1-4:キヒッ! ヒッヒッ! ウェヒヒィ!
文字数 5,924文字
約束の午後二時より三十分ほど早く到着したぼくは、腹ごしらえをしておこうとフィレオフィッシュセットを注文した。
ナイルパーチのふよふよした食感を味わいつつ頭によぎったのは、
だって話が出来すぎているではないか。
密室ではないにせよ、閉ざされた空間で煙のように消えたいわくつきの原稿。すみやかに問題を解決せよという外部からの圧力。美人大学生からの誘い――ぼくが行動しなければならない動機が用意されているうえに、色香の漂うニンジンが鼻先にぶらさがっているのである。
ここらで金輪際先生がドッキリ大成功のプラカードを掲げてやってきてひとこと、
「どうもー。ナタデココ☆らぶげっちゅですー」
と、裏声で言いながらご登場。
もしそうだったらマックのトレイで彼をぶん殴るだろう。
……しかし考えれば考えるほど、ありえそうな話に思えてくる。
なんだよナタデココ☆らぶげっちゅって。そんな頭の悪そうなハンドルネームがあるか。
「あのー、もしかして
「ひゃんっ!」
びっくりして女の子みたいな悲鳴がでた。
ラノベ作家は話しかけられることに慣れていない。
見ればぼくの横に天使が舞い降りていた。
「君は……ナタデココらぶげっちゅさん?」
「はい。ナタデココ
どうやら☆を発音するのが正しいようだ。
いや、そんなことはどうでもよく……美人女子大生が実在していたことに、ぼくはただただ驚いた。
SNSのアイコンではわからなかった粗でもあるかと思いきや、そんなものは一切なく、どころか縮小された画像では表現しきれなかった愛くるしさがある。よもやこれがロック様の遺伝子を十倍に希釈したクローンのような男の実妹なのか。
「向かいに座ってよろしいですか」
「ど、どうぞどうぞ!!」
彼女は白いスカートの裾を押さえながらソファに着席する。
淡いグリーンのサマーニットを合わせていて清楚な雰囲気だし、仕草からも育ちのよさがあらわれていた。
彼女はにっこりと笑いながらぼくに手をさしだして、
「本名はまことなのでそう呼んでください。ハンドルネームだと恥ずかしいので」
「あ、はい。まことさんですね。よろしく」
と握手をかわす。一瞬で惚れた。たぶんこのまま結婚するのだと思う。
いきなり本題に入ると尊い時間が一瞬にして過ぎてしまう気がしたので、ぼくはひとまず当たりさわりのない話題から入ることに決めた。
「ナタデココ好きなんですか?」
「いえ、別にそれほどでも」
じゃあなんでそのハンドルネームなのか。
しかし美人すぎて気安くツッコミを入れることもできない。
手に汗がにじんでくる。
「……変わったハンドルネームをつけるとオフで会うとき困りますよね。実はぼくも投稿時代は別のペンネームだったんですけど、編集さんに『縁起が悪いので変えましょう』と言われて本名の兎谷に変えたんですよ」
「そうなんですか。ちなみに当時はどんなペンネームだったんです?」
「えーと、なんだっけな。あはは、緊張しすぎて忘れちゃいました」
「変なの」
まことさんはそう言ってクスクスと笑う。そろそろホテルに誘うべきだろうか。
すると彼女はちょっと困ったような顔で、
「SNSで話したときみたいな感じで大丈夫ですよ。おちついてください」
「そ、そうですね。ひさしぶりに女の子と話したもので」
ぼくは言わないほうがいいことを告白しつつ、コーラをズルズルとすする。そこで彼女が使っているトートバッグにチュパカブラのイラストが書かれていることに気づき、
「好きなんですか? オカルト」
「あ、そっちはわりと」
と言って頬をピンクに染める。よし、今のはいい感じ。
「なので
「ああ、だから探してみたいという」
「それと三百万ですね。見つければ兄から一割くらいもらえるんじゃないかと」
なるほど。三十万だって大金。女子大生ならなおさらだ。
好奇心とお金。能動的になるには十分な動機である。
しかし残念ながら手がかりは一つもなく、原稿を探すのは困難をきわめるだろう。
「これからどうするとかあるんですかね。ええと、具体的な策です」
「知りあいに占いをやっている方がいるので」
まことさんは屈託のない笑みを浮かべ、ろくろをまわすような仕草をする。
いや、ちがう。これは水晶を使う真似だ。
つまり占いで探すというわけか。さてはバカなんだな、この子。
しかしぼくはポンと手を叩き、こう言った。
「なるほど。オカルトにはオカルトをぶつけるわけですね」
