫切れだな……。そういえば、ぼくが持っていたやつはどうしたっけ」
夢の中だと僕様ちゃん先生に譲ってもらったけど、実際はブックオフで買っている。
とはいえ思い入れ自体はあるわけだから、引っ越しのときにも処分しなかったはずだ。
しかし嫌な予感がして自分の部屋を漁ってみると、まとめて梱包したほかの本ごと行方不明になっていた。
困ったな……。今となっては入手困難なエロ同人誌も入れておいたのに。
いや、そうじゃなくて。
あんな奇妙な夢を見て、欧山概念を題材にして小説まで書いたというのに、肝心の著作が手元にないというのはよろしくない。
まことさんがもし隣にいたら、小一時間くらい説教されるレベルの失態だ。
と、ぼくはふと彼女の不在を実感し、それが数ヶ月ぶりであることに気づいて愕然とする。夢から覚めた直後に感じたあの耐えがたい喪失感ですら、たかだか一年で感傷的な思い出になってしまう。
だとしたら百年という歳月は、ありとあらゆるものを風化させるには十分だ。
欧山概念はこのまま、忘れさられていくのだろうか。
泡沫の夢のように。この世から。
ぼく自身の記憶でさえも――例外ではなく。