第124話 プロレスごっこは内緒にしてあげよう

文字数 3,207文字

 俺はしばらくアンナの手を取り、泣いていた。
 それをアンナが見つめて優しく微笑む。
 彼女の方がキツいはずなのに、まるで俺の方が看病されているようだ。

「タッくん……」
 まだアンナの声は元気がない。
「どうした?」
「ちょっと寝てても……いいかな?」
 そう言うアンナはかなり無理していたようで息遣いが荒い。
 熱がまた出てきたのかもしれない。


 俺は「休んでくれ」と言い、彼女から手を離そうとした。
 だが、アンナが強く引き止める。
「タッくんがいいならこのままがいい……」
「わかった……安心しろ。このままアンナを見守っているから」
 俺は改めて彼女の手を両手で握りなおす。
 時折、親指でアンナの指を愛らしく触れる。

「わがまま言ってごめんね……」
 アンナはそう言うと、こと切れたかのように眠りに入った。
「ふぅ……」
 まだ安静にしておかないと、いけないのかもしれないな。


 自室の時計を見れば深夜の2時を迎えようとしていた。
 俺は静かにアンナの寝顔を見つめる。

 まだ苦しそうで、「ハァハァ」と息が荒く、頬も赤い。
 その時、部屋の扉がノックされた。
 俺が答える前にドアは開き、暗い部屋の中に現れたのは妹のかなでだった。


 小声で俺に話しかける。
「おにーさま、アンナちゃんの様子はどうですか?」
「解熱剤の効果が切れたようだ。熱がまた高くなったのかもしらん」

 俺がそう言うとかなでは体温計を持ってきて、「ちょっといいですか?」と俺の隣りに座る。
 そしてアンナのパジャマのボタンを少し外す。
 思わず俺は視線を外す。
 今のアンナはあくまでも女の子なので……。

 それを見てか、かなでがクスッと笑う。
「おにーさまはやっぱり、まだまだ童貞臭いですね♪」
「悪かったな」
 言いながら頬が熱くなる。


 かなでは熱を計り終え「39度ありますわ……」と教えてくれた。
「やはり病院に行くべきだったんじゃないのか?」
 俺がそう苦言を呈すると、かなでは首を横に振る。
「確かに一理ありますが、見たところ大雨に打たれての発熱でしょうから。一時的なものですわ」
 医者かよ。

 かなでは人差し指を立てて、うんちくを話し出す。
「それに……この時間だと深夜の受付になりますわ。待たされるだけ待たされて出されるのは解熱剤だけですもの。患者さんからしたら横になって平日の時間帯に受診するのが一番ですことよ」
「なるほどな…」
 てか、なんでこいつそんなこと知ってんの?

「さ、氷枕を準備してきましたので変えましょう」
「用意いいな、かなで」
 我が妹ながら高スペックナースである。
 かなではそっとアンナの枕を取り換え、冷えピタをおでこに貼る。
 その間も俺はずっとアンナの手を握ったままだ。

「随分、大事なんですね。アンナちゃんのこと」
 かなでは嬉しそうに笑った。
「ま、まあな。カノジョではないぞ、あくまで取材対象だからな」
 念を押しておく、正体がミハイルとバレているだけに。
「そういうことにしておきますわ♪」
 クッ! 弱みを握られてしまった……。


「ところで、かなで。お前こんな時間なのにまだ起きてたのか?」
 俺がそう問いかけるとかなでは、急に態度を変えてムスッとした。
「うるさくて眠れないんですのよ……」
 眉間に皺を寄せて、扉の向こうを首でクイッとさす。
「うるさい?」
 俺がかなでの答えに首を傾げいていると、ガタガタッとベッドが揺れた。

「なんだ!? 地震か?」
 すかさずアンナを抱きしめて守りに入る。
 ほのかな甘い香りが漂い、ハプニングとはいえ、興奮してしまいそう。

 だがかなでが俺の襟を掴んで強制的に戻される。
「グヘッ!」
「なにどさくさに紛れてアンナちゃんに襲ってるんですの? 病人をレ●プとかマジ鬼畜ですわ!」
 いや、してないし。

「地震と思ったから……」
「そんなご大層なもんじゃありませんわ」
 腕を組んで「フン!」とキレるかなでさん。
「どういうことだ?」
「おにーさまも察しが悪いですわね……おっ父様が久しぶりに帰ってきたのですわよ?」
「……まさか」
 俺は一旦アンナから離れて扉に耳を当てる。
 扉の向こう側、つまり廊下からなにやら騒がしく聞こえてくる。


