4-6:ぼくもうダメかも。たぶん憑依されてますよこれ。
文字数 4,303文字
「そうやってふたりで並んでいると、まるで親子みたいね」
魔王の居城に続く狭い洞窟の中を歩いている途中。
僧侶マリアにそう言われて、ライルとクロフォードは顔を見合わせる。
「でもぼくは十六歳ですし、クロフォードさんだってまだ三十は過ぎていないのですから、父のようだと言っては失礼ですよ。せめて兄弟とか」
「まあ、兄というにはすこし歳が離れすぎているからな。やはり我々は師と弟子という立場が一番しっくり来るのだろう。別に父と呼ばれても、とくに悪い気はしないが」
「となるとマリアが母じゃろうか。フホホホ」
「ちょっと! 急に変なことを言わないでよ、ブラン爺!!」
最後尾にいる魔法使いブランに茶化されて、マリアの顔がまっかに染まる。
みんなのお姉さんという雰囲気の彼女も、エルフ族の長老だという彼にだけはいつもしてやられてしまうのだ。
と、そこで先頭にいた狩人のロイが、抑揚のない声で口を挟んでくる。
「……待て。近くに魔物がいる」
「え? そんな雰囲気は全然しませんけど」
ライルはそう言って、周囲をキョロキョロと見まわす。
しかしほかの仲間たちはそのときすでに、武器を構えていた。卓越した索敵技能を持つロイがそう言っているのだから、姿は見えずとも必ず魔物は存在するのである。
「注意しろ、ライル。白騎士である私ですら気づかぬほどの相手だ。かなりの強敵にちがいない」
「ほとんど喋らないし、普段はパーティーにいることすら忘れちゃいそうだけど、こういうときばかりはロイのありがたみを実感するわよね」
「ぬ。わしも今、魔物の邪悪な気配を感じたぞ。こりゃオーク……いや、もっとでかいな。トロルか、あるいはさらにその上の――」
ブランが目を閉じ、いまだ姿の見えぬ敵が放つ魔力を、逆から辿ろうと試みる。
一同は武器を構えたまま待つものの、しかしいつになっても次の言葉は返ってこない。
しびれを切らしたマリアが後ろを振り返って、
「で、結局どの魔物なわけよ、ブラン爺。……え?」
うす暗い洞窟に、すっとんきょうな彼女の声が響く。
尋常でないものを感じた一同がばっと最後尾に目を向けると、ブランは武器の構えを解いて地べたにしゃがみこんでいた。
ライルは最初、魔物が潜んでいるというのに彼はなぜ休んでいるのだろうと、小さく首をかしげただけだった。
しかしそのあと、なにかがおかしいことに気づく。
ブラン爺の、首がなかった。
「――うわああああ!!!」
「落ちつけ、ライル! 敵に位置を気取られるぞ!!」
「ロイ、早く魔物を見つけて!! 素早いやつなら、わたしが鈍化の術をかけるから!!」
「……任せろ」
混乱の最中、洞窟という暗所での戦いに慣れたロイだけは、冷静だった。
彼は獲物を探す豹のように四つん這いになると、暗がりの中にふっと消えていく。
ブランの死すら受け入れきれていなかったライルも、頼もしい狩人の背中を見て、わずかに冷静さを取り戻す。
自分の目の前に――血に染まった腕がぽとりと落ちてくるまでは。
「ロ、ロイさんが……」
「くそっ!! ライル、マリア!! この場は一旦退くぞ!!」
「あ……」
クロフォードが叫んだ直後、マリアのか細い声が漏れる。
もはや目を向けることすらできなかったが、ライルにはなにが起きたのかわかってしまった。
ぐちゃっ……ぐちゃっ……という、獣が獲物を咀嚼するような音とともに、姉のように優しかった女性の苦悶に満ちた叫びが、どこからともなく響いてくる。
そして――。
『我は魔王軍四天王の末席、宵闇のガルディオス。どれほどの精鋭がやってくるのかと指折り数えて待っていたというのに、これでは狩りの愉しみすら味わえぬではないか』
おどろおどろしい声が明瞭に聞こえてくるというのに、一向に魔物の姿を見つけることができない。
自然と歯がガタガタと震え、下履きの内からじわっと生暖かい感触が広がり、革靴の中にまで垂れてくる。
仲間が死んだことのショックよりも、自分も同じ目にあうかもしれないことがただ恐ろしくて……クロフォードに頬を打たれるまで、ライルは正気を失いかけていた。
「しっかりしろ!! こうしている今も、ネオノベルの連中はお前のすぐそばまで迫っているのだぞ!!」
そうだ、早く逃げなくては。
闇の出版業界人たちは、ライルたちが考えていたよりもずっと恐ろしい存在なのだから。
――――――――
「なんだこりゃ。こんな文章、書いた覚えはないぞ……」
ぼくはキーボードを打つ手をとめ、眉をひそめる。
小説を書いていると、キャラクターが勝手に動きだしたように、作者自身ですら考えていなかったような台詞が飛びだしてくることがある。
といっても頭の端っこに眠っていたアイディアやイメージがなにかの拍子でぽこっと出てくるだけなので別に不思議なことでもないし、あとで読み返したら頭を抱えてしまうような駄文だったりすることも珍しくはないから、必ずしもいいこととはかぎらない。
