第43話  異界 樹と由瑞 10

文字数 1,560文字

二人は堂内に入ると扉に寄り掛かって寄り添って座る。
黙って座る。

樹は落ち込んだ。
これ以上ない程に落ち込んだ。がっくりと肩を落とす。
一体自分は何をやっているのだと思った。
融の顔を思い出す。その顔が驚きと哀しみで暗く陰るのを脳裏に描いた。
深いため息を付いた。


「後悔しているの?」
由瑞は樹の肩を抱き寄せて言った。
樹は絶望的な目で由瑞を見上げる。
由瑞はそんな樹を見てクスッと笑った。
「君が本当に生きているかどうか確認しただけだから」

由瑞は樹の耳に顔を寄せる。
樹はすかさず両手で耳を覆う。
「ケチだな」
由瑞は面白そうに笑う。
その顔をつくづくと眺めた樹は、ふうっと息を吐いた。
完全におちょくっている・・・。

「君だってその気になっていたじゃないか。さっきは。ちゃんと俺を感じていただろう?」
由瑞は言った。
樹は情けない表情で彼を見る。


「あなたは独身だからいいかも知れないけれど、私はどうするの?」
樹は言った。
「君の事は知らない。君の事は君が決めればいい」
由瑞は素っ気ない。
「そんな無責任な」
少し考える。
「ちょっと。それじゃあ、前回と同じじゃない。あの連休の時と」
樹は真顔で言った。

「あの時とは違う。あの時の俺は馬鹿みたいにぐちゃぐちゃと悩んでいたが、今はすっきり澄み渡った気分なんだ」
由瑞はにこやかに言った。
「左様で御座いますか」
樹は言った。
「道理で神々しいばかりの笑顔で御座いますよ」

「会心の笑みだからね」
由瑞はそう言うと薬師如来を見上げた。
「俺は悟りの境地に入ったんだ。自分の心には逆らわない事にした」
「ほうほう。」

「諦めるんだな。君は俺の1/10000程の力しかない。・・・まあ、ここで大人しく待っていれば、その内助けが来るんじゃないの?」
そう言って由瑞は樹を抱いて横になる。
「寺から出るのは危険だ。だからここに居るしかない。好きな女と二人でいればやる事は決まっている。気を逸らすものは何もない。スマホも、テレビも、ゲームも無い。都合のいい事にここは寒い。とても寒い。だから二人は抱き合って眠るしかない。無駄な抵抗は止めて置いた方がいいよ」
はははと笑った。

「俺は悟りの境地に入ったから、君に口付けをすることも、こうやって抱き締める事にも何の良心の呵責もない」
そう言って樹の首筋に顔を近付けて、唇を押し当てる。
「君の匂いがすごく懐かしい」
そう呟いた。
「あなた様は犬ですか・・・・薬師如来様がご覧になっていますけれど」
樹は言った。
「分かっている。そこまで不作法じゃない」
由瑞は言った。


「だからキスまでにして置く。その位だったら赤津だって仕方が無いと思うだろう?俺だって命懸けで君を助けたのだから。君だって非常事態だったと思えばいい。ある意味、私はその時、夢の中にいたと」
由瑞は自分の言葉に自分で頷く。

「そうだ。それは中々いい考え方だ。・・・・俺とキスしても、俺が君を愛していると言っても、君を抱き締めても、それは全部夢の中の事だと思えばいい」
由瑞は樹の頭を抱き寄せる。
「だから今だけでいいんだ。・・・今だけ。今だけ許して。お願いだから。ここにいる間だけ。それでいいから」
由瑞は目を閉じて囁く。

「でもあなたは恋人がいるって言っていた」
樹は返す。

「現世に戻ったら、もう君は赤津の所に戻る。そして俺は今度こそ君への未練を断ち切って新しい彼女と付き合って結婚する。だって、どうしたって君は赤津から離れないのだから・・・。赤津だって君を離さない。分かっているんだ。君が赤津から離れないって事は。・・・・俺はあんな辛い思いはもうしたくない。二度としたくないんだ。だから今だけ。それでいいから」

・・・

「新しい彼女って、どんな人?」
「いい人だよ。26歳なんだ。朱華に似ている。ちょっと驚いたよ」
・・・

「そうなのね。それは最強ね」
樹は返した。
そして黙った。
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