「あーーーん! 六さぁん! すごぉい!」
「オラオラァ! 琴音ちゃん、どうだぁ! 感じているかぁ!?」
「か、快感!」


「……」
 俺はすっとアンナの元に戻り、手を優しく握ってあげた。
 その間もベッドというか、部屋全体に激しい振動が伝わってくる。
「かなで、母さんは親父の部屋か?」
「ええ、かれこれ3時間ほどですわ……」
「タフだな……」
 年頃の息子は血の気が引き、義理の娘は激おこぷんぷん丸だった。

「おにーさまさえ良ければ、この部屋にいてもいいですか?」
「構わんぞ、なんか俺の両親が悪いな」
「いえ、かなでの両親でもありますので……」
 と答えつつも声が冷たい。


 ~それから夜明けを迎え~


 カーテンの切れ目から日差しが入り込む。
 眩しい明かりで、俺は目が覚める。
 気がつくと、俺はかなでと隣り合わせで仲良く毛布にうずくまっていた。
 目の前のベッドを見ると彼女の姿がない。

「アンナ!?」
 俺が急に立ち上がったため、もたれかかっていたかなでが床にゴロンと倒れる。
「いったい! ですわ……」
 頭をさするかなでを無視して部屋を出る。
 廊下に出たが人気はなくトイレかと思い、ノックしたが応答はない。
 次に風呂かと思って、脱衣所をチラっと確認したがやはり誰もいない。

 もしや、正体がバレたことにショックを受けて……。
 最悪の予感が俺を襲う。

 その時だった。
 リビングの方からトントントンと、一定の拍子で何かを叩くような音がする。
 俺が恐る恐る近づくと、そこにはエプロンをかけた彼女の後ろ姿が。
 ピンクのパーカーとショートパンツのパジャマ。
 金色の長い髪を首元で左にくくっている。大きなリボンで。
 何かを鍋でぐつぐつと煮ていて、お玉で小皿に注ぐと味見していた。

「アンナ……」
 俺がそう呟くと、彼女はそれに気がつき振り返る。
 するとそこには満面の笑みで、元気な彼女が答えてくれた。

「タッくん! おはよう☆」
「ああ……」
 俺は言葉を失っていた。

 心配していたことよりも以前『夢』に出てきたような光景に。
 朝早くから俺のために料理をして、可愛らしく微笑む彼女が『夢のミーちゃん』にそっくりだったからだ。
 ただし違和感があるとすれば、エプロンだ。
 母さん愛用の裸体男たちが「アーーーッ!」している痛いBLエプロンを着用していた……。


「もういいのか? アンナ……」
「うん、ぐっすり寝たら元気になったよ☆」
「そ、そうか……」
「ちょっと待っててね、今お味噌汁作ってるから……」
 そう言うと彼女は俺に背を向けた。
 鼻歌交じりにお玉で鍋を回す。
 同時進行で隣りのガステーブルで卵焼きを作っていた。


 俺がその姿に言葉を失い突っ立っていると、アンナは苦笑いして「テーブルに座ってて」と諭す。
「ああ……」
 なんて美しい姿なんだろう。
 確かに今までアンナがカワイイと何度も思ったことはある。
 だが俺の自宅で、普段母さんや妹のかなでがいるだけのこの空間にアンナという一輪の華がそえられただけで世界が変わってしまった。

 まるで……そうまるで…俺とアンナだけの二人きりの世界。
 同棲、いや結婚しているようだ。

「うん、いい出来かな☆」
 彼女は味噌汁の入った鍋に蓋をし、卵焼きを皿に移す。
 すると冷蔵庫から新しい卵を取り出して、また焼きだす。
 どうやら俺たち家族全員分を作ってくれているようだ。

 その際、何かを思い出したかのように、俺にたずねる。
「タッくん、睡眠不足じゃない? コーヒー飲むでしょ☆」
「そ、そうだな……」
 コーヒーポッドで淹れた温かいブラックコーヒーをマグカップに注ぐ。

「ハイ☆ これ飲んでもうしばらく待っててね☆」
「ああ…いただきます…」
 なんだろう……このまま時間止めてもらってもいいですか?
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