第154話 割引券よりアプリの方が安い

文字数 3,046文字

 ミハイルを残して、朝刊配達に向かった。
 仕事あがりに、バイクを直していると店長に声をかけられた。
「琢人くん、おつかれさま!」
「おつかれっす」
「あのさ、これ。琢人くんにあげるよ」
 そう言って、差し出したのは二枚のチケット。
 なんじゃこれ?
 可愛らしい猫がプリントされいている。
 
「席内に新しくオープンしたらしいんだよ。ネコカフェ」
「ネコカフェ?」
 悪いが俺はワンワン派だ。
 店長には悪いが、ここは丁重にお断りしよう。

「いやぁ、ガラじゃないっすよ」
「まあまあ、そう言わずに♪」
 店長はニコッと笑うと、俺のズボンのポケットに無理やりねじ込む。
「な……」
「琢人くんが好みじゃなくても、噂のカノジョさんはどうかな?」
「カ、カノジョ~!?」
 思わずアホな声で答えてしまう。

「そうだよ。最近の琢人くんってなんか輝いてるんだよね。カノジョが出来たんでしょ? 連れていってあげなよ」
 それミハイルことアンナちゃんのことだろ……あの子とは付き合ってないよ。
「い、いやぁ……俺とあの子はそういう仲じゃ…」
「じゃあ、もうワンプッシュぐらいかな? 頑張れ、若人!」
 店長はどこか満足そうに微笑むと、背を向けて店の奥にある自宅へと入っていった。

「ええ……」
 どうしようかな。
 タダでもらったものだし、まあとりえあず持って帰ろう。

    ※

 自宅に帰ってきて、リビングのある二階へと向かう。
 階段を昇っていくにつれて、なにか甘い香りが漂ってくる。
「ん? 母さん、こんな時間から料理作ってんのか」

 キッチンに立っていたのは、予想していた人ではなかった。
 体操服とブルマ姿で、鼻歌交じりにボールを泡立て器で何かをグルグル混ぜている。
「ボニョ~ ボニョ~ おっとこのこ~」
 スタジオデブリの名曲を口ずさみ、手際よく調理を進める。
 腕を激しく動かしているため、自然と身体が震えている。
 小さな桃のようなお尻がプルプルと踊りだす。

 なにこれ? 俺の新妻ですか?
 仕事上がりに、なまめかしいダンスとか、やめてください。
 後ろから襲いたくなっちゃうので……。

「あっ、タクト☆ おかえり~」
 俺に気がついて、振り返る天使はミハイル。
 くっ、こいつ、アンナの時はあざといくせに、素の時はなんていうか、自覚がないから、尚のこと見ていると、可愛くおもっちゃうんだ。
 どっちも同じヤツなのに……。
「お、おう……ただいま…」
 自分の家なのに、なぜか気を使ってしまう。
 目の前に、可愛い子がいるからかな。だがミハイルは男だぞ?
 しっかりしろ、琢人。

 頬をペシペシと叩いて、自我を取り戻す。
 そして、平静を装い、テーブルに腰を下ろす。
「ミハイル。何を作っているんだ?」
「これか? ふわふわスフレパンケーキだゾ☆」
 またそんな手のこんだ料理しやがって……。
 俺の胃袋を掴んで、どうする気だ?
「ほ、ほう……ミハイルは本当に料理が上手いというか、好きなんだなぁ」
「うん☆ 食べてもらう人がダイスキだと、スッゲー楽しいんだ☆」
 え……今、なんかしれっと告白されなかった?
「そうか……」
「もう少しで出来るから待っててな☆」
 ニコリと微笑むと、また俺に向かってケツをプリッと突き出す。
 そして、ボニョを歌いながら、腰を振って調理に戻る。
 料理ができる間、俺はテレビでもつけようと思ったが……。
 
