第49話  異界 樹と由瑞 13

文字数 2,016文字

2人は盛大な水飛沫を上げて川に落ちた。

振り返ると、橋の上からこちらを見ている餓鬼達の姿が見えた。
勢い余って橋から転落した餓鬼が、藻掻きながらそのまま川の水に溶けて消えて行く。
川の水で浄化されてしまったらしい。
彼等は暫くこちらを見ていたが、背中を向けるとぞろぞろと帰って行った。


足を使って靴を脱ぐ。
流されながらも由瑞は樹の腕を掴んで離さない。
たっぷりとした水は渦を巻いて流れている。
水は冷たかった。
すごく冷たかった。樹は心臓が止まるかと思った。

見た目には穏やかそうだったが、流れは速かった。
遠い向こう岸の神社が見る見るうちに遠ざかって行く。
「これはもうあの場所まで泳ぐのは無理だな」
由瑞は言った。
「こちらの川岸に泳ごう」
「だって、そっちは異界側だよ」
「仕方が無いだろう。溺れるよりはいい」
二人は流されながらも、異界側の川岸に寄って行こうとする。
「必死で跳んだから、岸が遠過ぎるな」
由瑞は言った。
「川は流れに逆らわないで流されるのがコツなのよ・・うっ、ごぼごぼ」
そう言いながら樹は川に沈む。
「樹さん!」
由瑞は慌てて樹を引っ張り上げる。

「ねえ。貴方なら泳いで行ける。私を置いて行っていいから泳いで行って。もう私、冷たくて水が・・耐えられない・・」
樹はがちがちと歯を鳴らしながら言った。
「お願いだからそうして」
「何を馬鹿な事を。あんな遠くまで俺だって泳げない。それにもう腕も限界なんだ。・・だからもう君から離れない。君も手を離すな」

半分沈みながら二人は話をする。
「一難去ってまた一難だ」
由瑞は言った。
「絶体絶命の一難だったよ。助かって良かった。・・あなたのお陰です。ごぼごぼ・・もう凄過ぎ。スパイダーマンみたい。げほっ、げほっ・・すごくかっこ良かった。本当に有難う」
樹は言った。
「惚れ直した?」
「うん」
由瑞はフフッと笑う。そして沈む。また浮き上がる。

川幅が少し狭まった感がする。
両脇は崖に阻まれている。
もう神社は見えない。

「これはどこに流れているの?」
由瑞は尋ねる。
「現世だと、うっ・・ごほごほ・・『飛燕の滝』かな」
樹は言った。
「滝?!」
由瑞は驚いた。
「うん。淵のある所」
「淵!?」
「でも異界だから・・げほっげほっ・・。どうなんだろう?・・行くのかな?小さい滝だよ。」

「何を言っているの!あの川がこの広さで、この水量だったら、きっとその滝はナイアガラレベルの大瀑布になっているよ」
由瑞は顔を引き攣らせて言った。
「ええっ?」
「早く岸に向かうんだ!!」
由瑞は叫んだ
「ああ‥もう無理。腕が動かない。冷たくて・・痺れてしまって・・」
樹の声が小さくなる。
由瑞は樹を抱き寄せる。
「樹さん。樹さん。駄目だ。目を閉じないで。頑張って泳ぐんだ」
由瑞は樹の耳元で大声で言う。
樹は目を開ける。

流れはもっと早くなる。
「ごぼごぼ・・滝に行ったら、その後はどうなるの?ごぼっ・・異界が終わるの?」
樹は言った。
「そんなのは知らない」
「俺達の人生が終わるかも知れない」
「やっぱり!!」

ふと由瑞の腕が離れて、彼は沈む。
「由瑞さん!」
樹は慌てて由瑞の服を引っ張る。
「・・悪い。‥もう腕が動かないんだ」
樹は由瑞の腕を抱えて泳ぐ。
「大丈夫。水の中なら任せて・・・由瑞さん。一緒よ。ずっと。私が泳いで行く」

樹はぼろぼろと涙を流す。水に漬かって涙か鼻水か川の水か分からない。
「御免ね。御免ね。巻き込んでしまって。あなたをここから助けるって・・絶対に・・げほげほっ」
樹は沈みながら泣く。泣きながら沈む。
「いや、駄目だ。何か、何か・・諦めちゃ駄目だ。何か‥あなたを絶対にここから出すと決めたのだから」
樹は必死で考える。沈みながら考える。
樹の頭に白いものが閃いた。
「ウタ!」
樹は叫んだ。
「ウタ!」
「ウタ!助けて!ウタ!」


「ウタって何?」
「小夜子さんのオオサンショウウオ。この池に棲んでいるの」
「大きいの?」
「いや、子犬程度」
由瑞はがっかりする。
「ウタ、ウタ、・・げほげほ。ウタ、お願いだから由瑞さんを助けて。由瑞さんをお願い・・」
樹はウタを呼んで水を飲む。


頭の上を橋が通り過ぎていく。
それを見送る。
「樹さん。離れないで。俺は君に言いたい事が」
由瑞は言葉の途中で沈む。
「離れない。死んでも離れない。ウタ!早く助けて!」


二人は水に沈む。水の中でお互いを見詰める。
樹の瞼がゆっくりと閉じた。
由瑞は樹を抱き締めた。
水を蹴った。頭を出して息をする。
樹を揺さぶる。大声で樹の名を呼ぶ。
樹は微かに目を開ける。

遠くで水の落ちる音がする。由瑞はハッとする。流れが速くなる。音はどんどん近くなる。どうどうという爆音が聞こえる。由瑞の顔が引き攣る。川音は耳を弄した。流れがもっと速くなる。どんどん早くなる。由瑞は叫んだ。それももう滝の音で聞こえない。
樹の意識は朦朧としていた。
「樹さん!樹さん!」
由瑞の声が遠くから聞こえる。

ぐったりとした樹を固く抱いて由瑞は耳元で叫ぶ。
「愛しているんだ」
そう聞こえた様に思えた。
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