第44話  奥の院 融と理沙

文字数 2,389文字

現世の奥の院。
融達は戻って来た。

偵察に行った夜刀が戻って来た。
「神社に奴らがいる」
夜刀は言った。

最後に怜は小夜子を固く抱き締めて、そして少女を連れて異界に戻って行った。
「もう二度と来るなよ」
という言葉を残して。


小夜子は家に向かう道を先に走って行った。
融は小夜子から柵の鍵を預かりそれを首にかけて神社に向かった。理沙を背負い滑る石段をしっかりと踏み締める。
久々に嗅いだ森の匂い。
空気の匂い。雑多な生き物の気配。土の匂い。
5月の匂いを胸に一杯吸い込んで、融は満ち足りた気持ちになる。
何とか無事に難局を乗り越えた。
空を見上げる。
出て来た時と同じ初夏の陽気だ。だが、空は夕焼けに向かっていた。
赤や紫の複雑な色合いが美しかった。
無事に帰って来たことがとても嬉しかった。
これでもう東京へ帰れる。

融の背中で理沙が顔を伏せたまま言った。
「赤津さん。有難う」
融は驚いて立ち止まった。
「意識があるのか?」
「ええ」
「歩けるのか?」
「・・歩けない。だからこのまま歩いてください。私は山で迷って怖い思いをして、すっかり衰弱してしまったという事にして置いてください。龍などバカげた妄想だという事に。」
「分かった」
「私はしばらくどこかの療養施設に行く。怖い思いをして精神を病んでしまったからと兄には思わせる。そうすれば兄は私と西藤家との結婚も諦めざるを得ない」
理沙は言った。

融は黒い鳥居を抜けるとそこで一礼をする。
「どう言う事かよく分からないんだけれど・・・・君はどうしてお兄さんを裏切るの?」
融は理沙を背中から降ろして、そこに座らせる。柵の間から手を伸ばして鍵を開ける。
開けながらぼそぼそと話をする。

東藤家の男達が騒いでいるのが分かった。

理沙は体を深く曲げたまま言った。
「迷っていたの。本当は。仕方が無いかと思っていて・・・・それが運命なら仕方が無いって思っていて・・。でもあなたと逢ったから、決心が付いたの。赤津さん、御免なさい。巻き込んでしまって。
あなたはもう亡くなってしまった私の恋人にすごく似ている。あなたと一緒になら死ねるって・・・・勝手にそう思ったの。御免なさい。

・・・交通事故だったの。わき見運転。加害者はそう言った。・・過失運転致死罪。運転手は刑務所にいる。もう暫くすれば出て来るわ。運転手は西藤家の下っ端だった」

「血が重要なのよ。それ以外はどうでもいい。東も西も。ずっとそうやって綿々と続いて来たの。東藤家に生まれた娘は嫁に行く事は出来ない。婿を取って家を継がなければならないから。
『龍の娘』が生まれるともっと限定される。
彼女はその血を東西藤家以外の場所で伝える事は出来ないのよ。西に男の子がいなければ、養子を取ってでも結婚させる。・・・・この黒子を持つ女の子は生まれ落ちた瞬間にもうその運命は決まっているのよ。何もかも。結婚相手も仕事も・・・。探すの。古文書にある場所を。それは『龍憑きの娘』しか読み解く事は出来ないから。・・・今まで誰も水晶玉に気が付かなかった。それに私は気が付いたの。偶然に」


融は理沙を背負い直す。
そして柵の向こう側に出ると鍵を閉めた。
神社からわらわらと男達が走って来る。
口々に「お嬢!」
「理沙!」と叫びながら。
融は赤い神橋をゆっくりと渡る。

「君はどれ位、その療養所に居る積りなの?」
「数年は・・・有難う。赤津さん。もう東藤家はここへは来ないわ。安心してください。私が来させない。・・・現実世界に龍なんていない。龍の池なんて・・・幻でしかないのよ」


茶髪の男が理沙を融の背中から受け取る。
「理沙は一体どうしたんだ」
鋭い目で融を見る。
「迷ったんだ。山で。ずっと探していた。見付けた時には倒れていて意識を失っていて・・。担いで歩いている内に意識が戻ったみたいだけれど・・」
貴は背中の理沙に囁く。
「理沙。龍の池は・・」
理沙は首を振る。
「貴。見当違いだった。ここじゃない。ここじゃないわ。貴。早く帰りたい。すごく怖い」
「何が怖いの?」
「悪魔がいる。この鳥居の向こう側に悪魔がいるの」
そう言うと理沙は「きゃー」と叫び声をあげて泣き叫んだ。
「早く。早くここから出して。でないと悪魔が・・・悪魔が・・悪魔が追いかけて来て・・」
貴は慌てた。
「分かった。帰ろう。もう帰ろう」
「おい、行くぞ」
西藤家貴は融に一瞥を与える。
「世話になった」
それだけ言うと男達はぐったりとした理沙を囲みながら階段を下りて行った。


融と伊刀は去って行く一群を見送った。
「すげえ演技だな」
伊刀が言った。
「半分演技、半分本当って所だろうな・・・・だって一度龍に喰われたんだぜ。そりゃあ怖いだろうよ。まあ・・どの位、あの人に命が残っているか・・・それはそれで憐れなものだな」
融は呟いた。


石段を下りる。
遠くで走り去る車の音が聞こえた。
「伊刀。今日は何日だ?」
「知らない」
伊刀はとことこと歩く。
「ようやく東京に帰れるよ。樹が待っている。もう俺は今日の内に帰るから」
融は伸びをする。
「良かった。無事に済んで。終わりよければ全て良しだな」
そう呟いた。

赤津の門を通り過ぎると、みんなが庭に出ていた。
小夜子と史有。蘇芳と里村・・。
誰もが奇妙な顔をして自分を見ている。

「只今。東藤家は無事に帰って行ったよ。これで一件」
「融。樹さんが・・」
小夜子は言った。
「えっ?樹がどうしたの?」
融は返した。

史有は言った。
「昼頃、急に来て、融さんを探しに。それで奥の院に走って行ってしまって・・」
「え・・・?」
「それを由瑞が助けに行って、二人とも帰って来ないのよ。奥の院には人影は無かった。どこを探しても。・・・・由瑞も樹さんもあの池に飲み込まれてしまったみたい・・・」
蘇芳は言った。

融は裏手の柵に向かって走った。
その後ろ姿に向かって小夜子は言った。
「今、夜刀を行かせた。怜の所に。あの二人を探し出して救い出してくれと」
融は夢中で石段を駆け上がった。

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