第69話  その1  由瑞と蘇芳  

文字数 2,043文字

「ふうーん。それで、樹さんは大阪に来たの?」
蘇芳は尋ねた。
畑作業の途中らしく首にタオルを掛けている。麦わら帽子をテーブルの上に置き、コップに入った冷たい麦茶を飲む。
「そう。赤津と話をした数日後に電話があって。『遅くなったけれど伺います』って」
由瑞は答えた。
「で、帰さなかったんだ」
「ああ。三日程いたね」
「あらあら」
蘇芳は笑った。


8月の終わり。
そろそろ夕方が近くなり、鬱蒼とした森や山からカナカナと蜩の声が聞こえて来る。
暫しその声を聞く。
風が秋の気配を孕む。
蘇芳と由瑞は風の行方を追う。
日が落ちるのが早くなったと感じる。

「で、今日は母さんに事の顛末を報告。と言うか呼ばれた」
由瑞は言った。
「お父様は何て仰っていたの?」
蘇芳は尋ねた。
「いや、別に。そうか。ってそれだけ」
蘇芳はにやりと笑う。
「笑っていたでしょう」
「いや。まあ普通だった」

蘇芳は知っていた。
二年前、史有の結婚式に参加しない由瑞を訝しんで健三は雪乃に尋ねた。
「何で由瑞は出席せえへんの?」
雪乃から理由を聞いた健三は烈火の如く怒ったらしい。
「何をやっとるんや。由瑞は!それでも男か!阿保か。あいつは!何で奪わないんや!」
雪乃はその反応に呆れて健三に言ったらしい。
「あなた、それを由瑞に言ったら殺すわよ」

蘇芳はそれを思い出す。

蘇芳は晴れ晴れとした顔で言った。
「でも、流石、融さんね。『君が正しに行けばいい』なんて中々言えないわよ。やっぱり素敵な人ね」
「そうだね」
由瑞は認めた。
「とても誠実な男だと思うよ。俺なんかよりもずっと。でもきっかけは赤津だから、それはまあ仕方がない」
そう付け加える。
蘇芳はふふふと笑う。
「凄いわね。由瑞。あなた、とうとう彼女を手に入れたのね。本当にしつこい男だと思ったのよね。執念深いと言うか諦めないと言うか」
「でも、蘇芳。俺も死ぬ思いをしたから。きっとそのご褒美なんだ。・・・俺は思ったのだけれど、命を懸ける位じゃ無いと、赤津から彼女を奪い取る事は出来なかったって事なんだよ」
蘇芳は頷く。
「だから凄いなって思うのよ。あんなこけし女に、そこまで入れ込むって。どう考えってあなた達おかしいわよ。本当に変な人達ね。融さんもあなたも。目が腐っているとしか思えない」
「挙式をする教会を探しているんだ」
蘇芳の言葉を完全スルーして由瑞は言った。
「えっ?もう?・・・だって、まだ向こうのお宅にもお伺いしていないのでしょう?」
蘇芳は驚く。
「まあ、そうだけれど。・・・その内行くよ。・・・二人だけで高原の教会で式を挙げるんだ。夏休み中に幾つか見て回ったんだ。で、ウエディングドレスもちょっと着せてもらった」
由瑞はフフッと笑った。
「えっ、ちょっと私も呼ばない心算(つもり)?双子の姉である私の事も?」
「そう。誰も。二人きりで挙げるから」
「それ、お父様が絶対に怒ると思うわよ。・・・そうか。二人きりでか・・・いいわね。すごくロマンチック。・・・で、樹さん、ドレスは如何でした?」
「彼女は君と違ってスマートだから。何を着ても似合うんだ。目移りしてしまって困ったよ」
「誰が目移り?」
「俺が」
・・・・
「そう。それは良かったわね」

 蘇芳は「この馬鹿弟」と思いながら幸せそうな由瑞が嬉しくて仕方がない。嬉し涙が溢れて来て首に掛けたタオルでそっと拭う。そして思う。
「樹さん。融さんと別れてくれて有り難う。由瑞の所に来てくれて有難う」と。

「籍だけ先に入れるんだ。彼女は12月まで東京で働くって言っていた。結婚式は冬かな?白いファーを肩に掛けても綺麗だな。雪景色の中の教会とウエディングドレス姿の彼女はきっと凄く素敵だろうな・・・ブーケは何にしよう・・」
馬鹿弟は夢見る様に続ける。
・・・
「ああそう。そうでしょうね、きっと素敵でしょうよ。ところで由瑞は何を着るの?」
蘇芳は言った。
「彼女が選んでくれる。でも俺なんか別に何だっていいんだよ」
由瑞は答えた。

蘇芳はにっこりと笑って言った。
「良かったわね。由瑞。本当に。・・・由瑞、幸せになってね」
「有難う。蘇芳。君には色々と心配を掛けたな。本当に感謝しているよ。樹さんと仲良くしてやってくれ」
由瑞も笑った。

蘇芳は思った。「私の予言した通りだわ」と。
私達は『汞』に似ている。
私達は『月』であり『陰』である。こっそりと『陽』に同化する。それも完璧に。
二元を一元に。
樹は由瑞の『陽』であり彼にとっての『金』なのだ。




雪乃が帰って来た。
「由瑞。お待たせ。じゃあ早速話を聞くから。診察室で聞くわ。15分後に来てくれる?」
「お帰り。了解したよ」
去って行く雪乃の後ろ姿を眺めて由瑞は声を潜めた。
「お説教だな。史有の立場はどうするんだとか言うんだろうな」
「なかなか強力よ。でも秘密を知ってしまったならそれしか道は無いから」
蘇芳は言った。
「当然だ。それに今度彼女を連れて来るんだ。挨拶をする為に。その時にごちゃごちゃ言われたくないからな。しっかりと下準備をして置かないと」
「怒ると本当に怖いからね」
蘇芳は言った。
「全く」
由瑞は頷いた。

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