第66話  融 5

文字数 2,019文字

2人は東京に帰って来た。

結局、融の前では隠し通すことが出来なくて、樹は寺での由瑞の言葉を自白してしまった。
しかし、もう一つの方は黙っていた。
彼と「絶対に」と約束したのだから。

「彼は、『ここでの事は夢の中の事だと思えばいい』って言った。『どうしたって君は赤津から離れないのだから』って。『もう二度と、あんな辛い思いをするのは嫌だって』」
樹はぼそぼそと言った。

融は怒った。
樹の予想通りだった。
そりゃあそうだ。

「君も大概だが、俺は佐伯に対して腹が立つ。それで自分は新しい道を行くとか。ふざけるな!人の家をめちゃくちゃにして置いて」
「どうして佐伯はそうやって無責任な事をするのだろう。自分の感情だけで、相手を振り回す。前回だってそうだ。中途半端で・・・本当に自分勝手な男だ。いくら君を助けたと言っても、流石にそれは許せない。迷惑千万な男だ!張り倒してやる!」

「君も全く頼りない女だ」
そう言って樹を見た。
「心が浮付いて。すぐに佐伯に篭絡される。本当に簡単な女だ。俺は情けない!」
「済みません・・・」
樹は「ごもっともで御座います」と言う表情で融を見た。

「だから、君を佐伯に会わせたくなかったのに。それを心ならずも設定してしまったのが自分だという事にめちゃくちゃ腹が立つ!」
融はそう言って玄関から出て行こうとする。

「融君。どこへ行くの?」
樹は声を掛けた。
「コンビニ!ちょっと頭を冷やして来る」
「何?アイスが欲しいの?分かった。アイスね!」
まだ何も言っていない樹にそう言うと、融は乱暴にドアを閉めた。


夜道を歩きながら「全く・・怒りの持って行き場が無いな」と呟いた。
融はずんずんと歩く。コンビニを通り越して橋を渡ってしまった事も気が付かなかった。

むらむらと怒りが湧いて来る。
電話をして彼を怒鳴りつけてやりたい気持ちを抑える。
冷静に話が出来る筈も無い。
樹を命懸けで助けてくれた、そんな彼に怒りを爆発させそうだから。
「クソ野郎が・・・」
融は頭の中で罵倒する。
足の向くままに歩いた。


ふと我に返る。いつの間にか隣町に来ていた。
「あっ、やべ・・コンビニ」
融は辺りを見渡す。
小さな公園があった。
夜の公園には誰もいなかった。
公園の中に入り、ベンチに座った。

街灯が辺りを照らす。
その下に佇む。
「はあ・・」と大きく息を吐いた。
月は無い。星空が見えた。
融は夜空を眺める。ベンチの背もたれに頭を載せていつまでも眺めている。


本当は予想していたのだ。
樹は別れたいと言うだろうと。
病院から退院して来て、一人で珠衣に残ると言った時に。
それに佐伯の気持ちだって理解できる。
「君はどうしたって赤津から離れないのだから・・・」
佐伯はそんな想いを胸に樹を命懸けで助けてくれたのだ。

確かに「来なくてもいい」と言われていたのに行ったのは自分だ。だが、行かない訳には行かなかったし、それはもう仕方が無かった事なのだ。
こんな結果になってしまったが、行った事は後悔していない。
『行かない』という選択肢は自分には無いのだから。

ずっとそう思っていた。

だって、じゃあ、どうすれば良かったんだ?
樹を珠衣に連れて行って、そこで彼女に言えば良かったのだろうか。
「絶対に帰って来るからここで史有と阿子と待っていて」って。

俺には力は無いけれど、小夜子だって怜だっているし夜刀だって伊刀だっている。
それをよく説明すれば、樹だってそんなに不安を募らせる事は無いはずだ。
佐伯になんて来てもらわなくても良かった。樹を珠衣へ連れて行けば良かった。

悲しい事に後知恵はどんどん思い付く。
「何も、あんな前日に行く事は無かったんだ。・・・理沙なんて好きにさせて置けば良かった・・・・全く、俺は何をやっているのかなあ・・・」
融は肩を落とした。
「結局、俺も母さんと同じって事か・・・」
融は空を見上げて独り言を言った。


「あなたに話がある」
佐伯は病室でそう言った。
多分、樹の事だろうと思った。その内容も大体予想はしていた。
だが、樹の言葉でそれはひっくり返された。

まさか、「樹さんに口付けをしてしまいましたが、自分は新しい彼女と新しい道を歩いて行きたいと思っています」とは、言わないだろう。いくら佐伯が厚顔無恥であっても。

樹との話とどうも嚙み合わない。
融は暫く考えていたが、「まあいいか」と思った。

必要があれば、あいつから言って来るだろう。何で、俺から電話を入れてやる必要がある?
そう思った。

スマホにラインが届いた。
樹からだ。
「融君。どこのコンビニに行ったの?遅いから心配しているよ。連絡をください。私、ハーゲンダッツのチョコがいいな」

思わず二度見した。
一気に力が抜けた。
何なんだ。こいつは。と思う。
どこかずれている。かなりずれている。
融は呆れると同時におかしさがこみ上げて来る。
俺のさっきまでの深い内省はどうしてくれるんだ。
感傷的(メランコリー)な気分は。

「全く・・呆れる」
そう思いながらも笑ってしまう。

樹に「了解」と返すと立ち上がって、もう一度夜空を見上げた。





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