今回の場合は間違いなく後者だろう。休憩中にうっかり
……てかネオノベルって。いきなり世界観がブレすぎだろうに。
ぼくはふうと息を吐いたあと、書いたばかりの台詞を削除すると、再び気を取り直してキーボードを叩きはじめる。
――――――――
『ククク……驚いているな。貴様らがのうのうと暮らしている間、我々は社会のいたるところに手下を潜りこませ、密かに根を張り続けていた。そう、すべては魔王復活のために』
宵闇のガルディオスの哄笑が、うす暗い洞窟のどこかから聞こえてくる。
ライルがいくら目をこらしても、敵の位置がわからない。
じっと耳をすましたところで、近くにいるのか遠くにいるのかすら判別できない。
隣で剣を構えるクロフォードが、姿の見えぬ敵に向けて忌々しげに言った。
「つまり人間たちと同じように、魔物たちも入念に準備を重ねていたということか……」
『もしかすると貴様の友人の中にも、我らの仲間はいるかもしれないぞ? 王城に住む貴族の従者のひとりとして、世界各地を旅する商人のひとりとして、またあるときはセキュリティ会社の警備員や、大手出版社の雑用バイトとして、ネオノベルの連中はまぎれこんでいるのだから』
「そ、そんな……。じゃあNM文庫の中にも……」
『むろんのこと。
――――――――
「ええ……。なんで……??」
一旦は削除したのに、気がつけば、またもや変な文章を書いていた。
ぼくの額にじわりと、嫌な汗がにじんでくる。
どう考えてもおかしい。
これは絶対、頭に浮かんだアイディアやイメージなどではない。
でも、だとすれば……なんなのか。
恐怖にかられたぼくは、再び書いたばかりの文章を削除しようとする。
しかし金縛りにあったように身体が急に動かなくなり、指だけがカタカタとキーボードを打ちこんでいく。ノートPCのモニターに記述されていく物語を、作者であるはずのぼくはただ眺めることしかできなかった。
――――――――
闇の出版業界人たちの恐ろしさを理解して、ライルは地べたにへたりこむ。
隣を見れば、あれほど頼りになったクロフォードの顔にすら、動揺の色が浮かんでいる。
彼は絞りだすような声で、こう呟いた。
「……うかつにも兎谷は、鈴丘氏に宛てたメールに『温泉に行ってくる』と書いた。編集部の雑用バイトならば、彼からその情報を聞きだすのはそう難しいことではないだろう」
「ネオノベルの連中がそこまで知れば、欧山概念ゆかりの地に向かったのだと容易に気づいてしまいます。もしかすると今ごろ、この宿のすぐそばまで来ているかもしれません」
だとすれば、もはや時間の猶予はない。
あと数分もしないうちに、荒事に慣れた輩が部屋に押し寄せてくるだろう。
ライルたちが途方に暮れる中――洞窟全体に、ガルディオスの声が響き渡る。
『理解せよ。ひとたびネオノベルの手に落ちれば、兎谷の未来は潰えるのだと』
もしそうなれば、この世界は永劫の闇の中に葬り去られてしまう。
ライルは願った。
たとえ己のいく道に、幾多の苦難が待ち受けていたとしても。
この物語が、最後まで紡がれることを。
――――――――
そこまで文字を打ちこむと、身体がようやく自由になった。
ぼくはすぐさま僕様ちゃんのところに駆け寄ると、布団でぐーすか寝ていた彼女の肩をぐらぐらと揺する。
「やばいやばいやばい!! やばいことがありました今!!!」
「ふああ……? なんじゃ、うんこでも漏らしたのか」
「そんなのじゃありません!! もっとやばいことです!!」
ぼくの鬼気迫る様子を見て、寝ぼけ眼だった僕様ちゃん先生もスッと真剣な表情になる。
そして彼女は布団から這いでると、ノートPCの原稿に目を通した。
「指が勝手に動いて、これを書いただと? マジか」
「マジもマジです。ぼくもうダメかも。たぶん憑依されてますよこれ」
でも、誰に? 欧山概念に? それとも
もはやなにを怖がればいいのかすら、よくわからなくなってきた。
おろおろするぼくを一瞥すると、僕様ちゃん先生は冷静にモニターに映しだされた文章を吟味する。
「ふむ。仮に怨霊の仕業だとしても、そう悪いものではなさそうじゃな。ざっと読んだ感じ僕様ちゃんたちに危機を伝えようとしておらぬか」
「でもこれ、本当なんですかね……。いや、鈴丘さんにメールを送ったのは確かなんですけど」
しかしそう言った直後、ドアの向こうから大勢の足音が響いてくる。
まさか原稿に書かれているように、あと数分もしないうちにネオノベルの連中が部屋に押し寄せてくるのだろうか。
切迫した状況の中、僕様ちゃん先生が困ったように呟く。
「……おい。逃げろと言われても、いったいどうすればいいのだ?」
ぼくは力なく首を横に振る。
残念ながら原稿をいくら読み返しても、それはどこにも書かれていなかった。