第443話 大きな穴

文字数 2,647文字


 宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。
 赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。
 
 別に、この中華屋が悪いんじゃない。
 俺の心理状態が、良くないためだ。
 今は、なにも口にしたくない……。

 ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。
 心臓も一緒に持って行かれた気がする。
 彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。

 そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。

「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」
「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」

 とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。

「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」
「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」

 いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。
 やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?

 店の一番奥にあるお座敷へと通された。
 襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。

  ※

「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」
 既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。
「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」

 先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。
 ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。

「新宮……お前、その話。本当か!?」
 先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。
「はい。キッスもしようとしました……」
「そ、そりゃ、ダメだろ!?」
 即座に、否定されたことに傷つく。
「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」
「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」

 この人、一体なにを言っているんだ?
 なんで俺がミハイルを襲っていることに……。

「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」
「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」
 もう酔っぱらっているのか、この教師は。
「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」
「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」
 
 他人事だと思って……クソがっ!

 話がちゃんと伝わってないようだったので。
 俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。

 去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。
 その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。
 真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。
 だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。
 素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。
 そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。


 宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。
 その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。
 顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。

 俺は一切、料理に手をつけなかった。
 胸が苦しかったから……。

「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」
「ま、まあ……そうだと思います」
「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」
「それは、俺にはわかりかねます……」
 例えが酷い。

「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」
 いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。
「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」
 気がつくと、涙が目に溢れていた。
 そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。

「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」
「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」
「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」
「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」
 言い終える頃には、うなだれていた。
 自分の口から、終わりを告げたようなものだと。

「バッカモン!」

 泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。

「え?」
「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」
「俺のせいですよね……」
「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」
 胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。
「うっ……」
「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」
「でも、ミハイルが来ないなら……」
「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」
「どういうことですか?」
「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」
 そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。

 俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?
 信じられないな。
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