第23話  魔の連休 奥の院 樹と由瑞

文字数 1,065文字

水の中に引き込まれた樹は由瑞にしがみ付いた。
水は深い。必死でしがみ付く。由瑞は樹の体を力一杯引っ張る。
樹の足を掴んでいた腕が引き延ばされた。ゴムみたいに伸びる。どこまでも伸びる。
苦しい。苦しい。息が出来ない。樹は必死で藻掻く。

由瑞は長く伸びた腕を両手で掴むと力を込めてそれを引き千切った。手は樹の足首を掴んだままだった。樹を抱えて水を蹴る。
樹の意識は薄れて行く。由瑞に掴まっていた手がふわりと離れた。
「樹さん!」
由瑞は慌てる。

水面に出ると樹を叢に寝かせて名前を呼んだ。反応が無い。樹は真っ白な顔をしている。
由瑞の顔が引き攣った。
樹を横にすると背中を叩いた。
樹は動かない。
由瑞は樹の胸を押した。鼻を摘まんで人工呼吸をする。
樹が突然目を見開いた。
ぐっと胸を詰まらせて樹はごぼっと水を吐き出した。体を丸めてげえげえと水を吐き、げほげほと咳込む。由瑞は安堵のため息を付いて、樹の横に崩れ落ちた。

「由瑞さん・・」
樹は掠れた声で言う。
「ああ。良かった。樹さん。死んでしまうかと思った」
由瑞はそう言うと両手で顔を覆った。
樹は起き上がる事が出来ない。また、目を閉じた。


「由瑞さん。凄く寒い。体がだるくて動けない・・」
樹は言った。
樹は身体を丸めてぶるぶると震えてた。唇が青かった。
由瑞は起き上がって樹を抱き上げると池から離れた。
木の下に樹を下すとそこに寄り添った。
「ここでこうやって抱いていてあげるから少し眠って」
由瑞は言った。
樹はがちがちと歯を鳴らしながら、首を横に振った。
「大丈夫。こうやって丸まっていれば大丈夫」
そう言って膝を抱えた。
由瑞は黙って樹の体を引き寄せた。
樹はびくりとする。
「俺はもう君に興味はないから。恋人もいるんだ。だから気にする事はない。君を抱いていても何も感じないから大丈夫。赤津だって許してくれるさ。緊急事態だから仕方が無かったって」
由瑞は言った。


「小夜子さんの家に戻りたい」
樹は言った。
由瑞は森の中を見る。
家は見えない。
その代わりに、寺が見えた。

「家には帰れない」
「どうして?」
「どうしても。いいから黙って眠るんだ。赤津が抱いていると思えばいい」
由瑞は言った。
樹は黙った。

体が温かい。由瑞の匂いがする。融とは違う匂い。
樹はそのまま目を閉じた。

すうすうと胸の中で寝息が聞こえる。
由瑞は複雑な思いで樹を見下ろす。そして静かに目を閉じた。

青く染まった池と山。木々。そして空。
広大な自然の中でぽつんと二人は木の影に隠れてそこにいた。温かい血を持つ者。生きて呼吸を繰り返す存在。
それはこの世界では異質で余りにも頼りない存在だった。

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