第142話 早朝ウォーキングデッド

文字数 3,480文字

 俺は人生で初めてクッソ忙しいゴールデンウィークを味わった。
 というか、ほぼほぼ巻き込まれたといったほうが正しい表現かもしれない。

 そこで、今回起こった出来事をなるべく忘れないうちに、ノートパソコンにデータ入力する作業を行っていた。
 ミハイルの姉、ヴィクトリアから解放されて帰宅したのも深夜12時を超えていたのだが、この興奮をなるべく早くタイピングしておきたかった。
 夢中でキーボードを打っていると、スマホのアラームが鳴る。
 
「もうこんな時間か……久しぶりの徹夜だな」

 朝刊配達に行かないと。
 俺は家族を起さないように静かに、家を出た。


 毎々新聞、真島店に着くと、店長が朝もはよから元気な声で挨拶してきた。
「ああ、琢人くん! おっは~」
 今日び聞かないあいさつだね。
「おはようございます」
 そう言うと、店長が目を丸くして俺の顔をまじまじと見つめる。
「琢人くん、何かあった?」
「え……」
「きみ、すごく顔が赤いよ」
「お、俺が?」
 配達店の中にあった鏡で自身を見つめる。
 確かに店長の言うように、頬が赤い。

「熱でもある?」
 心配そうに店長が俺のおでこを触る。
「ないねぇ……興奮してるの?」
 ギクッ!
 というか、なんでこの人は俺の心情を必ず当てにきやがるんだ。
 心理学でも学んでのか?

「ちょ、ちょっと小説を書いていたら、徹夜しちゃって……」
 頭の中を駆け巡るアンナちゃん。
 ずっと彼女が脳内で、可愛くダンスしているのが止まらないんです。
 重症ですね。

「そうなんだ。よかったね! きっといい取材ができたんだよ」
 ニカッと目をつぶり、自分のように喜んでくれた。
 マジでこの人の方がお父さんぽいよな。
 付き合いも長いし、俺のダディになってほしいわ。
「そっすね……じゃあそろそろ配達いってきます」
「うん、興奮しすぎてスピードあげたらダメだよ~」
 なんか俺が変態みたいな表現だな……。

 俺は火照った身体を冷ますように、バイクを飛ばす。
 もちろん法定速度で。

 5月に入ったとはいえ、まだ夜明けは肌寒い日が続く。

 
 しかし、あれだな。
 もう何年も朝刊配達やっているんだけども、真っ暗な住宅街をバイクで一人走るのはゾッとする。
 小学生の時なんかはおばけとか信じちゃって、そういう怖さがあったけど。
 今はそんな可愛らしい恐怖じゃなくて、ひとが一番怖いよな。

 だってたまに暴走族に出くわしたりしたときなんかは、からまれるんじゃないかって、ブルっちゃうぜ。
 24時間営業の店の前にあいつらはたむろして、ケラケラ笑っているんだもん。
 
 そう人間が一番この世で怖いんだよ。
 とある家のポストに新聞を入れ込んだ瞬間、パンツ一丁のおじさんが出てきたりするんだぜ。
 俺がビックリして「ギャーッ!」って悲鳴をあげたら、おじさんが暗闇の中でこう囁くんだ。
「若いのに偉いね。おつかれさん」
 ただの優しいおじさんで草も生えそうなのだけど、心臓が破裂しそうだから、もうちょっと派手に出現してほしいものだ。


 そうこうしているうちに、配達ルートの折り返し地点まで来た。
 真島という地域はけっこう坂道が多くて、バイクでも坂を上るのに苦労する。
「トットット……」と音は立てるがあくまでも原動機付のチャリだからな。
 狭い路地へと曲がろうとしたその時だった。

「誰かが見ている……」

 確かに感じるぞ、視線を。
 恐る恐る、振り返る。
 電柱の後ろに人影が見えた。

 心臓の鼓動が早くなる。
 こういう時は落ち着いて行動すべきだ。
 相手は見たところ、徒歩だ。
 だが俺は原チャリに乗っている。
 逃げるが勝ちだ!