◇
まことさんの知り合いだという占い師は高田馬場にいるというので、彼女の言葉に流されるままそちらに向かう。
寂れたビルの間をすり抜けるようにしてお店にたどりつくと、占いの館というよりは雑貨屋のような雰囲気であった。とにかく得体の知れない調度品や絵画がところ狭しと飾られていて、ほのかにハーブ系の香りが漂っている。
「ごめんくださーい」
と、ぼくは奥に向かってひかえめに声をかける。
しかし返ってきたのはお客を迎える挨拶ではなく、
「……キヒッ! ヒッヒッ! ウェヒヒィ!」
およそ正気の人間のものとは思えぬ奇声であった。
隣のまことさんが苦笑いを浮かべながら呟く。
「今日はだいぶキマってますね、僕様ちゃん先生」
「完全にヤバイお店じゃないですかこれ」
この奇声の主こそが件の占い師、僕様ちゃん? 先生のようで、道中でまことさんに聞いた話によるとかなりの変人だという。
おかげでぼくは早くも帰りたくなってきた。
「生の……生の肉……そして肝ッ! やはり生きたまま人を喰らうのは最高よのう。ほおれ痛いか、苦しいか。しかし貴様は死ぬことなく、この責め苦は永劫に続くのじゃ」
「お取りこみ中すみません。事前にお約束していましたよね」
「あ、まこちゃん。いらっしゃーい」
中に入っていくと金髪のお姉さんがお肉を焼いていた。
どうやら占いの館は彼女の住居でもあるらしく、キッチンで遅めの昼食を作っていたところにお邪魔してしまった雰囲気。
僕様ちゃん先生らしき派手なお姉さんは、初対面のぼくにこう言った。
「一人暮らしが長いとな、独り言が増えるのだ」
「ぼくにもわかります。でもさすがに料理しながら魔女ごっこはやりませんね」
「ぬう。ノリが悪いのう」
と、残念そうに呟く。とにかくキャラの濃い人だ。
「しかしまこちゃん、仕事の依頼のときは裏口から入ってこないでほしいな」
「すみません、配慮がたりませんでした。でも今日はお休みだと聞いていたので、表から入ろうとすると鍵が閉まっているかなあと思いまして」
「ん。だったかもしれん」
やけに生活感の漂っていると思ったら……ぼくらが裏の居住スペースから入っただけで、表のほうはちゃんとした占いの館になっているのだろう。
そんなわけで僕様ちゃん先生が昼食を終えるのを待ってから、テーブルとキッチンのあったエリアを横切って店側に進み、正式に占いの依頼をすることになった。
「兎谷くんだったか、大体の事情はまこちゃんから聞いておるぞ。欧山の原稿とはまた厄介なものに手を出したのう。よほど運が悪いと見える」
「わりと有名なオカルトなんですか、あれ」
「そうじゃなあ。作家を長く続けていればそのうち嫌でも耳にすることになるな」
僕様ちゃんはそう言ってクククと笑う。
さきほどまではジェラートピケのふわふわピンクルームウェアだったのに、今の彼女はいかにも占い師っぽい紫のサテンローブに着替えている。
しかし髪は金髪の姫カット。
サブカル女子がコスプレしているような違和感があった。
「なにせ文豪になれる力じゃ。お前のようにうだつのあがらない作家であれば、喉から手が出るほど欲しがるであろう。そのうえ昔から出版業界というのは非常識なものだからな、売れるためならオカルトに手を出すものもすくなくはない」
「ええ……。ほんとですかそれ。まともな神経をしていたら、あんな話は信じないと思うんですけど」
「作家にまともな人間なんぞおらん。どいつもこいつも最悪のオタクじゃ」
これまたひどい暴言である。
しかし金輪際先生の顔が思い浮かんでしまってとっさに否定できなかった。
ぼくはいまいち信用のおけない目の前の占い師に、
「で、実際のところ占えるんですか。紛失した原稿の行方」
「ふふん、僕様ちゃんにかかれば余裕じゃろ」
得意げに胸をはる彼女に疑わしげな視線を注いでいたからか、隣のまことさんが「先生はガチですよ」とささやく。ガチで危ない人だというのはぼくにもわかる。
「僕様ちゃん先生は政治家や警察の偉い人も頼るほどの腕前ですし、数年前に占いの本でベストセラーを飛ばしています。わたしも以前お兄ちゃんの居場所を占ってもらったことがあるんですけど、そのときも見事に当てましたので」
「そういえば金輪際先生、失踪癖もあるらしいなあ……」
つくづく厄介なおっさんである。
それはさておき、まことさんが嘘を言っているとは思えないし、脇の戸棚に飾られている僕様ちゃん先生が出した占いの本(ペンネームは別の名義)も、コンビニで売っていたのを見かけた覚えがあった。
