第65話  融 4 

文字数 1,334文字

「融君の事は凄く好きだし、とても大切な人だと思う。それは変わらない。
・・だからこそ、もう一緒には居られない。もう駄目なの。余りにも強烈な体験だったから。無理なの。由瑞さんを忘れる事は出来ない。だって、何度も死ぬ思いをして・・・彼は怪我をしていたのに、必死で私を助けてくれて・・・。彼を忘れられない。だから、あなたともう夫婦でいる事は出来ない。御免なさい。本当に御免なさい」
その晩、樹は正座をしてそう言うと畳に頭を付けた。
融は黙って土下座をする樹を見ていた。


「あの場所で彼と何があったの?」
融は口を開いた。
「何も無いよ。何も。ただ、二年前の事をお互いに話し合っただけ。それで蟠り(わだかまり)が溶けたの」
樹は言った。


樹は珠衣に一人残ってじっくりと考えた。
これからの融との事。由瑞との事。
そして決めた。
由瑞との事は何もかも隠し通そうと。
正直に言ってしまっては由瑞が悪者になってしまう。そう思った。
彼と融は親戚なのだから。
関係をこれ以上悪くしたくないと思った。
これ以上悪くなり様も無いのだが、1mmでも食い止める方向で留まりたい。


融はじっと樹を見詰める。
樹の目が泳ぐ。
「嘘を付くな。それは嘘吐きの顔だ」
融は言った。
「まさか、あんな場所で彼とやったとか言うんじゃないだろうな」
「まさか!有り得ない。あんな場所で。それ所じゃない!」
樹は慌てて言った。
「じゃ、何?」
融は言った。
「何もない」

融は冷たい目で見た。
樹はビビる。
「俺は正直に言ったんだぞ。君は嘘を付くのか?その時点で君は」
「分かった。分かったよ・・・」
樹は言った。


「寒いから彼に抱き付いて一緒に眠った・・・それだけ」
樹はぼそぼそと返す。
融は「ふうん」と返す。
「だって、すごく寒かったんだよ」
樹は言った。

「成程ね・・・それで(ついで)にキスをしたとか?」
融は疑惑の目で樹を見る。
樹の体がぴくりと動く。

「ああ。そうか。キスか・・・。濃厚なキスだったりして?」
「いや、違う。ただのキス」
「どんなキスだって、キスはキスだ」
「・・・・」
「で、君は俺と別れて佐伯と一緒になる心算なんだな?」
「・・・」
「黙っていたら分からない」


「融君。由瑞さんには、最強の彼女がいるのだから。これでもうさっぱりと私を忘れて、その彼女と新しい道を歩いて行くって宣言していた」
樹は言った。

融は驚いた。
「そうなの?」
「そう。ちゃんと神様は彼の為に用意して置いてくれたの」
「じゃあ、何で樹にキスしたの?」
「ちゃんと生きているかどうか確認をする為に・・・」
「はあ?ふざけんな!」
樹はびくっとする。
融はじっと樹を見た。
樹はその眼差しが酷く痛いと感じた。

樹はぼそぼそと下を向いて言う。
「御免なさい。融君・・・」

「何と言われても仕方が有りません。でも、私は、今までと同じようにあなたと暮らす訳には行きません。・・・御免。私は無理なの。彼を忘れるにはまた長い時間が掛かる。いいえ、忘れる事なんか出来ない。時間が過ぎても。あなたに申し訳が無くてとても一緒にはいられない。御免なさい。本当に御免なさい」

「佐伯と一緒にならないのに?・・・・・変だな。・・・ちょっとその話は保留だな。また東京に帰ってからじっくりと話そう。言って置くけれど俺は離婚する積りは無いから」
融はそう言うと部屋を出て行った。




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