第440話 すれ違い

文字数 2,712文字


 宗像先生はああ言ってたけど……。
 ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。

 朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。
 しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。
 彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。

 上の空で、試験を受ける。
 天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。
 と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。

「おい。新宮! ちょっと来い」
 休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。
「なんですか……」
 かすれた声で答える。
「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」
「受けてますけど。何か問題でも?」
 俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。

「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」
「え……?」
「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」

 宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。
 英語、国語、現代社会。
 しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。

『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』

 自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。

「これを、俺が書いたんですか?」
「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」
「すみません……」

 いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。

  ※

 結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。
 俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。
 
 気がつけば、昼休みに入った。
 午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。
 あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。
 
 近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。

「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」
「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」
「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」

 褒めてないだろ……。
 でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。
 理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。

 みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。
 去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。
 入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。

 突然、教室の扉が勢いよく開いた。
 僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。

「おっはにょ~♪」
 アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。
 ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。
「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」
 と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。
 俺の専属絵師、トマトさんだ。

 こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。
 
「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」
 え……ウソでしょ?
 ここあがトマトさんと温泉旅行に。
「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」
「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」

 まさかの一泊旅行かよ。
 こいつら、もうヤッちゃったのかな?
 たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。

 俺だけが置いてかれたような、気がする……。

  ※

 両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。
 というか、たぶんだけど。視界に入っていない。
 ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。
 空気のような扱いだ。

 耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。
 別に意味はない。
 ただ、ひとりになりたかった。

 あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。
 嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。
 むしろ、喜ばしいことだと感じている。
 一応、ダチだから。

 それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。
 まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?

 廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。
 ふと窓を開けて、外の景色を眺める。
 目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。

 こんな中途半端な時間に、誰だろう?
 全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。
 しかし、この少年は違う。私服だ。

 ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。
 フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。

 気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。
 なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。
 試験だってのに、やる気がないやつだ。
 全くヤンキーという生き物は、理解できないな。
 単位が欲しいんじゃないのか?

 階段を上る音が聞こえてきた。
 きっと、先ほどのヤンキーだろう。
 二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。

 宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。
 ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?

 一人で妄想を膨らませていると。
 事務所から、叫び声が聞こえてきた。
 宗像先生の声だ。

「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」

 普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。
 それだけ、相手を引き留めたいのだろう。

 気になった俺は、事務所の方へと足を進める。
 すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。
 先ほどとは違い、フードを外している。
 だから横顔を、確認することが出来た。

 宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。
 小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。
 金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。
 前髪は左右に分けている。

 ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。
 あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。
 そんな……かけがえのない存在。

「み、ミハイル!?」

 やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。
 彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。
 その場から、走り去ってしまう。

「そんな……」

 小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。
 俺のせいだと、思ったから……。
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