6-7:無茶言わないでくれ。ぼくはスーパーヒーローじゃないんだぞ。
文字数 5,188文字
工場の内部は混乱の渦に包まれていた。
サイレンや銃声、爆発物らしき破裂音、追いつめられた作業員の怒号や悲鳴、さらには天井近くに設置されたスピーカーから『不審者が侵入しました。落ちついて避難してください』という逆に不安を煽るような場内アナウンスが響いてくる。
パニック映画のワンシーンかと見まごうほどの阿鼻叫喚の中、ぼくらは敷地内の奥に進んでいこうとする。
しかし困ったことに、クラスタの私設部隊に襲撃させてBANCY社の工場内部を混乱させるという目論見は、立案者である僕様ちゃん先生の想定していた以上にうまくいってしまったようだ。
避難中の作業員たちによって狭い通路に人の波ができ、コミケの列に迷いこんだときのように身動きがとれない。
あれよあれよという間に流され、気がついたときには自分たちがどこにいるのかさえ、わからなくなっていた。
ぼくらは人影のなくなった通路の端で、地べたにしゃがみこんで一息つく。
「とりあえず銃声はしなくなったわね。クラスタは先に奥へ向かっちゃったのかしら」
「かもしれないね。とりあえず地図で現在地を確認して、ぼくらも金輪際先生を探しにいこう。ええと……立ち入り禁止区画はどっちの方向だっけなあ」
作業着の下に着こんでおいたベストをまさぐり、敷地内の地図を出す。
潜入中は両手があいていたほうがいいと思って、ポケットがいっぱいついているアウトドア仕様のやつを用意しておいたのだ。
まことさんもプロの潜入工作員っぽいぼくの姿に感心したのか、
「今日の兎谷くん、なんだかたくましいわね。で、道はわかりそう?」
「ふふふ、困ったな。今開いてる地図の向きが合っているのかどうかさえわかんないや。実はぼく、これでけっこう方向音痴なんだよね。新宿でもたまに迷うときあるし」
「わたしだってそんなに自信ないわよ。あとはもう僕様ちゃん先生に頼るしかないのかな」
「あれ……? そういえば……」
ぼくらはキョロキョロと周囲を確認し、ようやく彼女とはぐれたことに気づいた。
まずい。このメンツの中で一番、場数を踏んでいそうだったのに。
「どうしましょ。心配だけど先に進んだほうがいいのかしら。僕様ちゃん先生ならひとりでもうまく立ちまわるでしょうし、奥に向かえば自然と合流できるかも」
「むしろぼくらのほうがヤバいかな。さっきからずっと地図とにらめっこしているのだけど、いまだに現在地がどこなのかわかんないから」
「だけどここでじっとしているわけにもいかないし、直感のおもむくままに進みましょ」
嫌な流れだ。
これ絶対、余計に迷うやつじゃん。
で、一時間後。
ぼくらは案の定、迷路のように入り組んだ工場の中をさまよっていた。
「なんだか建物の中が暗くなってきたような……。さっきから通路が微妙に傾斜している気がするし、もしかして工場の地下に進んでないかぼくら」
「そういえば、窓を見かけなくなったわね。でもそれなら敷地内の奥に向かっていることは間違いないんじゃないの。立ち入り禁止区画にもきっと近づいているはずよ」
ぼくはもう一度、やたらとわかりにくい地図を見る。
確証はないものの、彼女の言うとおり正しい道順を進んでいるような気がする。
しかし今いるBANCY社の工場地帯は似たような建物が連なった構造のため、実はまったく別方向だった、というオチも十分に考えられるはずだ。
普通に考えれば通路に番号とか振ってあるはずなんだけど。どこかに表示されていないだろうか。
そう思ってあちこちを見まわしていると、ぼくが不安でそわそわしていると勘違いしたのだろう。まことさんが場違いに明るい声でこう言ってくる。
「今の兎谷くんなら大丈夫よ。絶対に先生のところまでたどりつけるから」
「いや、実際のところ怪しいと思うけど……。君はなんでか気楽に構えているけど、けっこう深刻な状況でしょ今。さんざん迷ったすえにBANCY社の人間やクラスタの私設部隊に捕まったら、それこそまた拉致されかねないわけだし」
「それはそうなんだけどね。でもわたし、兎谷くんは導かれている気がするの」
「誰に? 金輪際先生? それとも――」
欧山概念。
そう言いかけたところで、ぼくは苦い表情を浮かべる。
「冗談はよしてくれよ。百歩譲ってすべての問題に欧山概念が絡んでいたとしても、さすがにぼくの行動を左右することなんてできるはずがない」
「嘘よ。兎谷くんだって本当は不安に感じているくせに」
ぼくはとっさに反論できなかった。