出版業界に詳しそうな雰囲気なのもそれが理由だろう。
いまだ半信半疑ではあるものの、とりあえず占ってもらうぶんには損はないか。
ところが僕様ちゃん先生は、
「失せものが欧山の原稿となれば、それなりの料金をいただかなければならん。お友だち価格ですこし割引して三十万にしとこう」
「うわ、そんなにするんですか。ぼくらにはちょっと厳しいですよ」
「絶対小説にかかわると厄介だからな。欧山概念には熱狂的なファンが多く、作家以外の連中も原稿を狙っておるのだぞ。この身を危険にさらす対価としては妥当な金額じゃろ。のう、まこちゃん?」
僕様ちゃん先生の言葉に、まことさんは「でしょうね」と困ったようにうなずく。
この人たちはなにを言っているのやら。
原稿の行方を占うくらいで殺されるわけでもあるまいに。
いずれにせよ、そんな大金は出せない。まことさんにいたっては原稿の一割も狙っているわけで、三十万を得るために三十万を支払うのは無理がある。ぼくはなんとか料金をまけてもらえないかと、僕様ちゃん先生を説得しようと考える。
しかし口を開くよりも先に、彼女のほうからこんな提案があった。
「ただし条件次第ではタダで占ってやらんこともない」
「本当ですか? ぼくとしてもありがたいです」
当たると信じているわけではないものの、占ってもらえなければわざわざここに来た意味がないのも事実である。
すると彼女は唐突に自分語りをはじめた。
「今ではこうして店を構えておるが、僕様ちゃんは商売のために占いをはじめたわけではない。そもそもの動機は兎谷くん、お前と似たようなものかもしれぬ」
「ぼくと? ラノベ作家とってことですか?」
「占いは人を見る。顧客から話を聞き、相手の人生を見る。そして個々の物語が円滑に進むよう道筋を定めるのじゃ」
「はあ……。どんな人間であれ、その生涯をまとめれば一冊の本となる、という言葉もありますね」
「左様。他人の歩んできた物語に触れ、ページの先に待つ展開を予想する。それが占い師という職業。いわば人という名の本を読みとくプロフェッショナルなのじゃよ」
多くの場合、読書好きをこじらせた結果として小説を書きはじめる。
つまり読者のなれの果てこそ作家なのだ。
であるなら彼女は確かに、ぼくらに近いのかもしれない。
人生という名の
だから誰かの
「わざわざ興味のない本を手にとるやつがいるか? できれば面白そうな話が読みたいと思うじゃろ。僕様ちゃんとてそうだ、今のところ兎谷とかいう野郎にはなんの魅力も感じない」
「でもプロの作家さんですよ。わたしはけっこう楽しみましたけど」
「どうせクソラノベであろ。一度も耳にしたことのない名前だしの」
「……待ってくださいよ! 読んでないのに決めつけないでほしいですね。そりゃ売れてはいないかもしれませんけど、つまらないものを書いているつもりはないですから」
あまりの言われようだったので、さすがのぼくも声を荒げる。
僕様ちゃん先生はそれを見てニンマリと笑い、
「ほほう、言ったな。しかしこの歳になると中高生向けの本を読むのはしんどいからな、僕様ちゃんのために一本書き下ろしてもらおうかのう」
ぼくは言葉を失い、隣のまことさんを見る。
彼女はこちらに向けて可愛らしくウインクをしてから、
「つまりその原稿料で占ってくれるってことですよね、先生?」
「まあそんなところじゃの。文字数はいらん。ちょっとした短編で30万相当なら文句はないじゃろ。ただしつまらんかったら今の話はなし。……どうする、若造?」
例によっておかしな方向に話が進んでいる。
しかしこれでも作家の端くれ。ぼくにだってプライドはある。
だから僕様ちゃん先生を睨みつけながら、力強くうなずく。
「……そこまで言われたら引きさがれませんて」
「ふふふ、その気概やよし。僕様ちゃんも欧山作品のファンじゃからの、お前に書いてもらう短編のお題もかの文豪にゆかりのあるものにしよう」
彼女はそう言いながら、脇の戸棚にあった一冊の文庫を手渡してくる。
タイトルが判別できないほどにカバーはボロボロ、しかし開いてみると中の状態は悪くない。かなり読みこんでいるうえに、本そのものを大切にしているのがわかる。
目次にはこう書いてあった――
僕様ちゃんは挑戦的な目つきで言った。
「君なりにその物語を
それはまさしく、プロの作家に言い渡されるべき戯れであった。