 目が釘付けで、キッチンの方をガン見していた。
 だって目の前に美味しそうな桃があれば、かぶりつきたいじゃないですか。
 理性を保つのに精いっぱいでした。

     ※

 しばらくすると、酒くさい母さんと、瞼の下にくまがいっぱいできた妹のかなでがリビングに現れる。
「ふぁわあ。おはよ……あら、ミーシャちゃんじゃない」
 そうか、母さんはミハイルと会うのは久しぶりだった。
 前回は女装時だから気がついてない。
「あ、おばちゃん。おはようっす☆ 勝手にキッチン使ってるんすけど、良かったすか?」
「いいわよ。なんだったら、毎朝作ってくれて……」
 あなたは家事をしたくないだけでしょ。
 セルフネグレクトを願う母の願望を真に受けるミハイル。
 頬を赤くして、モジモジし出す。
「ま、毎朝、タクトん家に来ていいの……?」
「ダメだよ。ミハイル、母さんの言っていることは冗談だ、ほうっておけ」
「なんだぁ、じょーだんか…」
 肩を落として、フライパンの上で丸く膨らんだパンケーキをへらでひっくり返す。
 

 落ち込んだ彼を励ますために、店長からもらったチケットを取り出す。
「なあミハイルって猫とか好きか?」
「かなでは大好きですわ♪」
 おめーには聞いてねーよ!
「どうせ、かなではアレだろ? オス猫を擬人化させて絡めたいだけだろ……」
「テヘッ♪ バレちゃいましたか♪」
 うん、妹の性癖を当てる兄もどうかと思う。

「オレ、動物はなんでも好きだよ☆ どうして?」
 彼の瞳に輝きが戻る。
「新聞配達の店長がさ。ネコカフェのチケットくれてさ。よかったらこのあと、一緒にいかないか? ちょうどミハイルん家がある席内市に店があるらしいんだ」
 俺がそう彼を誘うと、目を丸くして「ホントか!?」と喜んでいた。

 たまにはアンナとじゃなく、ミハイルと取材ってもの悪くないだろう。
 あくまでもデートではない。ダチとしてだ。


 ミハイルがテーブルに大きな四つの皿を並べる。
 そこには見たこともないぐらいふわふわの丸いパンケーキが3つのせられていた。
 しかもホイップクリームとイチゴつき。
 どんなスイーツショップだ?
 相変わらずハイスペックすぎるヤツだ。早く嫁にしたい。

「うわぁ♪ ミーシャちゃんがこのパンケーキ作ったんですのぉ?」
 かなでが無駄にデカい乳を揺らせて、喜びを露わにする。
「そうだよ☆ 仕事あがりの疲れたタクトに甘いものが必要かなって思ってさ☆」
 なんて出来た嫁なのかしら……泣きそう。
 うちの女どもはここまで俺を気づかってくれないのに。
「いただきますですわ~♪」
「じゃあ、お母さんもBL(びーえる)だきます♪」
 おい、今なんつった?
 頑張って作ったミハイルママに謝れよ、琴音。

「さ、タクトも冷めないうちに食べてよ☆」
「ああ。ミハイルは食べないのか?」
 俺がそう言うと頬を赤くして、太もも辺りで両手を組み、顔を伏せてしまう。
「その……ひと口目が美味しいか不安だから、感想ききたくて……」
 乙女かよ。
「そうか、ならお先にいただくな」
「う、うん」
 クリームをたっぷりつけて、パンケーキにナイフを下ろす。
 音とも立てず、スルッと二つに切れた。
 フォークで口へと運ぶ。

「う、うまい……」
 正直、こんなうまいパンケーキは初めてだ。
 ちょっとしたプロより美味い。
 優しい甘みとバターの香り。それに舌の上でとろけそうなぐらい柔らかい生地。
 感動していた。涙が出そうなぐらい。
「ミハイル……これはうますぎる!」
 俺がそう言いきると、彼はボンッと音を立てて更に顔を真っ赤にする。
「そ、そっか! よかったぁ、自信なかったから……」
 いや、このレベルで自信がないとか言ったら、花嫁修業しているアラサーがかわいそうですよ。

 その証拠に、ほれ。
 うちの女どもときたら……。

「うめっうめっ……じゅるじゅる、グチャグチャ」
「おっ母様! ズルいですわ! おかわり狙ってるでしょ! 負けませんわ、くっちゃくっちゃ……」
 ケダモノ家族で恥ずかしいです。

「みんな喜んでくれてよかったぁ☆ まだいっぱいあるから、たくさんおかわりしてね☆」
 もう、あなたがお母さんでいいです……。

  
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