 とりあえず、配達は一時中断して、店長のところまで逃げよう。

 俺はそう決断するとアクセルを吹かす。
 エンジンの音で威嚇する意味もある。

 そうして、発進しようとした瞬間、人影もササッと動き始めた。

「う、うひゃあ!」
 恐怖から思わず、アホな声で叫んでしまう。
 だが、マジで怖い。
 殺人鬼だったらどうしよう。
 まだ死にたくないぞ、俺は。

 バイクを猛スピードで走らせたが、例の坂道のせいで思うように速度が上がらない。

「はぁはぁ……早く進みなさいよぉ!」
 ビビりすぎてオネェ言葉になってしまう。

 怖くて後ろを見ることはできないが、確かにその足音は近いづいてくる。
「タタッ…タタッ…」
 と俊敏な動きでこちらへ着実に向かってきた。

「ひ、ひぃぃぃ!」
 もうダメだと思い、目をつぶって死を覚悟した。
 母さん、今までありがとう。
 かなでも元気でな。
 六弦は無視で。
 最後に、一目アンナの笑顔を見たかった。
「アンナ……」
 涙がこぼれおちる。

「止まってください……」
「え…」
 目を開くと、時速40キロは出しているバイクに並んで走っている人間が。
 俺は暴漢か何かと思っていたが。
 そいつは華奢な細い身体の女性だった。
 ただ、めっちゃ両手を振って、全速力でマラソンしている。
「センパ~イ……」
「ぎゃあああ!」
 別の意味でホラーだった。
 
 だって三ツ橋高校の現役JK、赤坂 ひなただったから。
 こんなところにいるなんて思いもしなかった。
 ひなたは真島からJRで2駅も離れている梶木に住んでいる。
 なのに、こいつは今ここにいる。
 奇跡という名の恐怖。
 つまりはストーカーである。

 とりあえず、俺はバイクを止めた。
「はぁはぁ……驚かすなよ、ひなた…」
 ひなたも足をとめるが、全然呼吸が乱れてない。
 こいつはバケモノか?
「センパイ。酷くないですか……この前の取材…」
 ああ、そうだった。あのあと放置してたし、忘れてた。
 長い前髪で目を隠し、だらんと立ちふさがる。
 しかも電柱に潜んでいたという時点で通報レベルだ。

「あ、あれか……本当にすまない」
 とりあえず、頭を下げる。
「いいんですよぉ。私は別に怒ってませんから」
 冷たい……なんて声だ。
 悪寒が走って、膝が震えだす。
 この子、こんなに怖い女子高生だったけ?

「つぐない……してください」
 なにそれ? まさか命で償えってこと?
 ナイフとか持ってないよね……。
「わ、わかった! なんでも言ってみろ」
 彼女の行為はほぼ脅迫に近かった。
「じゃあ……このまま一緒に新聞配達しましょ♪」
 急に笑みを浮かべる。
 声も優しくなった。
 その豹変ぶりが、更にサイコパスだ。
「へ? 配達?」
「はい! 仲良く朝のデートを楽しみましょうよ♪」
 デートになるの?
 君には賃金発生しないよ。


 俺はかなり動揺したが、追ってきた相手がひなただとわかってから、徐々に落ち着きを取り戻した。
 そして彼女にこう切り出す。

「なあ俺はバイクで配達するんだぞ? お前は徒歩じゃないか……ついてこれんだろう」
「センパイったら♪ 私は水泳部のエースなんですよ。余裕ですってば♪ 梶木から走ってきたんですよ?」
 夜中にランニングすな!
 マジで怖いわ。
「わ、わかった。じゃあ一緒に配達するか」
「はい♪」
 そして前髪をかきあげると、笑顔のひなたが確認できた。


 俺はバイクにまたがり、ひなたはそれに平行して走る。
 彼女の凄さというか怖さは、笑顔で「何部配達するんですか?」と全速力で走りながら質問してくるところだ。
 息も乱さず。
 時速30キロは出しているんだぞ……。

 
 やっとのことで配達を終え、俺はバイクを店に返しにいった。
 その間、ひなたは近くの自動販売機で待機してくれた。

 震える手でバイクの鍵を店長に渡すと、「大丈夫? 興奮のしすぎじゃない?」と聞かれた。
 確かに興奮したよね、怖すぎて。

 
 自動販売機にもたれかかるひなたを呼び止める。
「待たせたな」
「ううん、全然大丈夫ですよ♪」
 屈託のない笑顔で俺を迎える。
 前回のひなたとのデートは、確かに俺のせいで彼女を悲しめることになった。

 ズボンのポケットから財布を取り出し、小銭を自動販売機に入れる。
「なあ、何か飲まないか?」
「いいんですかぁ。じゃあ、ホットココアで♪」
「わかった」
 彼女の分と俺のコーヒーを買い、二人で道を歩き出す。
 朝陽がアスファルトを明るく照らす。

 ひなたに暖かいココアを渡すと、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。
 頬に缶を当てて、うっとりしていた。
「あったかい……センパイが私にくれた初めてのプレゼント」
 俺はコーヒーを飲みながら、思った。
 この子、病んでる。

 
 真島駅までたどり着くと、ひなたは満足したようで「JRで帰る」と別れを告げる。
「今日のデート、絶対ラブコメに使えますよね♪」
 そう言って、出勤するサラリーマンたちにまぎれて去っていった。

 いや、絶対に使えないよ……今日の取材は……。
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