欧山概念の魂に操られて、偽勇者の再生譚を書いたことがある以上、知らず知らずのうちにかの文豪が望むような行動をしているのではないかという疑念は、ぬぐい去ることはできない。
絶対小説の呪いを解くためにBANCY社に侵入しているこの状況ですら、かの文豪が定めた筋書きに従っているかもしれないのだ。
ただでさえノイローゼになってしまいそうなのに、まことさんはいつもの悪い癖――オカルト脳のスイッチが入ってしまったのか、ぼくにさらなる追い打ちをかけてくる。
「それに絶対小説の力が周囲に影響を与えるという説も、わたしはいまだに捨てきれていないの。もしそうならなおのこと、兎谷くんは先生のところまで導かれるはずだけど」
「それこそ悪い冗談じゃないか。ほかの文豪たちはそんな力に目覚めていないだろうし、ぼくや金輪際先生の小説のすべてが化けて出てきたわけじゃない。あくまでBANCY社を利用して実現できる範囲内だ。君だって前にそう言っていただろうに。思い描いた妄想を具現化するなんて、もしそんな力があったら欧山概念は神さまになっちまう。じゃあそいつが乗り移ったぼくはなんだ。ジーザスクライスト・スーパースターか?」
まことさんはなにも言わなかった。
ぼくの言葉を肯定したのか否定したのか、それさえも今は判別ができない。
ビオトープにおいて欧山概念はまさしく神であり、兎谷三為は聖者であり、まことさんは聖者に付き従う巫女だった。
あのときの関係がこの後におよんでぶり返してきたみたいで、せっかく駆け落ちまでしたのに彼女が今なおクラスタの理念に囚われていることに気づいて、無性にやるせなくなってくる。
むきになって、悲しくて、やけくそになって、ぼくは言った。
「じゃあこうしよう。このままなにも考えずに進んで、それでもし目的地にたどりつくようなら、君のいう欧山概念全能説をちょいとばかし信じてみるよ」
「……ごめんね。でもわたし、向きあうべきだと思うの」
あからさまにイライラしているぼくを見て、まことさんは泣きそうな顔でうつむいた。
だからすこし冷静になって「こっちこそ、ごめん」と返す。
こうしてふたり気まずい空気のまま、しばし無言で通路を進む。
そうこうしているうちに内部の様子が変わっていき、事前の情報にあったような、軍事施設さながらの物々しい雰囲気になっていく。
ブーンという聞き慣れない音が響いてきたのでとっさに物陰に身を隠すと、ライトノベルの挿絵で見たことのある小型の飛行物体が通りすぎていった。
(あれはグラフニールの無人偵察機、じゃなくてBANCY社のAI搭載自立型ドローンか。まだ開発中って話だったけど試作品なのかな)
(工場内の警備を担当させてテスト運用しているのかも。だとしたらわたしたちが思っている以上に開発は進んでいるみたいね)
小声で囁きあいながら、ぼくはふと『まるで本物のスパイ同士の会話だ』と考える。
無意識のうちになりきりプレイめいたやりとりをしているという事実は、欧山概念に操られているのではないかという疑念を、より深々と心に刻みつけてくるようだ。
さらに通路をさきに進むと【この先関係者以外立ち入り禁止】という表示があり、ぼくは自分の負けを認めることしかできなくなった。
「観念するしかないみたいだね。欧山概念は神で、ぼくは聖者だ。そうなると金輪際先生は何者になるのかな。もうひとりの聖者? それとも悪魔?」
「わからない。だけど欧山概念の手のひらのうえにいるって考えておいたほうが、足元をすくわれずにすむと思うの。気分が悪いってのはまあ、置いておいて」
「あれ、思っていたより現実的な考えだな……。怒ったり茶化したりして悪かったよ」
ぼくは素直に謝ることにした。
まことさんのほうがよっぽど冷静に、現状を把握していたように思えたからだ。
しかし見直した直後、彼女はまたもやトンデモ理論を展開する。
「それにもし絶対小説の力が周囲に――つまり現実に影響を与えるとしたら、欧山概念に操られるだけじゃなくて、兎谷くんが望む方向に物事を動かすことができるんじゃないかな。そういうふうに意識してみると、案外なにもかもうまくいったりするかもしれないわね」
「またむちゃくちゃなことを言うなあ。それじゃまるで、夢の中にいるみたいだ」
「もしかして本当に夢を見ているのかもね、わたしたち」
そう言われて、河童の楽園のことを思いだす。
あのときの冒険は泡沫の幻だった。
まことさんの言うように、今この状況も現実ではないのだとしたら……ぼくはいったいいつから夢を見ていることになるのだろう?
心に抱いた疑念がどんどんとあらぬほうに向かっていくのを自覚して、一度冷静になろうと首を大きく横に振る。そして隣にいる彼女に言った。
「先に進もう。これが現実であろうとそうでなかろうと、今はそうするしかないはずだ」
そしてぼくらは意を決して、立ち入り禁止区画の奥へ足を踏みいれる。
そこはなにかの部品の製造ラインらしく、今までの狭い通路と比べるとスペースが広く、内部の様相はどこぞの鉄工所、あるいは自動車の部品工場のようだった。
作業員たちはすでに避難しているため、周囲はもぬけの殻。画像加工ソフトで雑に拡大したようなばかでかいコンベアが、鈍い光を放ちながら静かに横たわっている。
と、ぼくはそこで違和感を抱く。
隣のまことさんも同じことを考えたようだ。
「おかしいわね。BANCY社ってIT企業のはずなのに、この区画だけまるでナントカ重工って雰囲気じゃない。AIドローンを製造しているにしても巨大すぎるわ」
「実はまだ発表していないだけで、もっと大がかりな機械を作っているとか」
「たとえば? 業務用のお掃除ロボ? それともオートドライブ機能搭載の車かしら」
まことさんにそう言われて、ビオトープを抜けだすときに使ったボートにBANCY社のAIが搭載されていたことを思いだす。
あれはタッチパネルとかの操作周りだけで本体は別会社だったけど、次のステップとして、すべて自社製品でまとめた車やボートを作ろうとしている可能性は十分にありえる。
もしそうなら、BANCY社はもはやIT企業の枠組みを超えている。件のミサイル誤射の主犯と疑われているのも、あるいはこの辺りに理由があるのかもしれなかった。
ところが数分後。ぼくは自分の予想が甘かったことを痛感する。
まことさんと並んでだだっ広い区画を進んでいると、脇道からいきなり軽トラくらいはありそうな巨大なシルエットが横切ったのだ。
ふたりとも足を止め、突如として現れた謎の物体をまじまじと見つめる。
SF映画に登場するような四脚メカ。
最初はうっかりCGかと思ってしまったほど、現実離れしたデザインだった。
「嘘だろ……。あれはまさか……」
「やっぱり夢を見ているのかしら。今の、魔神将機パンデモニウムよね」
グラフニールの設定だと全長二十メートルだから、正確にはそのミニチュア版だ。
雑魚メカそっくりのAIドローンだけではなく、まさかパンデモニウムまで現実に化けて出てくるとは思わなかった。
ありえないものを見にして呆然としていると、ガシャーンガシャーンと床を打ち鳴らしながら、パンデモニウムもどきがゆっくりとこちらに戻ってくる。
そしていかにも悪役メカっぽい単眼がぼうっと赤い光を放ち、機械音声でこう告げた。
『シンニュウシャハッケン。キミツホジノタメ、キョウセイテキニハイジョシマス』
わお、いっそ清々しいほど典型的な警備メカのセリフだ。
暗がりに浮かびあがるバケモノじみた姿をぽけっと見つめていると、ぼくの背中にすすっと隠れたまことさんがこんなことを問いかけてくる。
「ねえ、絶対小説の力を使ってどうにかできない?」
無茶言わないでくれ。
ぼくはスーパーヒーローじゃないんだぞ。